FILE1 毒殺 4
丁度、日付が変わるころだったように記憶している。
転がり落ちるようだった。
坂からボールが転がり落ちるように、キクノの心臓はその機能を停止させた。
止めようがなかった。
なにをしても手遅れだったのだ。
病院に着いたときにはもう、キクノに意識はなく、様々な医療器具のコードがその体を縦横無尽に繋がれていた。
大勢の医者やナースが忙しなく動き回っていた。
それを、まるでテレビの画面の向こう側にいるように見ていた。
「キクノが好きな曲を流そう」
どうしてそう言ったのか、自分でもわからない。
いや――わかっているけれど、言葉にはしたくないだけだった。
キクノのひきだしから愛用のミュージックプレイヤーを取り出す。音量を絞り、キクノの枕元に置いた。
流れている曲はショパンの『別れの曲』。
落ち着いた曲調が好きだと、どこか悲しげな旋律が好きだと、はにかみながら語ってくれた。
知り合いに習って、少しだけ弾けるようになったと、退院したらもっと練習して、お兄ちゃんにも聞かせてあげると、得意げに。
そしてついに、モニターに映し出された心電図が一本のまっすぐな線になった。心拍数は零の表示に。
それは、なんともわかりやすい『死』だった。
「キクノは精一杯頑張ったんだわ。小さな心臓を最期まで一生懸命動かしてたんだわ。どうしてキクノが死ななきゃいけないの。どうして」
母が父に縋って泣きながら呟いていた。
俺も、どうして涙が出るのかわからないほど泣いた。
縋る相手もいない、ひどく閑散とした廊下で、声を押し殺して。
窓から見える真っ暗な空から、雪が舞っていた。
それから二日後、つつがなく終わったキクノの葬式のあとの精進落としで、俺は笑顔の男性に声をかけられた。
「こんにちは」
人が死んだというのに、何故この男は笑顔なのだろう。と少し憤りを感じたが、よく見れば目元は赤く腫れあがっている。
キクノの死を悼んでくれているのだ――とすぐに気付いた。
「……こんにちは」
「お時間よろしいですか?」
「いいですけど……」
「貴方に渡したいものがあるんです」
「俺に?」
「はい。以前、ざ……キクノさんから預かっていたものです」
「キクノから?」
「ここではなんですから、外に出ましょう」
俺は男性に促されるままに、会場を出て、広い廊下のベンチに座った。
「なにか飲みますか?」
「いや、いいです。それより、キクノから預かっていたものって……」
「そうですね。これです」
言って、男性は喪服の懐から可愛い柄の封筒を取り出した。
宛名には『To お兄ちゃん』と書かれている。
「キクノさんが生前、貴方に宛てて書いた手紙ですよ。死んだら渡してほしいと、頼まれました」
「キクノは、どうしてこれを、貴方に?」
「……今は答えられません」
「そうですか」
手紙を制服のポケットに入れ、席を立とうとする。
「読まないんですか?」
「え?」
「今すぐ、読まないんですか?」
「だって、ゆっくり読みたいし……」
「………………」
男性は、まっすぐ、俺を見据えた。
「……わかりましたよ」
どうしてその視線に屈してしまったのか。
心のどこかで、男性に恐怖を抱いたからかもしれない。
封を切り、中の手紙を取り出す。
俺はゆっくりと手紙を読んだ。
『お兄ちゃんへ
死んじゃってごめんなさい、お兄ちゃん。お兄ちゃんが私を治してくれるまで頑張りたかったけど、できなかったんだね。残念だな。お兄ちゃんがお医者さんになるところ、見たかったのに。とっても頭が良くてとってもかっこいいお兄ちゃんが、私は大好きだよ。私がいじめられていたときも、私が困っていたときも、お兄ちゃんは助けてくれたね。「俺に隠し事はするな」って、約束したよね。だから私は、ずっとお兄ちゃんについていた嘘を、ここで謝ろうと思います。ずっとお兄ちゃんに隠していたことを、告白しようと思います。
お兄ちゃん、人は死んだら天国か地獄に行くでしょう? 私はどっちに行くと思う? 「天国に決まってるだろ」って、お兄ちゃんはきっと言うよね。
だけどね、私は地獄に堕ちるの。地獄で、永遠に苦しむの。閻魔様も私を許してくれない。お兄ちゃんだって、私のことを軽蔑する。何故なら。
何故なら私は、殺人鬼だから。
お兄ちゃんが知らないだけで、この世界には裏社会っていうのが存在している。殺し屋。暗殺者。名前が違うだけでもっとたくさん。大勢の、数えきれない人が、裏社会にはいる。私もそのひとり。
たくさん人を殺した。裏社会で生きている人も、普通の一般人も。いつかニュースで騒がれた『佐藤家惨殺事件』なんて、犯人はほかならぬ私なんだ。後悔はしてないよ。だって私は殺人鬼だもの。後悔なんてしてたら、とっくに警察に出頭してる。
だけど、ずっとわだかまりがあった。お兄ちゃんは普通の人だから、私の本性を知ったら、私は嫌われてしまう。それだけは我慢できなかった。お父さんとお母さんになら、ばれても平気だと思ったのに、お兄ちゃんにばれたらと思うと、気が気じゃなくなる。嫌われる前に、お兄ちゃんを殺そうとしたことがあった。だって、そうすればばれる心配もなくなるし、お兄ちゃんに嫌われなくて済む。
だけど、殺せなかった。殺人鬼のくせに、人が殺せなかった。今までたくさんの人を殺したくせに、お兄ちゃんは殺せなかった。お兄ちゃんだけは殺せなかった。殺したくなかった。お兄ちゃんに嫌われるのと同じくらい、私はお兄ちゃんがいなくなるのがいやだった。
病気のことだけどね、実は、原因はわかってた。
私は『殺人鬼クラブ』っていう組織に入っているんだけど、やっぱり組織っていうのは、特に裏社会とか、暴力に訴えるような世界では、敵対勢力っていうのがあるから、漫画みたいだけど、戦争をしていた。勝ったほうは莫大なお金が手に入る。負けたほうは……。
戦争自体には勝ったのだけれど、私は戦った相手から毒を盛られた。解毒方法を聞き出す前に自殺されちゃって、私の身体には毒が残った。致死毒が残った。
「ああ、死ぬんだ」って、わかったよ。
それで、「死にたくないな」って、思った。
だって、お兄ちゃんがいるから。
お兄ちゃんに嫌われるのも、お兄ちゃんを殺すのもいやだったけど、それよりも、お兄ちゃんを悲しませちゃうから。
それが、ほんとに、いやだった。
笑えるよね、殺人鬼がさ。数えきれなくらい人を殺してるくせに、自分が死ぬのがいやだなんて、自分勝手すぎる。虫が良すぎる。たったひとりの一般人に、どうしてここまで考えちゃうんだろうって思ったよ。そしたらね
「愛されたからだろうね」
だって。
「きみは、そのお兄さんに愛されたからだろうね。お兄さんはきみのことを愛しているし、きみはお兄さんを愛しているんだね」
兄妹愛だ、って、あの人は言ってた。
最後くらいは、殺人鬼ではなく、一般人の、お兄ちゃんの妹として過ごしなさい。
謀殺さんはそう言ってくれた。それがとても、嬉しかった。
私は殺人鬼ではなく、普通の人として死ねるんだって、嬉しかった。
死んだあとは、罪人として地獄に堕ちちゃうけど、死ぬ前に、お兄ちゃんの妹に戻れて、良かった。
死ぬのは怖い。
怖いよ。
だけどそんな怖いことを、私はいろんな人にやってきた。当然の報いだ。
自分勝手で、恐ろしい殺人鬼。
殺人鬼クラブのひとり、『惨殺』。
それが、私の本性です。
それが、私のついた嘘です。
最後にわがまま言わせてね。
お願いだから私のことを嫌わないで。そして、許さないでください。
菊乃』
思っていたよりも、短い手紙だった。
キクノらしいと言えば、キクノらしい。
「馬鹿野郎……」
あまりにも弱々しい声音だった。
「お前がどんな奴だって、俺がお前を軽蔑するわけがないだろう……」
嫌いになるわけがないだろう。
俺はお前の兄ちゃんなんだから。
手紙のところどころに涙のあとを残して、『死ぬことが嬉しい』だなんて、死ぬ間際のくせに嘘をつくな。
嘘つきめ。
「死にたくない」って、「怖い」って、どうして俺に言わなかったんだ。
なにも言えなかったけど、慰めることくらいできたのに。
知っていたくせに、あの日、自分が死ぬのだと。
だからチョコレートを渡したのだろう。十四日を迎えられないと知って、渡したのだろう。
「貴方は……」
俺は、微笑んでいる男性に声をかけた。
「貴方は、何者ですか?」
少し驚いたような顔をする男性。
「その手紙になにが書いてあったかは存じ上げませんが」
声をひそめて、囁く。
「知らないほうが、身のためだということはわかりますよね」
わかっている。
殺人鬼だった妹が最後に俺に宛てて書いた手紙を託した相手。
ただの一般人であるはずがない。
「……蓮璉慶と申します」
「はすれん……」
「今の貴方には、教えられる名前はこれだけです」
「…………っ」
線引きをされた気分だった。
キクノとこの男性――蓮璉さんと、俺が立っている場所は全然違うのだと。
「それでは、キクノさん……いえ、惨殺さんのお兄さん、さようなら」
俺に背を向ける蓮漣さん。
しばらく歩いていく姿を見送っていると、ふと、彼は足を止めて、
「そうですね」
と、独り言のように呟いた。
「貴方のその能力なら、こちら側になることもできるとは思いますが――」
「……は?」
「おや、聞こえていましたか。お気になさらず」
そして今度こそ、その場をあとにする。
彼の後ろ姿が、妙に記憶に残った。
何故俺の通っている高校は、二月に最後のテストがあるのだろう。期末と違い、別に内申に響くというわけではないが、えっと、『卒業おめでとうテスト』とか言ったか。祝う気ゼロだろ。
別に受けなくても良かったが――担任から無理するなと言われた――、最後なのだからと行くことにした。
どうせ結果は見えている。
ただ、やらなければいけないと思ったのだ。
「ああ、世界はこんなに退屈だったのか」
キクノがいないというだけで。
灰色の空を見上げて、白く染まる息がどこかよそよそしく感じた。
用があったので化学室に寄り、そこで教科担任の先生とも二言三言言葉を交わす。化学は得意分野なので、先生ともそれなりに懇意だった。
そして、教室に辿りつく。
指先が妙に熱い。
「………………」
がらりと教室のドアを開ける。
冷たい空気の廊下とは打って変わって、温かで排他的な空気が俺を包んだ。
はた、と、俺を視認したクラスメイトたちが今までの会話を打ち切る。そして慌てて俺から視線を外し、今度はわざとらしく会話を再開させた。
妹が死んだとは誰にも言っていなかったが、おそらく新聞かなにか、もしくは担任が話すなりして知ったのだろう。気遣うような、それでいて好奇の意を感じる。
その空気が、雰囲気が、これからのことを確実にしていくのだ。
「おい」
「なに?」
「大丈夫なのか? その……」
「………………」
クラスメイトのひとりが、気遣わしげに声をかけてきた。
どう言えば満足なのだろう。突然泣き出して、妹との思い出話でも語ればいいのだろうか。もうすぐ死ぬ妹のために、俺は毎日病院へ通っていたのだと、妹は本当に大切な存在だったのだと、涙ながらに語ればいいのだろうか。
死んでもやらないが。
「大丈夫だって」
あくまで気にしていないという風を装い、俺は席につく。
どこかで薄く笑い、俺は決意を堅くする。
キクノは死んだら地獄に行くのだと言う。
殺人鬼である自分は、赦されないのだと。
兄である俺はなにをすればいい?
なにをしてやれる?
結論はすぐに出た。
テストが始まって十分ほど経つ。
幸運にも、クラスメイトは全員出席しており、この時間の監督は担任の教師だ。
別に、担任でなくても良かったが、こういうものはこだわったほうが『らしい』だろうと思い至る。
名だたる先人たちも、こだわりがあったと聞く。
ならばそれに則るまでだ。
俺は制服のポケットから、それを取り出した。
そして高く掲げ、一気に床へ叩き落す。
クラス全体がその音に注目する。
だけど、もう遅い。
動揺が教室を包んだが、これは、逃げられない。
「こんなことのために医学を……毒性学を勉強していたわけじゃないんだけどな」
またたく間に充満するその毒は、みるみるうちに教室中を汚染する。
即効性のものを選んだのだ。逃げてもいいけれど、手遅れなのはわかるだろう。
狼狽しているうちに毒は身体を侵し、蝕み、破壊する。
爆心地にいる自分も遠からず死ぬ。
いいさ、それくらい。
それが狙いなのだから。
殺人鬼になることはできないけれど、人を殺すことくらいできる。
地獄でキクノを独りになんかさせないから。
俺も一緒に地獄に堕ちるから、すぐ、そこに逝くから。
だから、安心していい。
俺が一緒に、地獄の底でも、守ってやる。
意識が遠のく。
これが、死か。
目を瞑れば、また、キクノに逢えるだろうか。
夢うつつで、そんなことを考える。
キクノはきっと、怒るだろうなぁ。
だけどこっちにも、言いたいことは山ほどあるんだ。
ふたりで、地獄で、永遠に文句でも言い合えばいいさ。
ばたりばたりと倒れていくクラスメイトを視界に捉えた。
泡を噴き、痙攣をし、白目を剥いて、息絶えていく。
「…………っ」
じわりと、なにかがわずかに、動いた。
喉の奥から悲鳴とも嗚咽とも取れない声を吐き出しながら蠢くクラスメイトの姿は、どこか魅力的で。
蠱惑的で。
この惨状が自らの手によるものだと思うと更に――高揚した。
あんな少量のもので、こんなに大勢の人間の命を奪えたという事実に、生まれて初めてかもしれない興奮を、自覚した。
自分の中で動いたそれは、徐々に形を成し、とあるひとつの単語を浮かび上がらせた。
――なんだよ、キクノ。
目の前に、妹の幻影を見た気がした。
それはやっぱり気のせいだったのかもしれないし、俺自身の妄想かもしれない。
毒によって侵された視界が、幻覚を見せただけだったかもしれない。
それでも、幸福を感じ取った。
涙が出るくらい、嬉しかった。
真っ黒な天使が、微笑んでいたのだ。
いつもの穏やかな笑顔ではなく、惨憺とした、彼女の本性を露わにした笑顔で。
――お前、気付いていたのか?
兄妹とは、似るものだ。
容姿もさることながら、その性質は、性格は、似やすいのだろう。
妹が兄に似るという話はありがちだが、兄が妹に似るというのは、あまり聞かないけれど。
キクノがそうであったように、俺もその性質を持っていただけだ。
よく似た兄妹だ、本当に。
俺も、殺人鬼としての性質が備わっていたのだ。
「なあ、キクノ」
惨然と微笑む真っ黒な天使に、笑いかける。
「俺も、お前とおそろいだったよ」
どうしようもない眠気に襲われ、俺はそれに身を任せた。
目が覚めると、そこは地獄――ではなかった。
見慣れた、教室だった。
「…………、……?」
なんで。
なんでなんでなんでなんでなんでなんで。
なんで俺は死んでいないんだ!
毒が弱かった?
そんなわけがない。
現にクラスメイトは全員息絶えている。
見るも無残に、毒殺されている。
時計を見れば三十分ほどしか経っていない。昼寝かよ。
眠っていただけ?
この学校に保管してあるもので、毒性が最も強い毒物を選んだのに!
確実に死ねる道を選んだのに!
「それは、貴方が毒に強い体質だからではありませんか?」
「!」
ガスマスクを着けたスーツ姿の男が、教室の中へ悠々と侵入してきた。
「また会いましたね」
「蓮璉さん……?」
ガスマスク――顔全体を覆うタイプのものだ――の奥で、蓮璉さんは目を細めた。
「そうですよ……いえ、今の貴方にはこの名乗りは正しくありませんね」
散乱している死体を容赦なく踏みつけながら、蓮璉さんは座り込んでいる俺に近付いてきた。
「私は『謀殺』と申します」
「謀殺……」
そういえば、キクノからの手紙にそんなような名前があった。
つまり、この人は思った通りの、殺人鬼だったのだ。
「あんたが……」
俺は手を伸ばして、蓮璉さんの胸倉を掴む。
「あんたがキクノを危険な目に遭わせたのか!」
「……そういうことに、なりますね。殺人鬼クラブは、私が創立したものですので。彼女を殺人鬼クラブに引き入れたのも、私です」
「あんたのせいで! キクノは、キクノは……!」
「すべて私のせいにするつもりですか?」
「…………っ」
鋭い双眸が俺を捉えた。
蛇のように絡みつくような、『無慈悲』という言葉がよく似合う視線だった。
「ええ。もちろん彼女が死んだのは私のせいですよ。まだ子供だった彼女を戦場へ向かわせたのは、今思うと、愚策だったのでしょう。私の戦略ミスです。そのせいで惨殺さんを――同胞をひとり、喪ってしまった。それは確かに私の責任です」
心底後悔したような溜息をついて、蓮璉さんは眉を顰めた。
「貴方が私を責め立てたいのはそこではないこともわかっています。そもそも、彼女が殺人鬼でさえなければ、このような惨事も起こらなかったのでしょうしね。――けれど」
ゆるりと首を振って、痛ましげに表情を歪ませる。
「殺人鬼クラブがなければ、惨殺さんは孤独になるほかなかったのです」
殺人鬼クラブは、拠り所なのです。
悲痛な声を絞り出し、蓮璉さんが自身の胸倉を掴んでいる俺の手を振り払った。
驚くほどあっさりと、俺も手を放してしまう。
「……知ってましたよ、それくらい……!」
妹の機微に気付かない俺ではない。
殺人鬼クラブというものが、キクノの中で、家族と同じくらい、いや、家族以上に大切な存在であることくらい、察しがついていた。
幼い頃からずっと守ってきたんだ。
近所の獰猛な犬から、馬鹿ないじめっこに至るまで。
いつの間にか、守る必要がないくらい、どこかで大人になっているのにも気付いていた。
もう俺の助けは必要ないのだと。
もう俺の手の平は必要ないのだと。
「妹のためになにもできなかった情けない兄貴が、一番腹立つんですよ……!」
「惨殺さんは、貴方のことを情けないだなんて思っていませんでしたよ」
「え……?」
蓮璉さんの表情は見えない。けれど声に含まれる感情の温かさは、そのまま俺に届く。
優しく、深く、とても安心できる声音で。
「とても頼れる、自慢の兄だと。そのように」
救いをもたらされた気分だった。
「あ……あぁ……」
言葉にならずに、それは溢れる。
声に、吐息に、混ざって溢れて、やがて零れる。
キクノ。
こんな兄ちゃんでごめんな。
殺人鬼になったって、お前は俺の家族でいてくれたのに。
俺だけ、勝手な行動を取ってたみたいだ。
座り込んで嗚咽を我慢する俺に、蓮璉さんは膝を折り、目線を合わせてきた。
柔和な瞳と、目が合った。
「……よければ、なのですが」
蓮璉さんが俺に手を差し伸べる。
それはまるで神の天啓のようでもあり、逆に、悪魔の囁きのようでもあった。
「貴方は素晴らしい才能を秘めている。私の同胞に――『殺人鬼クラブ』に、入りませんか?」
◆◆◆
「確かそのあとは……俺の使った毒が偶然可燃性のもので、爆殺の奴が後始末をしてたな。その教室の隣と下の教室を巻き込む大爆発だったっけ。表面上は、俺はその爆発に巻き込まれて死んだことになった。そうして晴れて俺は殺人鬼クラブに仲間入りを果たしたわけだ」
「………………」
「キク? どうした、寝たのか?」
「……起きてますよ」
「そうか」
「ぼくの前に、もうひとり『惨殺』がいたことは知っていました。ぼくが後釜であるということは、知っていました。けれど、それが毒殺さんの妹さんだということは知りませんでした」
「そういえば、言ってなかったかもな」
「ぼくは、妹さんの代わりですか?」
「………………」
そういうことになるのかもしれない。
初めて惨殺と会ったとき、彼の座った席にも驚いたが、どことなく妹と似ている彼の容姿に愕然とした。
惨殺と妹を重ねて見ていることは否めない。
だけれど、代わり、などと思ったことはなかったはずだ。
ないはずだ。
けれども傍目から見て、そう思われてしまうのは当然で、自分が思っていないだけで結局はそういうことになってしまうのだろう。
「毒殺さんの妹かぁ……」
吐息まじりに、惨殺が呟いた。
「それはとても、幸せなんだろうなぁ……」
背中から小さな寝息が聞こえてきた。
眠ってしまったらしい。
惨殺のような小さな身体では、睡眠薬は効きすぎてしまうのかもしれない。今までずっと退屈な大人の昔話を聞いていたのならばなおさらだ。
「……お話は終わりましたか?」
「抉殺さん」
「可愛らしい寝顔ですね。殺人鬼じゃないみたい」
「別に、あんたが聞いてても、俺は平気だったのに」
「あら、そうでしたか」
穏やかに微笑む抉殺。
笑い方が謀殺とよく似ている。
「そうだ、抉殺さん。貴女はどうして殺人鬼になったんですか?」
ふと、気になったので訊ねてみる。
抉殺は一瞬『なにを突然言い出すんだろう』みたいな顔をしてから、「うふふ」と目尻を下げた。
「ご存知かもしれませんが、私は殺人鬼になる前から人を殺していました。生まれたときから、こちら側の世界の住人だったわけですから。けれど、あえて理由を述べるとするならば、きっとそれは、謀殺様と出会ったからだと思っております」
「謀殺さんと……」
「今話せるのはそれだけです。それ以外の話は、また、別の機会に」
そう言って、抉殺は黙してしまった。
毒殺が殺人鬼になった理由。
あえて述べるとするならば、それはやはり、妹だろう。
彼女と共に、地獄に堕ちるために。
後付けの理由でしかないけれど。
自分は殺人鬼なのだから、そんな小難しいことなど言わずとも、本能によってそうなっているだけなのだから。
「『貴方は殺人鬼である』。まさに、その通りだ」
いままでも、これからも。
誰かに殺されるその瞬間まで、自分は殺人鬼であり続けるはずだ。
後悔がないわけではない。
今からだって、やり直せるかもしれない。
けれど、そんなものを望んじゃいない。
望んで堕ちたのだから。
殺人鬼でいることが心地よいのだから。
殺人鬼クラブは拠り所なのだから。
だから俺は、死ぬまで殺人鬼でいよう。
毒を以て毒を制す、『毒殺』でいよう。
FILE1 毒殺 完
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