第64話 彼女を元気付けよう(後編)

 さて。7月9日木曜日。

 真澄の風邪はもう治ったようだ。

 少しだけだるそうにしながらも、いつものように登校していた。


「コウ、何かウチに隠してへん?」


 いつものように手を繋いでいると、怪訝そうに僕の方を見つめてくる。

 

「何もないけど。病み上がりだから、勘違いしてるんじゃない?」


 勤めて平静に振舞う。

 危うく計画がばれそうになるところだったけど、ここまで鋭いとは。


「はあ。コウのことやから、また何か企んどるんやろうけど」


 ジト目で僕の方を見られる。そんなに信用されていないのだろうか。


「考えすぎだって。ほら、早く行こう?」


 そう言って、彼女を促す。


 そして、授業中も


(コウ。さっきからスマホで何やっとるん?)

(いや。ちょっと通販で買い物をね)

(怪しい)


 と言った感じで、どうも僕が何かを企んでいると気づいているようだ。


 そして、昼休み。いつものように、正樹や朋美と一緒に食堂に行こうとすると。


「なんでナツがおるん?」

「私が居たらまずかったですか?」

「い、いや。そういうわけやないんやけどな。ちょっと意外やったんや」


 奈月ちゃんの目がウルウルしていたので、失言を悟ったのか、慌ててフォローをする真澄。まあ、奈月ちゃんが居るのはちゃんとした理由があるんだけど。


 そして、放課後。今日は週に2度の部活の日だ。なのだけど。


「真澄先輩。ちょっとどうしても外せない用事があって。欠席していいですか?」

「ナツがそういうのは滅多にないしな。ええよ」


 と奈月ちゃんの欠席を承諾。


「やっぱりなんか企んどる気がするんやけどなあ」


 もう確信に近い表情で僕の方を睨んでくる。まあ、企んでるのは事実だけど、家に帰るまでは我慢して欲しい。


 調理部の今日の活動は、インドカレー。普通の日本のカレーと違って、多種多様なスパイスをブレンドするのが特徴だ。ついでに、ナンも焼いた。


 そして、帰宅途中。


「いやー。インドカレーって難しいね」

「そうやね。やっぱスパイスが難しいわあ。ナツメグ、クローブ、コショウ、……」

「チャイもおいしく作るのは難しかったよね」


 僕の班が作ったチャイは香辛料控えめ、甘さ濃いめのミルクティーのようになってしっまった。


「で。コウが企んどること。いい加減吐いてもええんちゃう?」

「バレてるよね。でも、部屋に行くまでの辛抱ということで」

「コウのことやから、サプライズパーティーってとこか?ええけどな」


 サプライズパーティーとは実にいいところを突いてらっしゃる。


「それも含めて、お楽しみってことで」

「意地でも明かさんのやな」


 真澄ににらまれる。


「ま、部屋についたらわかるから」


 ということを話していると、あっという間に僕の家の前についた。


「それじゃ、上がって、上がって」

「一体何があるのやら」


 怪訝そうな表情をしながら、僕と一緒に階段を登って部屋に入ると、


 パン!パパン!


 クラッカーのはじける音とともに、垂れ幕には、


『結婚おめでとう!コウ♡ますみん』


 そんな文字が。部屋には既に、正樹、朋美、奈月ちゃんが待機中だ。


「は?」


 何が起こったのかわからないのか、右往左往する真澄。


「じゃあ、はい」


 昨日役所に行ってもらってきた婚姻届けを渡す。


「婚姻届け……って、ウチらはまだ結婚できる年齢やないやろ!」


 とのツッコミ。


「それはもちろん。でも、せっかく証人の二人はサインしてくれたんだし」


 と言って、証人欄を指差す。そこには、篠原正樹と折原奈月の二人のサインと印鑑が押されていた。せっかくならということで、本格的にしてみたのだった。ちなみに、もう一人は朋美にしようかと思ったのだけど、せっかくの後輩の願いということで、奈月ちゃんと相成ったのであった。


「コウの企んでたんってこれか?」


 ビミョーな視線で問いかけられる。


「まあ、そういうこと。真澄に、ずっと一緒に居るって意思を伝えたくて、さ」


 実のところ、少し恥ずかしかったんだけど。


「そっか。ありがとさん」


 少し照れ気味に、そして、とても嬉しそうにお礼を言われた。


 そう言って、真澄は婚姻届けの「妻になる人」の欄にボールペンで書き始める。僕の方は、既に書いてある。


「この、本籍とか父母の氏名とかはどうすればいいんや?」

「本籍は、ほんとに結婚するときにしか入らないし。空欄で」


 調べてみたんだけど、そもそも僕らがまだ結婚が可能でないということをおいといても、戸籍謄本の取り寄せとかで一手間かかるらしい。


「婚姻届け一つとってもややこしいんやな」


 そんなことをぼやきながら、一つ一つ記入していく。


「婚姻後の夫婦の氏って、ウチかコウ、どっちの苗字になるかってことやね」

「そうそう。僕は真澄の苗字になってもいいけど」

「ウチはコウの方でええかな」


 ということで、「夫の氏」にチェックを入れる。


「新しい本籍ってのは、ウチらが結婚したときの住所か?」

「ちょっと調べてみたんだけど、どこでもいいんだって。自分が住んでいない土地でもいいとか」

「変わっとるな。じゃあ、とりあえず、コウの家で」


 ということで、僕の家の住所を書き始める。


「同居を始めたとき……ウチらまだ同居してへんよね」

「とりあえず、今日でいいんじゃない?」


 ということで、今日の日付を記入する。


「初婚・再婚の別……って、こんなんあるんやね」

「僕も昨日初めて知ったよ」


 もちろん、初婚なので、そっちにチェック。


「世帯のおもな仕事いうてもな。ウチら、まだ働いてへんし」

「農業とかははなさそうだけど、それ以外はわからないよね」


 というわけで、ここも空欄に。次に、同意書の欄。


「どちらかが未成年のときに必要なんやな」

「みたいだね。さすがにおばさんたちに頼む暇はなかったけど」


 というわけで、これも空欄に。


 というわけで、婚姻届けを埋めていくのにだいたい30分間。書類一枚というけど、なかなか馬鹿にできない。


「世の中のご家庭は、皆こんな書類に記入してるんやね」


 一仕事終えてため息をつく真澄。


「だね。結婚というのも、ほんと大変みたい」


 最近は、結婚をテーマにしてるお話も多いみたいだけど、婚姻届け一つでもこれほど大変だとは思わなかった。


 お茶を飲んで一息ついていると、隅っこに置いてあった何かを奈月ちゃんたちが持ってくる。


「さて、新婚夫婦のお二人さんには、ケーキ入刀をってことで」


 正樹が持ってきたケーキの箱を開ける。それは、いわゆるバースデーケーキよりもかなり大きいもので、本当に入刀できそうだった。


「これも、コウが?」

「正樹や朋美ちゃん、奈月ちゃんたちのおかげだよ」

「そっか」


 そう言ったきり黙る。


「それでは、新郎新婦の最初の儀式です。皆さん、拍手をお願いします」


 奈月ちゃん、朋美がぱちぱちと拍手をする。なんだか、少し照れ臭い。


 どこかから借りてきたケーキ用のナイフを渡された。僕はといえば。


「はい」


 持ち手の片方を真澄の方に向ける。


「何や、恥ずかしいなあ」


 そう言いつつもまんざらじゃなさそうな真澄。


 そして、ケーキに静かに刀を入れたのだった。


 その後は、飲めや歌えやの大騒ぎ(お酒は飲めないけど)。


 奈月ちゃんが


「真澄先輩とコウ先輩の出会いのエピソードを聞きたいですー」


 と言ったかと思えば、


「コウたちの夜の生活を聞いてみたいなー」


 と正樹が言って、朋美にはたかれたり。


 そうして「結婚披露宴ごっこ」は賑やかに過ぎて行ったのだった。


――


 結婚披露宴ごっこが終わったみんなが帰ったその後。


「それで、どう?今の気分は」

「そうやね。元の生活に戻るのが不安やっていうのバカバカしくなったわ」


 晴れ晴れとした表情の真澄はとても活き活きとしていて、それなら、こんなことをしたかいもあったのかな、そう思ったのだった。


「にしても、「死が二人を分かっても」ってどういう意味やったん?」


 宣誓の言葉の定番は「死が二人を分かつまで」だ。


「だってさ。どっちかが死んだら夫婦じゃなくなるって悲しいじゃない?だから、いつか遠い先にどっちかが死ぬことがあっても、夫婦でいられたらいいなってそんなことを思ったんだ」

「それやと、遺された方は再婚もでけへんのやない?」


 もっともな疑問をツッコんでくる。


「僕はそれでもいいと思ってる。真澄以上に僕のことを思ってくれる、魅力的な子はきっと見つからないと思うから」


 ちょっと照れ臭かったけど、本音をぶつけてみた。


「コウにそんな台詞は似合わんよ」


 案の定、ケタケタ笑われてしまった。


「どうせ、僕には似合わないですよーだ」


 ちょっとふてくされてみる。


「拗ねない拗ねない。ウチも同じ気持ちやから。コウ以上にウチのこと思ってくれる人は、きっと見つからんと思うよ。やから、後悔はしとらんよ」


 今まで真澄から色々な「好き」の言葉をもらったけど、これはデカい。かろうじて平静を保ったけど、後で一人になったら悶絶してしまいそうだ。


「ありがと。それでさ、明日からはさ、婚約者って気分でいかない?」

「面白そうやね。乗ったわ」


 そうして、僕たちの関係は恋人で、婚約者のような何かになったのだった。

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