チャプター 3-1

 都ちゃんとの暮らしは何もかも上手くいっていて順調だった。だから、何の問題も起きる訳がない。勝手にそう思い込んでいた。

「はぁ、はぁ……どこ……どこにいるの……都ちゃん」


 ──遡る事、約一時間前。


 部活を終え、帰宅すると、いつも笑顔を絶やさない母さんが深刻な顔をしていた。それはあまりにも珍しい光景で、僕の声も自然とこわばり、握った手から嫌な汗がジワリと出ていた。

『都ちゃんがまだ帰って来ていないの』

『友達と遊んでて遅くなったとかじゃないの?』

『それはないと思うわ。 いつも一旦家に帰ってから遊びに行くもの』


 いつもと違うとはいえ、今日は何か理由があって帰らず遊びに行っただけかもしれない。それに時刻もまだ十八時半過ぎだった。僕の認識では、その時間帯は帰り始める頃合いだ。つまり、まだ慌てるには早計で冷静に振る舞おうとした。

『十九時になっても、帰って来なかったら探しに行くよ』

 このまま何事もなかったかのように帰ってきて、杞憂で終わってほしいと切実に願った。

 しかし、その願いは叶わず、都ちゃんは帰って来なかった。

 すぐに家を飛び出し、都ちゃんが行きそうな場所を手当たり次第に探した。商店街も、駅前付近も、コンビニも、通学路も、行く訳がないと思う飲食店や喫茶店さえも。

 そして、道行く人にも聞いて回った。どんなに可能性が薄い人であろうと。ついでに、運動公園でソワソワしていた雀部にも聞いたが、有力な情報は得られず、未だに見つけられないでいた。

 この小さな町をこれだけ探しても見つからないなんておかしい。もしかしたら、何かの事件に巻き込まれたのかもしれない。

 例えば、誘拐とか……もっと酷い事だって……可能性は否定出来ない。だとしたら、もう手遅れで……都ちゃんは……傷、ついて……。

 最悪の結末が頭を過る。

「はぁ、あっ、はぁ……う、ぐっ」

 短時間に走り続けたせいか、細い神経のせいか。鈍器で殴られたかのような鈍い頭痛に苛まれ、今にも吐きそうな程気分が悪くなった。

『〜♩ 〜〜♩ 〜♩』

 突如、スマホから着信音が鳴り響く。番号を見ると登録されていないもので、僕は唾を飲み込み、恐る恐る電話に出た。

「……もし、もし……」

『なぁ、聞いてくれよ真一! ほっんとに、ラッキーだっ! 幸運の女神に出会っちまったよっ!』

「そうか、良かったな」

 即座に電話を切り、ため息をつく。

 あいつ、スマホを変えたなら、ちゃんと番号が変わったって言っとけよ!! もしかしたら、誘拐犯からかもしれないと本気で焦っただろっ!! ……冷静に考えると誘拐犯が僕の電話番号を知ってる訳ないし、知ってたとしても非通知でかけてくるよな。わざわざ自分の番号を教えるなんて間抜けな事は絶対にしないよな。

 我ながら余裕のなさに辟易する。

 一旦、ジュースでも飲んで落ち着こう。ちょうど、自販機も近くにあるし。

「今は炭酸って気分じゃ、ないな……」

「あっ、あの時のウザいお兄さん」

 自販機でジュースを選んでいると背後から聞き覚えのある声で不名誉な呼ばれ方をした。振り向くと、そこにはコンビニのレジ袋を持ったサイドテールの少女が立っていた。

 間違いない。あの時、遅刻してまで小学校に送り届けた少女だ。

「君は……炭酸っ!!」

「…………。 ふんっ!!」

「痛(い)っ、だぁっ」

 驚いたのも束の間、眉をしかめた少女に思いっきりすねを蹴られ、容赦のない痛みに襲われる。その痛みは想像を絶するもので辛うじて立つのがやっとだった。

 いや、ほんとに容赦がない……今、ドライブシュートを打つぐらい足を上げてたぞ。しかも、振り下ろす速度もカミソリみたいにキレッキレで……ただただ痛い。

「な、何、するの……」

「あたしのこと、わざと変な名前で呼ぶから」

 決してわざとなんかじゃない。あの時の印象からパッと思い出せたのが炭酸だっただけだ。他意はない。

 だが、そんな事を言っても火に油を注ぐだけなので言わない。あくまで大人の対応だ。別に、もう一回蹴られるのが怖い訳じゃない。

「し、しょうがないだろ。 名前、知らないんだから」

「当たり前でしょ。 あんたみたいなウザいやつに名乗る名前は無いッ!」

「……人、それを『黙秘』という」

「ふんっ!!」

っだぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」

「お望み通り正義の鉄槌を下してあげたわ」

 さっきのダメージがまだ残っているにも関わらず的確に同じ場所を蹴られ、痛みが大爆発する。最早、立つのはままならず膝をつく事に。

 なんて恐ろしいピンポイントバーストをするんだ。この子、出来る……っ! というか、なんで伝わったんだよ。伝わる訳がないと思って言ったのに。こんな小さな子は世代じゃないだろ……僕もだけど。

「ふんっ、このまま黙ってる方がウザそうだから、特別に教えてあげるわ。 里香りかよ」

「へ、へぇ……女の子らしい素敵な名前だね」

「そういうのいいから。 で、お兄さんの名前は?」

「え? 言うの?」

「いつまでもウザいお兄さんって呼ばれたいなら、言わなくていいけど」

「……真一です……」

「素直でよろしい」

 何が悲しくて二回も脛を蹴られた相手に自己紹介する羽目になったんだろうか。さっさとジュースを飲んで都ちゃんを探しに行かないといけないのに……。

「で、僕に何か用?」

「そんなのある訳ないじゃん。 ただ見かけたから声をかけただけ」

 本当に、なんなんだろ。こっちは切羽詰まってるのに……いや、こっちの事情はこの子が知った事じゃないか。それでも、雰囲気とかで察してくれたら……エスパーじゃなきゃ無理か。

 とりあえず、何もないならさっさと話を済ませて、都ちゃんを探しに行かないと……待てよ。そういえば、この子も都ちゃんと同じ小学校に通っている。見たところ歳も近そうだ。

「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「え、だ。 気持ち悪い」

 まだ要件を言っていないのに即座に断られ、シンプルな拒絶が一番効くと痛感させられた……。きっと、言い方が悪かったんだ……言い方が。もっと目上の方にお願いするように丁寧に言えば大丈夫なはず。そう、都ちゃんのように。

「別におかしなことを聞きたい訳ではないんです……お願いします。 この通りです」

 次は、礼節を重んじ、頭を下げてお願いする。小さな子どもに頭を下げるのは、はたから見ると情けなく見えるかもしれないが、都ちゃんの為ならどうという事はない。大切な何かを失くしてしまった気がするが……気にしない、気にしないぞ。

「ふーん、そこまでするなら、まぁ。 で、何?」

「君と同じ学校に白間都ちゃんって子が通ってるんだけど、知らないかな?」

 この子が都ちゃんを知ってて尚且つ探す手掛かりに掴める保証はない。それこそ、針の穴を通すようなものだ。しかし、今は頼れるものには、何にでも頼る。それに、針の穴は『通ればいいな』と願うものじゃなくて気合いで押し通すものだ!

「え、都っ!? ……なんであんたがそんな事聞いてくんのよ?」

「知ってるのっ!?」

「知ってるも何も友達だけど。 それよりあんたと都はどういう」

「ほんとっ! 都ちゃんがまだ家に帰ってこないんだっ! 帰りにどこかへ行くとか言ってなかったっ? 誰かと遊ぶ約束はしてたっ? 何でもいい、本当に何でもいいんだっ! 何か知らないっ?」

「え、ちょっ、ま、落ち着きなよっ!!」

「……あ、ごめん……」

「とりあえず、落ち着いて、状況を、分かりやすく、説明して。 あんたと都の関係も含めて」

「分かったよ」


 ──数分後。


「うわぁ……やっぱり、あんたがあの……。 さすがに、モリ過ぎだわ」

「盛り過ぎ? 何が?」

「別に、こっちの話だから」

 なんだろう、すごくバカにされた気がするんだけど……今はいいか。

「とりあえず、状況は分かった。 ……私も一緒に探す」

 事情を知った里香が有り難い申し出をしてくれた。

 だが、

「その気持ちは嬉しいけど、君も小学生なんだ。 夜に出歩くのは危ないよ。 だから、ごめんね」

 彼女に頼る選択肢はない。

「……ッ」

 申し出を断ると、里香は鋭い目で僕を睨んできた。やっぱり、子ども扱いされるのは癪なんだろうか。もしかすると、友達を助けれなくて憤る気持ちもあるかもしれない。それでも不用意に巻き込んで、この子も危険に晒す訳のはあり得ない。

「へぇ、もう落ち着いたみたいじゃん」

 里香の目つきが元に戻る。なんだ、そういう事か。これは、一本取られたな。

「おかげさまで」

「ふふん、感謝しなさいよね」

 腰に手を当てふんぞり返る里香。全く、親の教育がいいのか、食えない小学生だ。もしかしたら、最近の小学生を甘くみていると足元を掬われるかもしれない。

「探す手掛かりになるかは分かんないけど、帰りにお気に入りの場所がどうのって言ってたよ」

「お気に入りの場所……っ!?」

 そうか、どうして今まで気付かなかったんだろ。いや、あんなところに行く訳がないと勝手に決めつけていた。

「それなら心当たりがあるよ。 教えてくれて、ありがとう!」

「別に……私も都が心配なだけだしぃ」

 照れくさそうに視線をそらす里香。そこは、さっきみたいに腰に手を当て、ドンと胸を張って誇ればいいのに。そういうところは年相応って、意外と可愛いところもあるんだな。

「な、なによ、そのニヤニヤ顔は?」

「別にぃ、なんでもないよぉ」

「ホント、そういうとこムカつくっ!」

 顔をしかめ、怒りを露わにする里香はさておき。有益な情報を得たので一刻も早く心当たりのある場所へ向かおう──と、その前に。

 お金を入れたまま放置していた自販機のボタンを押す。

 ──ピッ、ガタンッ。

「はい、これ」

「わっ!? っと」

 里香は僕が投げた缶ジュースを慌ただしくも無事キャッチした。

「さっきのお礼、炭酸好きなんだろ?」

「そうだけど」

「本当にありがとうね。 じゃっ!」

「あ……ゔー、炭酸なんだから投げんなっ! それに、あたしはサイダーよりコーラの方が好きなのっ! 覚えとけ、この、おおぉ……ヴァッカぁぁぁぁぁぁあッ!!」

 勢いよくその場を後にしても、背後からの怒声はバッチリ耳に入った。言うまでもなくジュースを投げたのはわざとだ。僕だってまだ子どもだ。だから、脛の痛みは忘れない。ささやかな仕返しだ。でも、次に会う事があればコーラでも、何でも奢ってあげるよ。



 足を休めずに走る事、十数分。住宅街の端にある公園から続く一本道を抜け、目的の場所へと到着した。都ちゃんの言っていたお気に入りの場所が、ここだという確証はないが、僕にはここだとしか思えなかった。

 そう、初めて案内したあの場所──展望台だ。

 息を整える事もせずに辺りを見渡すと、古い照明灯のオレンジ色の光に照らされている小さな人影を見つけた。

「はぁ、はぁ……良かった。 ここにいたんだね」

 無事、都ちゃんを見つける事が出来た。一時いちじは、何かの事件に巻き込まれたんじゃないかと心配したが、何事もなくて本当に良かった。

 と、胸を撫で下ろしたのも束の間、都ちゃんの様子がおかしかった。

「お兄……さん……」

 今にも消えてしまいそうな程か細い声。しかも、体は震えている。辺りが薄暗いせいか、表情はハッキリと見えないが、今にも泣き出しそうなのは分かった。

「どう、したの? 何か……あったの?」

 震える唇を何とか動かして尋ねる。今、頭の中は最悪なイメージに支配されている。もう手遅れだったんじゃないか……既に事は起き、都ちゃんは傷ついた後なんじゃ……。

 ただの憶測に過ぎないが、ゼロじゃない可能性が僕の胸が締めつけ、息が詰まりそうな程痛む。僕が冷静ぶって三十分待つなんて言うから……もっと早くに、ここへ来なかったから……。

「ぁ、う……うぅ……わたし……」

 まるで、最後の審判の時を迎えたかのように、胸の鼓動が激しく鳴り響く。

 頼む、それだけはやめてくれ……お願いだから。

 生まれて初めて心の底から祈った。今まで、神を信じていなかった自分を悔いる程に。もし事なきを得れたら心を入れ替えて神を信じる程に。

 そして、都ちゃんの震える唇から衝撃の言葉が放たれた。

「お兄さんから、いただいたストラップを……失くしてしまいました……」

「スト、ラップ」

 最初、都ちゃんが何を言っているのか分からなかった。

「気づいたら……なくなってて……」

 しばらくしてから、その意味を理解した。

 すると、自分の中で何もかもが停止していくような感覚に襲われ、心に何かがふつふつと湧き、頭がかき乱されていった。

「ずっと、一人で……探してたの? 」

「……はい」

「こんな時間まで?」

「その……必死で ……気が、つかなくて……」

「そう、なんだ」

 それは単なる確認だった。

「……ねぇ、今日はさ、帰ろうよ。

「ダメですっ!」

 都ちゃんは、強く、激しい声を出してから、

「あれは……あれだけは、失くしちゃ……ダメなんです……」

 その場で力なく項垂れた。

 それに対して僕は何も言えず、しばらく沈黙が続いた。

「…………」

「…………」

 都ちゃんの口から言葉が出てくるのを待ってみたが、その気配はない。悲しいくらいに。

 とうとう僕は沈黙に耐えられなくなり、ベンチに置いてあったランドセルを肩に掛け、都ちゃんの手を取る。

「帰るよ」

「……あ……」

 そのまま歩き出すも、都ちゃんは小さな体で精一杯踏み止まろうとした。

「何してるの?」

「まだ……見つかってない、です」


 ──やめろ。


「だから?」

「探さないと」


 ──もうよせ。相手は、子どもなんだぞ。


「どうやって?」

「それは……」


 ──少し熱くなっているだけだ。そんな風に追い詰めるな。


「こんなに暗いんだよ」

「それ、でも……」


 ──そんな事をしたって何にもならない。あとで、後悔するだけだ。


「母さんも心配してる」

「け、けど」


 ──だから、やめろ。やめてくれ。


「それに……たかがストラップだよ」

 その一言が彼女にとっていかに残酷なものかは分かっていたが、口にしていた。何の躊躇いもなく、それが出来たのは自分でも怖いくらい気持ちが冷めているからだ。まるで冷血の仮面を被っているかのように。

「ぁ、う、ぁぁ……っ」

 照明灯のオレンジ色の光と混じるように都ちゃんの瞳が潤んでいく。絵の具を混ぜ合わせているように。ゆっくりと。

 だが、それはただ悲しんでいる訳ではない。目が少しずつ鋭さを増していく──といってもチワワが頑張って睨みを効かせようとしているのと変わらない。しかし、怒りの色はちゃんと備えていた。

 そして、それは態度にも現れる。都ちゃんが握る手に力をこめていく。それが何を意味するのか分からない僕じゃない。だから、熱く、激しく燃え上がっていく彼女とは対照的に冷たく、静かに凍えていく。

「たかが、じゃないです……あれは……あれは大切なっ!」

「やめてよ」

「えっ?」

「手間、かけさせないで」

「……あ……ぅ、あ、ぁ……あぁ、あ゛ぁ……ゔぁわぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん」

 淡々とした口調で厳しい言葉を突き付けると、都ちゃんが堪えていた大粒の涙は瞬く間に溢れ、辺り一帯に赤子のような泣き声が鳴り響く。

 ──ズキンッ。

「…………」

 まただ。また痛む。

 ──ズキンッ、ズキンッ。

「……ッ……」

 どうして、彼女の涙を見るとこんなにも頭が痛むのだろうか。どうして、無力感を感じるのだろうか。どうして、こんなにも彼女の事が。

 ──ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ。

「……行くよ」

 しかし、そんな事には構わず強引に手を引き、家に連れ帰った。その最中、人通りが多くなると、泣くのを抑えてくれる気づかいと泥で汚れた手に、心が引き裂かれるようだった。凍りついたまま。


 ♪


 -都の日記-


 4月25日 お兄さんの……バカぁ……。

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