チャプター 3-6
朝の教室HR前。机でボーっとしていると前方からやってくる敵影を確認。相変わらずの七三分け、やけに嬉しそうな顔、軽やかな足取りと弾んだ声。
「よっ、今日は機嫌良さそうだな!」
それはこっちのセリフだ、と言い返すか悩んだが、一々青二のノリに付き合っていると疲れる。なので、流れるようにスルーする。
「おい! 無視すんな!」
どうやら選択肢を間違えたようだ。
「なんだ、青二か。 今日も良い天気だな」
「お、おう……なんだよ、いきなり」
「別に」
これも違うのか。青二とのやり取りは実に難しい。
「とりあえず、浮かれてるのはよく分かったぜ。 ところで──スニッケェーズ食うか?」
嬉々とした顔の青二が鞄からスニッケェーズを取り出し、頰に押し当ててくる。
「お腹が空いたらだろ? だから、今はいい」
「……へっ、そうか。 そりゃざーんねん」
「その割には嬉しそうに見えるぞ?」
「気のせいじゃねぇか」
「気のせいな訳あるか」
全く、何年の付き合いになると思ってるんだよ。
「なぁ、青二」
「ん、なんだ?」
「この間、ありがとな」
「…………。 オレ、オマエのそういうトコ好きだぞ」
「は……何言ってんだ、お前」
ちょっとお礼を言っただけなのに……背筋が凍ったぞ。
「おいおい、こういうのは感動的にするもんだろ」
「僕とお前には温度差があるみたいだ。 仕方ない」
「くぅ〜〜、つれぇなぁ」
本当につらいのは、サバ女に熱い視線を向けられる僕の方だ……。
「まぁ、オマエの調子が戻ったなら良いんだけどよ。 ぶっちゃけ羨ましいぜ」
「羨ましい? 何が?」
「オレはオマエとは逆でBADってコトだ」
「変に勿体ぶらずに言えよ」
「はぁ……幸運の女神を落としちまったんだ」
「幸運の女神? 何だそれ?」
「この間、話したろ。 てか、オマエが教えてくれたラッキーアイテムだぞ」
そういえば、雀部ついでにそんな話をしてたような……いや、そっちが本題だったか? 久しぶりにやった賭けで勝ちまくりとか、棒アイス当たったとか、鉛筆転がしも百発百中で無敵、今は誰にも負ける気がしないとか……何を言ってるのか意味が分からなかったし、興味もなかったし、そもそもあの時はそんな気分じゃなかったから聞き流してたが、あれっておすしマンのストラップを手に入れたって事だったのか。
「お前も落とすなんて残念だな」
「オマエも?」
「あ、あの倉井くん」
青二を呼ぶか細い声。声の主に視線をやると黒縁眼鏡におさげ(二本の三つ編み)のいかにも真面目そうな──いや、This is the 委員長と呼ぶに相応しい容姿の女生徒がいた。聞くまでもなく、いつも青二が委員長と呼んでいる子だろう。
「これ……この間、帰る時に落としてたよ。 すぐ渡そうと思ったんだけど……倉井くん、あっという間に行っちゃって」
「おぉ、それは幸運の女神! 拾ってくれてありがとな、委員長!」
その瞬間、僕は言葉を失った。何故なら、委員長から青二へと手渡された幸運の女神──もといストラップに見覚えがあったからだ。
「なぁ、青二」
「ん、どした?」
「それ、どこで手に入れたんだ?」
「道端で運命的な出会いをしたぜ!」
「どこの?」
「オレ達が昔通ってた小学校に続く通りだな」
「…………。 いつだ?」
「幸運の女神に出会ったって、オマエに電話した日に決まってるだろ」
「なるほどな」
「で、なんでそんなコト聞くんだ?」
「都ちゃんもさ、落としたんだ。 同じストラップを」
「へぇ、そりゃ奇遇だな」
「しかも、お前が電話してきた日に」
「な、なるほどなぁ……」
教室は騒がしいはずなのに、僕と青二の間にだけ沈黙が訪れる。季節的には、まだ暑くもないのに青二の額からたらりと汗が落ちていく。それは、一つや二つではなく滝のように流れ落ちていた。
「なぁ、青二」
「そのなんだ」
「…………」
「なんというか、あれだな。 うん、あれだ、あれ。 分かるだろ?」
「あぁ、分かるよ」
「な、ならさ」
グッと手に力がこもり、腕が震える。僕はもう抑えれそうにない。
「いやぁ、ほんと青二はいいやつだなぁ」
放課後、僕は上機嫌で家路を辿っていた。
「まさか青二が拾ってたとは」
──あの後、僕は勢いよく青二に、
『わ、わりっ!』
『ほっんとありがとなっ!!」
握手した。
『まさかお前が拾ってくれてるなんてラッキーだったよ! これで都ちゃんも喜ぶ!』
『お、おう……助けになれてなによりだ』
都ちゃんに忘れないと約束したとはいえ、出来る事ならストラップを見つけてあげたいと思っていた。しかし、落とした日から大分時間も経っているし、日曜日に一日中探しても見つからず、交番にも届いていなかった。それに誰かが拾って自分の物にしている可能性もあった。だから、望みは薄いと半ば諦めていた。
そこへ来た運の良すぎる展開! ご都合万歳! 嬉しさのあまり教室で変な声をあげるとこだった。
「ただいま」
家に帰宅し、真っ先に向かうのは都ちゃんの部屋。まさに翔ぶが如く! 翔ぶが如くっ! 翔ぶが如くっ!! ……うん、ちょっと気持ちが高ぶり過ぎてるな。
まぁ、いくら気持ちが高ぶっても、
──コン、コン、コン。
『今、開けます』
すぐに明るい返事が返ってくる。
その明るい声が、さらに明るくなると思うと、早くドアが開いてほしいと、はやる気持ちを抑えれなかった。
「あ、おかえりなさい。 ……ちょうど良かったです。 お兄さんに見せたいものがあります」
ドアから上半身をひょこっと出した都ちゃんに手を引かれ、部屋の中へと誘われる。そのまま、机の前まで連れて行かれ、
「都ちゃん、これ……っ!?」
心の底から驚いた。
「はい、お兄さんの描いていたあの夕景です」
色鉛筆で描かれた色のある僕の絵──夢で何度も見たあの夕景。そして、色を塗れない僕が一番色を塗りたかった絵だ。
「わたしでは、お兄さんみたい上手には描けませんが」
ずっと、疑問だった。あの日、どうして都ちゃんは僕のお気に入りの場所──展望台へ行ったのか。
「一生懸命描きました」
あそこから見える夕景は僕の絵とよく似ている。
「どうして、これを?」
「お兄さんが教えてくれました。
笑顔の都ちゃんを前に言葉を失ってしまう。
確かに、それを言った覚えはある。だが、誰に、いつ言ったのか……分からない。ただ、確かなのは、あの夕景だけが僕の頭に残っていた。大切な思い出だから、ずっと、ずっと……。
「──っ」
ズキンと頭が痛む。
何か、何かが僕の頭に……流れ、こんで……満たされていく。何だろう、この気持ちは……欠けていたピースをようやく見つけたかのような高揚感、暗闇でロウソクに火を灯したかのような安心感。心の中で、眠らせていた何かが目覚めていく。
そして、目の前にいる君が眩しく見えて──
──夕日の中で、輝く何かに、手を伸ばして。ずっと、ずっと、追いかけて、忘れたくなくて。
"戻ろう、────。"
あぁ、そうか。そうだったんだ。あのキラキラしていたのは──きっと。
「…………」
「お兄さん?」
「ありがとう」
手の中で握りしめていたストラップをそっとズボンのポケットにしまい、膝を折り都ちゃんと目線を合わせる。
「ねぇ、都ちゃん。 一日時間をくれないかな?」
「え、あの、どういうことですか?」
「僕も、君に伝えたい事があるんだ」
「それって」
「だから、明日の夕方、あの場所に来て」
「……分かりました、楽しみにしてますね」
突然の申し出に戸惑う表情を見せた都ちゃんだったが、意を決したように微笑んでくれた。
その後、すぐに自室へ戻り、鞄も上着も乱暴に投げ捨て、荒々しくネクタイを緩め、机へと向かった。
そして、引き出しから画用紙の束と筆記具を取り出す。無論、絵を描く為に、だ。
絵を描き始める前に、高まった気持ちを落ち着かせる為、大きく息を吸って吐く。
「よし!」
いつぶりだろうか。こんなにも絵を描きたいと思うのは。こんなにも時間が惜しいと思うのは。
部屋中に、鉛筆の擦れる音が心地よく鳴り響いた。
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