チャプター 2-6 part.2(side.都)

「んぅ……」

「なぁ、ミヤコー。 朝からなんかあったのかー?」

「何か悩みがあるなら聞くわよ」

「右に同じく」

「みんな、実は──」

 朝から机に伏して唸っていた私を心配してくれた友達の邦美くにみ数恵かずえ英子えいこに、今朝の事を相談してみました。お兄さんを喜ばせたい件も含めて。

「ミヤコ。 ホントお兄さんのこと」

「しっ! 邦美、それは言っちゃダメ! 都はピュアなんだから!」

「でもさぁー」

「ズエの言う通り。 ミャーコが自分で気付くまで言わない方がいい」

「エーコまで。 はぁ、分かったよ」

 二人は何やら私の事を気づかってくれたみたいだけど……どういう事か全く分かりません。私がピュア? 気付く? 何の事だろ?

「あー、とりあえず、ミヤコ。 それじゃダメだっ!!」

「え……なにがダメだったの?」

「いいか? 朝起こしてもらって喜ぶ男なんていない。 タオルも、醤油も気が利く程度にしか思われない。 百歩ゆずって、ここまではまだいい。 問題はその後……靴をあっためるって、そんなの喜ばれた方が困るわっ!! 少なくともワタシはだっ!!」

 腕を組み、容赦なくダメ出しをする邦美を前に、開いた口が塞がらない。

「そ、そんな……前に読んだ本では靴を暖めて喜ばれてたのに……」

「ノブナガはもういない。 忘れろ」

 別に信長さんは関係ないんだけど……言っても仕方ないよね。

「そもそも冬じゃないから喜ばれない」

 さらに、英子の追撃。なんだか胸が針で刺されているみたいにチクチクと痛んできました……。

「いや、そういう問題じゃないから」

「へー? 違うの?」

「普通に引くだけよ」

 冷静に英子へツッコミを入れる数恵。その瞬間、頭の中に稲妻が走り、胸のチクチクはチクチクを超え、大爆発。まさにロウリングクラッシュ!! 言わずもがな大ダメージです……。

 引く……引くって……気味悪がられたって事だよね? 確かに……今、思い返すと玄関でのお兄さんの顔……引きつってた。

「どうしよう……お兄さんに変な子って思われたのかな……」

『まぁ、うん』

 三人の声が一斉にハモり、自分のしでかしたミスに頭を抱えてしまう。

「うぅ、どうしよう、どうしよう、どうしよう……ただ喜んでほしかっただけなのに」

「落ち着きな、ミヤコ。 アタシ達がいるだろ?」

「……邦美ぃ……」

「一緒に、ミスを帳消しにするいい方法を考えてあげるからさ」

「うぅ、ありがとう」

「ふふん、いいってことよ!」

 やっぱり、持つべきものは友達。ピンチには助けてくれる! みんなと友達になれて本当に良かった。

「それじゃあ、邦美は何をしたら喜んでくれると思う?」

「それは……」

「邦美?」

「か、カズエっ! 何か言いたそうだね!」

「はぁ、アンタねぇ……。 じゃあ、手作りクッキーを渡すとかは?」

「手作りクッキー。 そういえば、お母さんに聞いたことがあります──」

 それは、古来よりクラスメイト間で仲良くなる為に用いられた対人用親睦スイーツ。親交を深めたい相手に贈れば、あっという間に旧知の仲のようになれたそうです。

 その歴史は深く、とある国の王族間で行われていたのが始まりだとか。その文化が日本に伝来したのは、およそ二百年前、とある宣教師によってもたらされました。

 当時、西洋文化は禁止されていたので日本の文化として根付く事はありませんでしたが、隠れキリシタンやその文化に感銘を受けた大名達によって脈々と受け継がれ、現代に至る。

 そして、その想いは千九百九十年代。全ての教えを受け継いだ一人の中学生によって全国へ広まり、数多くのぼっちを救済した。まさに聖書の預言のように。

 特に、女子から男子へ送るクッキーは、絶大な効果を発揮し、親睦の階段を一気に駆け抜け、生涯の友になると言われています。ただし、迂闊にクラス一の人気者に渡してはいけない。

「──と」

「うん。 都、それからかわれてるわよ」

「お兄さんも男子です! つまり、手作りクッキーを渡せば喜んでくれるに違いありません!」

(どこからツッコんだらいいか分からない。 けど、それより……ナチュラルに無視されるんだ、私)

「だから、やってみようと思います!」

「えぇー、手作りクッキーって。 今時、低学年だって喜ばないでしょ」

「文句を言うなら、代案を出しなさいよ」

「アタシもクッキーがいーとおもいまーす」

「アンタって、本当にアテにならないわね」

「ふっふっふっ、みんなまだまだ青い。 そんなモブに毛の生えたような考えではダメ」

 話がまとまりかけたその時、真打ち登場と言わんばかりに英子が声を上げました。

 ところで、なんで英子は人差し指を額に当て、空を見上げるように仰け反ったポーズをしているんだろう? 何か意味があるのかな?

「いいみんな、ワタシたちじゃ一人でクッキーを作ることにはならない。 きっと、母が手伝ってくれる。 だから、手作りクッキーとは言わない。 それは、ただの母のお手伝いクッキーっ!!」

「びっくりするくらいどストレートなネーミングセンスね、これならまだ邦美の方がマシに見えるわ。 第一クッキーくらい一人で作らせてくれるでしょ」

「確かに……英子の言う通りです……」

「都っ!?」

 抜かっていました……手作りクッキーとは一人で作るもの。まだ幼くて一人で作れない私は紗枝さんに頼る事になってしまう。そうなれば、褒められたとしても、あくまで紗枝さんのおかげ。私が喜ばせた事にはならない。

「……また振り出しです……」

「振り出しじゃない。 ワタシに名案がある」

 落ち込む私の肩に手を置き、優しい笑顔で名案という希望を与えてくれた英子。その眼差しはアメリカのヒーローのように力強く、牧師さんのように私の不安をかき消してくれた。

「ねぇ、それってなに?」

「それは……」

 しばらく間を空けてから英子が出した名案は、

「一緒にお風呂に入ればいい」

 想像を絶するものでした。

 一緒に、オフロ……? オフロ……オフロって何だろ……英語かな、フランス語かな、イタリア語かな。それとも、響き的にドイツ語かな……? そういえば、オフロスキーって単語を聞いたことがあります。語感がいいですよね。さて、間違っても日本語じゃ、ない……よね?

「あ、あのね、英子……その」

「さらに、背中を流せばバッチリっ」

「むむ、無理だよっ! お母さんとだって五歳までだったのに! この歳で誰かと一緒にお風呂なんて……恥ずかしいよぅ」

(ミャーコ的にはそっちが問題なんだ。 なら、もう一押しすれば……必ず、やるっ!!)

 自信満々な顔をした英子に肩を掴まれ、真っ直ぐな瞳で見つめられる。

「ミャーコ、聞いて。 とあるバンドアニメを見て、ワタシの兄は言いました。 我が家にも一緒にお風呂に入ってくれる妹がいれば最高だな、と」

 どうして、今そんな事を……というより、だからなんなんでしょうか……いくらそんな事を言われても恥ずかしくて無理なのに……。

『……ふ、くふ……』

 あと、なんで邦美と数恵は必死に笑いをこらえているのかな……。

「ミャーコなら絶対にお兄さんを喜ばせれるよ」

「で、でも……」

 お兄さんと一緒にお風呂。そんなのイメージするだけでも顔が熱くなるのに、本当にやったら……恥ずかしさで心臓が爆発しちゃいます……。

「ぷふっ、エーコの兄貴ってオタクだもんね」

「それを妹に言っちゃうって、くふっ」

「もしかして、二人とも英子のお兄さんを知ってるの?」

「まぁ、少しね。 見た目は怖いけど、ただのオタクだよ」

「えぇ、ただのオタクよ……ぷっ」

『あははははっ!』

 二人の笑いようを見る限りお兄さん──どころか、一般の方と感性が大幅にかけ離れているような……そうだ、これならっ!

「ねぇ、英子。 もしかして、英子のお兄さんが特殊なだけで、普通は喜ばれたりしないなんてことはないかな?」

「これは男のピュアな欲求だからみんな共通って言ってた。 だから、大丈夫。 問題ない」

 それは絶対に嘘……だと思いたいです。

「ミャーコ、大丈夫。 ワタシを信じて」

「うぅ……」

「はよー。 朝から、なにサワいでんの?」

 英子に言い包められそうになったその時。一番頼りになる人が来ました。

里香りか、おはよう! 今日は遅刻じゃないんだね!」

「都、あんたね。 あたしだって毎日遅刻するわけじゃないからね。 抜け道だってあるし……」

「ん、里香?」

「なんでもないよ。 で、どしたの?」

 さっき小声で何か言っていたような気がするけど、今はそんな事より英子を止めてもらわないと。

「あのね──」

 里香に事の経緯を簡単に説明しました。里香は見た目が派手だけど、この中では一番の常識人です。だから、困った私の事を助けて、

「あっははは、何それウケる。 やっちゃいなよ」

 くれませんでした。

「里香ぁ……」

「大丈夫だって。 都、可愛いから」

「そういう問題じゃないです……」

「それに朝の失敗を帳消しにするには、それぐらいインパクトのあることしないと無理だと思うよ?」

「それは……そう、かもしれないけど……」

「だから、ね?」

「…………」

 そんな無理のある理論を整然と説かれたって私は言い包められません。お兄さんと一緒にお風呂なんて絶対に、絶対に無理ですっ!!



「お風呂沸いたみたいだよ。 都ちゃん、先に入る?」

「…………」

「都ちゃん?」

 夕食を終え、リビングでお兄さんと一緒にテレビを見て過ごすこと一時間。ついに、この時が来てしまいました。いつもならお兄さんも私も自室で過ごすところを自分から誘い、機会を作りましたが……ほ、本当に、一緒にお風呂に……。

「どうしたの? もしかして、まだテレビ見てたい?」

「ひゃっ!?」

 黙り込む私を心配したお兄さんに顔を覗き込まれ、つい取り乱してしまう。うぅ、まだ言う前なのに……。

「ご、ごめんっ! 驚かせるつもりはなかったんだけど、その……何かしちゃったかな?」

「いえ、そういうわけじゃなくて……うぅ」

 私がウジウジしたせいで、お兄さんが困った顔を……私はただ……お兄さんに。

 胸の前でぎゅっと両手を握る。

 お兄さんをこれ以上困らせない為にも、覚悟……決めないと! アイキャン、えーと……オーフェン! オーフェン! あれ? ちがうかな……えと、あっ! ゴー! アイキャンゴーです!

「あ、あの……わ、わわ、わ、わたしと……い、一緒に、お、おふ、おふ……」

「おふ?」

「お風呂に入ってくださいっ!!」

 い、言ってしまいました……お兄さんは……。

「…………」

 黙り込んでる。やっぱり、一緒にお風呂なんて……ダメですよね。

 と、諦めたその時、

「うふふー、シンちゃーん。 聞こえたわよー♪」

「か、母さんっ!?」

 さっきまでダイニングテーブルでノートパソコンを使っていた紗枝さんがいつの間にか、お兄さんの真後ろにいました。

「キ・モ・チ。 これで分かる?」

「な、何言ってるの! 相手は」

「んー?」

「……はい、分かります……」

 二人が何の話をしたかは分かりませんが、その後はトントン拍子で事は進み、お兄さんとお風呂へ。流石に、着替えまで一緒にする訳にはいかないので、先にお兄さんに済ましてもらい、後から私です。

 ──シュル、シュッ、ストン。

 こんなにも服を脱ぐのが恥ずかしいと思ったのは生まれて初めてです……顔がぽうっとして熱い。

「……よ、よし……」

 しばらく心の準備をしてから中へ。

 ──ガチャリ。

 お風呂場の床に足が触れると、やけに冷たく感じ、足元から熱を奪われていくような感覚に襲われる。そして、そのせいか、足を持ち上げるのに少々苦労し、生まれたての子鹿のように震えました。

「し、失礼します」

「う、うん。 どうぞ」

 蛇口からピチョン、ピチョンと雫が溢れ落ち、それに呼応するように胸が高鳴る。先に入ってもらっていた水着姿のお兄さんを目にすると、それはさらに加速しました。無論、私も水着ですが……それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいです……。

「それじゃあ……お願い」

「は、はい」

 お兄さんの手からボディソープとボディタオルを受け取り、泡立てる。それはお兄さんの背を流す為で、言うまでなく英子を信じたから──これで喜んでもらえると。

 小さく深呼吸をしてから恐る恐る大きな背にボディタオルを押し当て、上下に擦る。

 ──ジャッ、ジャッ、ジャッ。

「どう、ですか? 気持ち……いいですか?」

「え……と、うん、すごくいいよ。 はははぁ……」

「よ、良かっ、ひゃです……」

 ここまでは、まだ何とか。でも、この後に……。


 ──あの後、お昼休みに里香からさらなる提案がありました。

『い、今なんて……っ!?』

『だから、タイルで滑ったフリして後ろから抱きつくんだってば』

『うぅ、そんなの出来る訳ないよ……そもそも、まだやるなんて……』

『やったら喜ぶと思うけどなー』


 本当にそれで喜んでくれるのかな。今も喜んでくれているというよりは……。

「……変ですか……?」

「えっ」

「いきなりこんなことをお願いして……変な子って、思いましたか……?」

 声が震える。もし今朝と同じで引かれていると思ったら、今にも泣きたくなった。 私は、ただ喜んでほしいだけなのに……。

「…………。 ちょっと冷えたから湯船につかろっか」

「……はい……」

 二人で入るには少々窮屈な湯船ですが、先に入ったお兄さんが足を開いてスペースを確保してくれていたので、そこへ座り込みました。勿論、向かい合わせは恥ずかしいので背を向けて。

 私が黙り込んでいるとお兄さんの方から話題を出してくれました。さっきの紗枝さんとのやり取りの事、『裸の付き合い』の事を。

「ほんと無茶苦茶だよね」

「ふふ、ですね」

「他にもね」

 それからお兄さんと他愛ない話を続けました。それは、とても楽しくて、不安になって今にも泣きそうだった心がどんどんほぐれていきました。

 そして、今朝の話へ──。

「今日さ。 朝から都ちゃんの様子がいつもと違って変だったから、ずっと心配してたんだ」

 さっきよりも優しい声で話すお兄さん。今朝の事、やっぱり、変だって思われてたんだ……。なんだか、急に胸が締め付けられているみたいに痛く、なってきました……。

「それを青二に相談したら愛されてるって言われた」

 でも、それも束の間。

「あ、愛っ!? わたしが、お兄さんを……うぅ」

「話が飛躍し過ぎだよね。 でも、一理あるって思ったんだ」

 い、一理ある!? つまり、お兄さんは、私に愛されてると思って……そ、そそ、そんな事がっ!?

「なんていうか。 兄妹愛みたいなものはあるかなって」

「……兄妹、愛ですか……」

「うん。 だって、全部僕のことを想ってしてくれたんでしょ?」

「はい……いつも優しくしてくださるお兄さんに喜んでほしくて……」

「それって兄と妹みたいだよね。 あの時の言葉が本当になったみたいだよ」

 兄と……妹……あの時の言葉。

「それで、都ちゃんが本当の妹みたいで嬉しいなって思ったりして」

「……っ」

 その一言に、きゅっと唇を噛みしめる。

 お兄さんは、あの時の事を覚えていない。それでも、今のお兄さんもあの時と変わらない優しいお兄さん。だから、思い出せなくてもいい。ずっとそう思っていた。いや、そう思い込もうとしてきた。

「へ、変な話だよね! 第一ひとりっ子なのに兄と妹みたいって」

「変じゃないです」

 けど、

「私にとっては、ですから」

 あったはずのものがないとどうしようもなく寂しい。胸にぽっかりと穴が開いたみたいで……嫌な気持ちになる。


 ♪


 -都の日記-


 4月24日 お兄さんとお風呂に入って分かりました。私が本当に望んでいたことを。

 今のお兄さんも優しいお兄さんです。でも、あの時のお兄さんに会いたい……私を思い出してほしい。私がそう思うのはおこがましいことです。けど、それでも……嫌、なんです。だから、伝えるんです。お兄さんの教えてくれた方法で。

 きっと、思い出してくれると信じています。だって、忘れていても、あの夕景を描いていましたから。

 それに……私には、イメージ出来ています。

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