チャプター 4-3 part.3

 教員の目を避ける為、最善の注意を払いながら階段を降りていく。だが、ゆっくりではなく転がるように早足で。

 そして、昇降口がすぐ目の前に迫った時──ある意味教員よりも厄介な人に出会ってしまった。

「おやぁ、黒川くんじゃないか。 こんなところで会うなんて奇遇だね」

 いつに増して嬉しそうに絡んでくる檀野先輩。それもそうだろう。今、僕の右手には"格好の餌"があるのだから。

「そう、ですね……」

 怖気付いてしまったせいか、声が弱々しくなる。何の悪戯か、このタイミングでこの人に会ってしまうなんて……最悪だ。

「その手に持ってるのはもしかして……絵かい?」

 冷や汗が出る。やはり、この人は見逃してくれなかった。いや、見逃してくれる訳がない。

「はい……そう、です」

「そうか、そうか。 また描いたんだね」

「……えぇ、まぁ」

「なら、聞くまでもないと思うけど、塗ったんだろ? 次は頑張ると言ってたからね」

 左手を力一杯握りしめる。

 この人は、本当に……人を煽るのが上手だ。今すぐにでも絵を見せて黙らせてやりたい。

「ねぇ、どうなんだい?」

「…………」

 でも、僕にとって大切な絵をこんな人に見せる気はない。

「檀野先輩。 真一は、あ……っ!」

 僕の気持ちを察してか、代わりに話をつけてくれようとした紫を手で制止する。紫の気づかいは嬉しいが、これは僕が決着けりをつけないといけない。他の誰でもない僕自身が。

「塗りました」

「……へぇ、それは良かった。 どんな物か是非見せてくれよ」

「すみません。 それは出来ないです」

「は? 出来ない? おいおい、何言ってるんだよ。 出来ない訳がないだろ、見せるくらい」

「出来ないです。 だって、僕はもう──檀野先輩に構ってる暇はないんですっ!」

「な、おまっ!? か、構ってだとぉッ!」

「失礼します。 行くぞ、紫」

 礼儀正しくお辞儀をしてから檀野先輩の横を駆け抜け、その場を後にした。


 ✳︎


 ──昇降口前廊下。


「黒川のやつ、僕に対して……あんな、あんな態度を……。 ふざけるな、ふざけ──」

「ンフッ、見事にフラれちゃいましたねぇ」

「──っ!? お前、香坂こうさかァ……っ!」

だなぁ。 ちゃんと部長って呼んでくださいよ、檀野せーんぱい」

「ふんっ……何か用か?」

「別に用って程でも。 可愛い後輩に野暮な事はしちゃダメって、言いたくなっただけですよぉ」

「……ふん、僕はそこまで暇じゃないんだ。 失礼するよ」

「はーい。 ……ふふ、やっぱり、彼、面白いなぁ。 これからが楽しみだぁ」


 ✳︎


 昇降口を後にしても、さっきの興奮は収まっていなかった。

「なぁ、紫。 檀野先輩のあの顔見たか?」

「うん、見た」

「感想は?」

「満足」

「だよな!」

 言うまでもなく、僕は心は圧倒的勝利感で満たされている。予想外のアクシデントだったとはいえ、あの人の嫌味を吹っ切れたのはそれ程嬉しい事だった。

「ところで、あんな言い方したら怒って追いかけてくるかもしれないよ?」

「そ、それは……」

 あの人の事だから大いにあり得る……短気だしな……。

「もし来たら」

「は、はは、あの人はそんなことをするキャラじゃない! だから、分かってて言ったに決まってるだろ!」

「ふーん、そう」

 紫のジト目が痛い……穴があったら入りたいくらいに……。

「ねぇ、急がなくていいの?」

「そうだな、その前に……ちょっと聞いていいか?」

「何?」

「その……」

 まだ誰にも見せていない完成状態の絵を広げ、紫へ見せる。最初の相手として。

 それが今日支えてくれた紫に出来る最大の礼だと思うから……。

「どうだ? 正直な感想を聞かせてくれ」

「まだまだの出来。 塗りは単調で、色の境目も荒い。 濃淡も意識してない。 だから、ハッキリ言って下手だよ」

「……だよ、な」

「でも、世界で一番、キラキラしてる」

「……うん、だよな」

「私、好きだよ。 真一の──絵」

 その時、強い風が吹いた。

 僕の口から言葉を奪っていくように。

 スルリと。

「真一?」

「……。 じゃあ、また」

「うん、またね」

 紫と別れ、約束の場所へと向かう。少しだけ、遠回りして。

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