君の影に。

チャプター 4-1 part.1

「ん……んぁ……」

　目を覚ますと机に伏していた。

　なんで、こんなところで寝てるんだっけ……。

　確か、昨日は夕飯も食べずに……そうだ、絵を描く事に没頭して、何枚も描いては捨て、描いては捨てて……ようやく納得のいく絵が出来て、そのまま……。

「まずいっ!?」

　すぐさま腕の下を確認する。

　最後の記憶は、絵を描き終えたところで途絶えている。つまり、描いた絵を下敷きにして眠ってしまっていた。なので、絵の安否を確認する為、慌てて飛び起きた。

「ふぅ、良かったぁ……」

　幸い、絵は汚れも折れもなく事なきを得た。

　今日の夕方に、間に合わせる為に描いたのにこんな凡ミスで台無しにする訳にはいかない。本当に焦った。

　だが、そのおかげで完全に目が覚めた。

「五時半か……ん？」

　そういえば、どうして部屋の電気が消えているんだろうか。絵が完成した直後に意識を失ったから電気を消す余裕なんてなかったはず。それに、肩にはブランケットがかけてある。一体、誰が……。

　辺りを見渡すと、すぐに誰の仕業か分かった。

「母さんか」

　机の上には、全てを見透かされているかのように書き置きとトレイが置かれていた。

『ちゃんとご飯を食べて行くこと！ お風呂もね！ P.S.牛乳を飲むのも忘れないでね♪』

　トレイに乗せてあるおにぎりはまだほんのり温かい。どうやら作ってからまだそれ程時間は経っていないらしい。

　……今回は、追伸の使い方を間違えていない──じゃなくて。

「早起き……苦手なくせに」

　口元がムズムズする。それはとても心地よく、朝から良い気持ちで胸がいっぱいになった。

「いただきます」

　しっかりと手を合わせ、おにぎりをいただく。それから朝のシャワーも済ませ、準備万端。無論、牛乳はお風呂上がりに飲み、気合い充分！ で、家を後にしたのだが──。

「おかしいなぁ……野球部っていつもこのくらいに朝練してるから大丈夫だと思ったんだけど」

　不法侵入を完全ガード！ と言わんばかりに固く閉ざされた校門の前で首を傾げる事に。

「もしかして、まだ入れないのか」

　時刻は七時前。朝早くから美術室を利用するべく来たものの……肩を落とす羽目に。

　迂闊だった。クラスメイトの野球部員が朝練が七時開始でダルいとボヤいていたので、早朝から来ても大丈夫と思い込んでいたが、誰も朝練の場所が学校のグラウンドだなんて言ってなかったよな。今もグラウンドには誰もいない。

　そもそも本当に朝練をやっていたんだろうか。うちの野球部は人数も少なくて、かなりの弱小らしいし……やる気がなくても不思議じゃない。

「いや、今は他人（ひと）の事より自分だな」

　さて、どうする。一旦家に帰るのは面倒、というか時間の無駄だ。かといって、ここで時間を潰すのも嫌だし、勿体ない。

　それに、タイムリミットは夕方。こんなところでつまづいてる時間はない。となると……やっぱり、あれしかないか……でもな……。

「おはよう、真一」

「ああ、おはよう」

「今日、早いね」

「まぁな。 ……んっ!?」

　フェンスをよじ登ってでも、侵入するかと悩んでいた矢先。背後からさも当然のように紫から挨拶をされた。もう神出鬼没さにも慣れてしまったせいか、ナチュラルに返してしまったが……なんで紫がここにいるんだ!?

「こんなところで何してるの？」

「それはこっちのセリフだ！」

「なんで？」

「いや、なんでって。 こんな朝早くから学校に来てるのはおかしいだろ」

「でも、真一の方が先にいたよ？」

　た、確かに、紫の言う通りだ。まさか、紫にまとも（？）な事を言われる日が来るなんて……。

　明日は雪でも降るのか。いや、天変地異の前触れ、恐怖の大王の襲来、アトランティスの復活、天界からの使者が来て人類を断罪、AIによる人類統治、未来人からの警告通り大地震が起きるのか、世界が核の炎に包まれ人類滅亡──何が起こっておかしくない。

「…………」

「痛（い）゛っ!?」

　そんな事を考えていると紫に頰をつねられた。前とは違い力がこめられていたので、かなり痛かった。

「な、何するんだよ……」

「何となくつねらないといけないと思った」

　何となくで人に危害を加えるな！ あと、勘のいいやつは嫌われるぞ。言わないけど。

「で、なんで早くから来てるの？」

「それはだな……ちょっと美術室に用があって」

「なら、同じ。 私も美術室に用がある」

　偶然、紫も同じ目的だった。なら、同じ穴の狢（むじな）同士仲良くこれからの事を。

「何してるの？ 早くいこ？」

「お、おう、そうだな」

　校門の横にある来客用の通用門をいとも容易く開ける紫。そうか……そっちは開いてたんだな。

　紫と二人で職員室に向かっている最中。気になったので門の件を聞いてみると、以前に利用させてもらっていたから知っていたとの事だった。しかも、僕とは違い事前に朝から利用出来るか聞いていた、と。

　事情が事情で仕方がなかったとはいえ、ノープラン特攻野郎の自分が少し恥ずかしくなった。

　それを紛らわすようにグラウンドに目をやると息を切らした野球部員達がいた。どうやら外にランニングに出かけていて、帰って来たみたいだった。なんか疑ってごめん。

「それじゃあ、先に行ってて」

　職員室から戻ってきた紫から美術室の鍵を受け取ると、先に美術室へと向かうように促された。どうやら先に済ませないといけない用事があるらしい。なので、一足先に美術室へ向かった。

「…………」

　美術室へ入ると妙な気持ちになった。いつも通りここが埃っぽいのは変わらない。なのに、今日は清々しい気持ちになった。朝の澄んだ空気のせいか、それとも……。

「どうしたの？」

　つい感傷に浸り過ぎてしまったのか。用事を終えた紫に声をかけられてしまった。

「いや、なんでもない」

　そう、これくらいまだなんでもない。

　──ガチャン。

　ロッカーを開けると、一応持ってきたあった絵の具セットが顔を出す。それを手に取るだけで、じわりと手に汗をかいた。

　水道の側に積んである絵の具用のバケツを手に持ち、蛇口をひねる。ただ水を汲んでいるだけなのにソワソワした。

　パレットを広げると、あの日の事が断片的にフラッシュバックし、気持ちが騒ついた。

『黒川の──ない方が──』

『思ってた──なんか色ぬると──』

『──分かる、分かる──』

『──意味ないじゃん』

　心ない言葉、苦しくて、怖くて……逃げ出した。

　でも、

『笑顔になってほしくて』

　今なら大丈夫。伝えたい──気持ちがあるんだ。

　だから、

「もう逃げない」

　例え、上手くなくても。

　恐る恐る絵の具をひとつ手に取り、蓋（ふた）を外す。

　こういうのは、最初の一歩が一番難しい。けど、最初の一歩さえ踏み出せれば、あとは簡単だ……最初の一歩、最初の一歩さえ……。

　高鳴る鼓動を押さえつけるように手に力がこもる。

「くっ……んで……」

　手の震えが止まらない。

「……なんで、なんだよ……」

　気持ちは前向きなのに、体が拒否する。

　それは、手が描くな、描くなと叫んでいるようにも見える。

「ふざけるな、ぶざけるなよ」

　僕は──