第2話
SNSなんか大嫌いだけれど、選手としてのアカウントがある以上、試合の前後には何か書かなければいけない。
そうじゃないとフォロワーから「ミヤナ感じ悪い」と言われてしまう。
《応援してくれた皆さんには申し訳ないです……次は頑張ります!》
書き込んだ一分後には、熱心なファンからもう返信が来る。
《お疲れ様でした》とか《まだまだこれから!》とか。私に直接届けられるメッセージは、基本的には優しいものばかり。
これが動画配信サイトの試合ライブになると、見たくもないようなコメントに溢れているのを私は約二年の試合経験でしっかりと学んだ。
《やっぱ女は弱い》、《ブスではないが性格悪そうな顔しとるな》、《相手に手加減してもらえばいいだろ、顔だけは良いからうまくいくんじゃね》、《顔のこと言うのやめよう》《このコメ欄の民度は相変わらず低いな……》
目に入れないようにしているはずなのに、油断して見てしまったコメントの数々が頭の中をぐるぐると回って心を殴りつけてくる。
今シーズン、リーグに出場している女性選手は私だけだから余計に性別や顔に関する感想が私に集中している状態だ。もう少し女子がいてくれればヘイトコメントも分散していたかもしれない。
「エト、ミヤナさん、お疲れー。あ、今日の試合の動画?」
選手控室でエトくんと一緒にスマホの画面をのぞきこんでいると、他チームの選手のトノさんが話しかけてきた。
細身の体に黒いユニフォームTシャツとグレーのパーカーを合わせた服装をした彼は、顔立ちも整っていてどことなく爽やかなイメージだ。実際、イケメンだと話題のプロゲーマーで、試合には女性ファンも彼目当てで観戦に来る。
私よりも彼と仲が良いエトくんが、人懐っこい笑顔で片手をあげた。
「トノさん、お疲れー。俺らのプレイ映ってるかなーって見てんの」
「終わってすぐに反省会するとか勉強熱心じゃん」
「違う違う、ほんとにただ映ってるかなって。反省会は後でちゃんとやるよ」
「ふうん。なあ、今から焼肉行くけど二人も来る?」
「えっ、行きたい!」
即座に答えるエトくんとは対照的に、私は首を横に振った。
「もうすぐ帰らないといけないので。せっかくなのにすみません、また誘ってください」
「おっけー。じゃあエトだけ来るのでいいんだな。ミヤナさん、家どこなんだっけ」
「京都です」
「わあ、東京まで毎週わざわざお疲れ。言われてみれば関西弁だもんなあ」
地方に住んでいる選手は結構いる。だから試合も週末にスケジュールが組まれているのだ。だけどやっぱり移動に時間はかかるし、東京に住んでいるエトくんや、埼玉に住んでいるトノさんがちょっと羨ましい。
「じゃあミヤナさん、ゲーム実況とかしたら人気出るんじゃない? 京都弁喋る女の子って可愛いイメージあるし」
「いやー、そういうの苦手なんでちょっとー……」
「前からやればいいじゃんって言ってんだけどね。俺の実況チャンネルにもたまにしか出てくんないしさ」
エトくんが不満そうに私を見るけれど、私は力強く首を横に振った。
別にストリーマーになりたいわけじゃない。ゲームで勝ちたいだけ。
たぶん私はミヤナでいることが嫌いなのだ。エトくんと一緒にゲームがしたい。そんな理由のために作った名前に、こんなに色々な付属品が付いてくるとは想像もしていなかった。サバガンでは珍しい女性選手。性格が悪そう。弱い、勝てない。
これ以上はもういらない。京都に住んでいるのも京都弁を喋るのもミヤナじゃない、間宮奈緒だ。
そんな間宮奈緒の恋人は、ゲームにまったく興味がない。私はその事実が実はちょっと嬉しかったりする。
ふんふんと変な歌を口ずさみながら一限の講義室に現れた
「おはよう。なんかご機嫌やね」
「おはよう。ぜーんぜん、むしろ不機嫌。金曜の夜に見た映画の歌が頭から離れてくれへん。土日もバイト中とかずっとぐるぐるしてた」
それでもなぜか楽しそうに彼は授業の準備を始めた。私が昨年の誕生日にプレゼントした黒いリュックサックからペンケースやルーズリーフを取り出して、机の上に丁寧に並べていく。
男性らしく大きいけれど長く綺麗な指で行われるその行為にしばし見とれ、つい今しがたの苛立ちを忘れてしまう。
この人は何をしても落ち着いていて、無駄のない動きをする。
「試合どうやった?」
「うーん、あんまり良い結果ではなかった。今、総合17位」
「それってどうなん」
「リーグ降格は心配しなくていい安全圏だけど、半分よりは下の順位」
サバガン公式リーグのペアモードは、30組計60名の選手たちが五組ずつのグループに振り分けられて試合をし、勝ち残った順によって勝ち点が与えられるというのを繰り返して、シーズンの最後に一番点数が高いチームが総合優勝となる。
優勝すれば世界大会に日本代表として派遣される可能性が高くなるし、逆に最下位近くになるとリーグ降格してしまい、次シーズンには試合に出られなくなる。
そういう詳しいルールまでは知らない優斗は「安全圏ならいいやん」とだけ答えた。
「俺も調子あんまり良くなかったわ。会計ミスったりした。間違えるの珍しいなって言われただけで怒られへんかったけど」
優斗は私が試合に出ている時間帯はいつもバイトのシフトを入れている。
「奈緒が忙しい時間帯に俺も忙しくして、奈緒が暇な時間に俺も暇になったら一緒にいられる時間が増えて効率的、俺って頭イイ」という考え方らしい。
付き合い始めた頃に、彼のほうからふわあと笑いながらそう言ってきて、前から勤務していた居酒屋バイトのシフトを調整し始めた。平日よりも休日の方が人手が足りないから助かると、店長にはすこぶる感謝されたらしい。
私もその居酒屋には優斗がシフトに入っていない日にクラスコンパで行ったことがある。けれど、いつも静かに喋る優斗があんなアホみたいにうるさいチェーン店で働いているところがどうしても想像できない。
彼の勤務中に一度お客さんとしてお店に行ってみたいのに、彼がシフトを私の試合や練習と完全にかぶせてくるから未だに実行に移せていない。いつか行ってやる。
チャイムが鳴るのとほぼ同時に、後ろのドアから顔見知りの男子が数人、ばたばたとすべりこんできた。
「ぎりぎりセーフっ。優斗、間宮さん、おはよー。朝から講義デート? 渋いねえ」
「隣に座って仲良しやなあ。先週休んだからプリント写メらせてー」
からかい口調で目の前の席に座った彼らを私は冷めた目で見つめた。
「デートちゃう、授業。ていうかこのあいだも優斗にプリント借りてなかった? そんなに休んで大丈夫?」
「奈緒の言う通り。この授業、けっこう単位厳しいらしいで。はい、プリント」
「……そういう真面目なとこ、二人って似てるよな」
面白くなさそうな顔でそう言われ、私たちは顔を見合わせた。
目が合うとどちらからともなく頬が緩む。自分自身がやるべきことはきっちりやりたい性格だから、優斗がルーズな人じゃなくて良かったと思う。
彼氏が遅刻したり宿題を適当にサボったりするのを横で見ていると手を出して自分がやってしまいたくなるのは、高校時代に経験済みだ。
「あの……奈緒」
教授が教壇に立って授業を始め、遅刻男子たちが前を向いたタイミングで、優斗が私に顔を寄せた。
「なに?」
小声で返事をすると、彼は何かを見極めるように私の目を凝視した。
「え、ほんまにどうしたん」
「いや……奈緒は、頑張ってるから大丈夫。次の試合は勝てますように」
「う、うん。ありがとう」
頑張る、と小さくガッツポーズをして見せると、優斗はふっと微笑んで私の太ももをさらりと撫でた。突然のことにどぎまぎしているうちに、彼は私から体を離して教授の話を涼しい顔で聞き始める。
その横顔を見ていると、授業中には相応しくない変に浮いた気分になる。優斗のことがめちゃくちゃ好きだなと思う。
やっぱりこれ、講義デートなんじゃないだろうか。
先週とは打って変わって、今日の試合は頭がすっきりして集中できている。
ヘッドフォンの外側で発生しているはずの他チーム選手の声や、実況者と解説者のやり取り、観客のざわめきといったものは、何も聞こえない。
視界はゲーム画面でいっぱいだ。必要のないものがすべて遮断され、聴覚も視覚も、欲しいものだけが流れ込んでくるハイな状態。
神経を研ぎ澄まし、ドアを開けて入ってきた敵プレイヤーに一瞬で照準を合わせてライフルの弾を撃ち込む。
相手が倒れてキル表示が画面に点滅するのを確認したところで、エトくんから悲鳴のような呼びかけが入った。
「裏庭二人いる!」
「了解!」
手早く体力回復アイテムを使用し、弾数を確認しながら建物の外に出る。
この試合、私たち二人は平屋建ての住宅を陣取り、やって来る敵を次々と撃ち倒していた。先週のアパート戦とは違って今回は住宅街戦だ。ゲームシステムによってランダムに選ばれるマップの中でも私とエトくんが得意としているフィールド。
裏庭に回ると、エトくんは敵に挟まれていた。私は頭で考えるよりも先に、いつの間にかキーボードの上の手を動かして一人目の敵を撃っていた。狙いがブレることなく弾が的中してその敵が倒れるのを横目に、もう一人もすぐに倒す。
魔法みたいにぴたりと照準が合うのが気持ちいい。今日は指もよく動く。
「私、向こうの家見とくから」
「ありがと」
体力を半分以上持っていかれたエトくんが回復アイテムを使っているあいだに建物の中に戻る。いったん、敵との撃ち合いが止み、束の間の静寂が訪れた。
「ミヤっち、斜め向かいの赤い屋根の家にたぶん敵いるよ」
「わかった」
武器を狙撃銃に持ち替えて部屋の窓からスコープをのぞくと、エトくんが言っていた家屋の窓に人影が見えた。
「あれかー……撃てるかな」
言いながら、なんだか撃てる気がした。本当に今日は調子がいいから。
さっきまで派手に銃声を出して戦っていたせいで相手もこちらの存在には気づいているようだ。様子を窺うようにアバターの頭が見え隠れしている。
たまに撃ってくるのを避けながら、私は慎重に照準を合わせた。
……今だ。
キーボードを叩くと、ぱんっという音と共に銃から弾が放たれ、それと同時に敵の影が消えた。画面にヘッドショットキルの表示が出る。
「やった」
「ミヤっち、ナイス!」
ヘッドフォンからエトくんの明るい声が聞こえる。まだ敵は生存していて試合は続行中だけど、少しほっとしていた。
今日の私なら、名前も知らないライブ放送の視聴者たちも認めてくれるだろうか。性格が悪そうな顔は整形でもしない限り変えようがないけれど。せめて弱いとだけは書かれていなければいいな。
私はゲームをするしかない。文句を言われないような強いプレイをする。そうするしか、あの気持ち悪さを忘れることができない。
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