チャプター 2-5
学校から帰宅し、リビングへ入ると都ちゃんが僕を待っていた。
「あれ? 母さんは?」
「お兄さん、これ」
都ちゃんから手渡されたのは母さんからの書き置き。
『急に
相変わらず、きゃぴきゃぴしていた……。
「またか」
最後のは、どう考えても必要ないと思うが、一々気にしてられないのでスルーだ。どうでもいいが、今回はイラストがなくてホッとした。
さて、文面を見る限り、どうやらまた父さんから──いや、正確には父さんの同僚から呼び出しがあったみたいだ。
研究職の父さんは、泊まり込みが多く、滅多に家に帰ってこない。そして、恐らく母さんが呼ばれたのは生活面で問題が起きたからだろう。昔から父さんは研究に没頭すると生活面が壊滅的になる。ご飯を食べないのは当たり前、身だしなみなんて言うまでもない。そのうえ、研究以外の話は聞かない。それに危機を感じた同僚が母さんに頼る。いくら研究に没頭した父さんでも母さんの話は聞くからだ。色々な意味で。
とりあえず、状況は分かったので冷蔵庫の中を確認してみると、食材は殆どなかった。今回は買い物へ行く前に呼ばれたらしい。まぁ、イラストを描く暇もなかったようだし当たり前か。
つまり、晩ご飯を任せるとは好きに済ませてくれという事か。
「それじゃあ、今日は外に食べにいこっか」
「へ……っ!?」
外食を提案しただけなのに驚く都ちゃん。それは某番組で濁った池を水質浄化剤で綺麗にしてもらった時の現地の人みたいだった。
一体、どうしたんだろうか?
「もしかして、外食はあまり好きじゃない?」
「い、いえっ! そういう訳ではなくっ! その……あまり行ったことがないので」
「あ、そうなんだ」
恥ずかしそうに頬を染める都ちゃん。俯きながら人差し指を擦り合わせる様子を見れて、ちょっと感動だ。
それはさておき。外食をあまりした事がないなんて珍しい。それ程、白間家では食への拘りが強いんだろうか。まぁ、お米の件を考えるとなきにしもあらずだ。もしそうだとしたら……。
突如、頭の中で悪魔の囁きがして、少し意地悪をしたくなってしまった。
「どうする? 自炊のがいいなら何か作るけど?」
「えっ!? えーと、それは……その……」
分かりやすく慌てふためく都ちゃん。その様子から内心はどうしたいのか容易に分かる。いや、都ちゃん風に言うと容易にイメージ出来る。
そう、あまり外食に行った事がないのなら、行ける機会があれば、すごーく行きたいはずだ。
「都ちゃんの好きな方でいいからね」
「あ、ぅ、そんなぁ……ぁわわ……」
そして、遠慮しいな性格の都ちゃんは、両手を胸の前で握りしめ、当然のように軽くパニック状態になる。
それはあざとさを売りにしているアイドルが裸足で逃げ出してもおかしくない程あざと可愛い。きっと、外食したい気持ちと遠慮する気持ちがせめぎ合ってるんだろうなぁ。
さっきから、こっちを見ては目を伏せ、こっちを見ては目を伏せてを繰り返している。相当悩んでいるのが伺える。
何だろう。この胸がポワポワする感じは……ついニヤけてしまいそうになる。
「どうする?」
「ぁ、うぅ。 その……お兄さんとなら。 外が、いい……ぇす……」
「うん、分かったよ」
「ふあぁっ! う……あ……っ!?」
「それじゃあ、着替えてくるから、ちょっと待ってて」
「……ん、ん……」
リビングを後にし、自室へと向かう。そして、自室へと入ると真っ先にベッドへと倒れ込み、
『──っ!!』
枕で声を殺し、めちゃくちゃシャウトしたっ!!
何だ、何なんだ、あの可愛い生き物はっ……! 顔を真っ赤にしてっ! 上目遣いでっ! しかも僕とならって、僕とならって……っ!!
最後も、笑顔を輝かせてから我に返って、口元が緩んで笑窪くっきりなのを必死に隠そうとして俯きながらコクコク頷いて……。
あぁ、もう本当に、子どもって可愛いなぁ。可愛い過ぎるよ。ちょっとした出来心だったけど、良いものが見れたなぁ……。
しばらく余韻に浸ってから体を起こし、机の引き出しを開ける。
「さて、ヘソクリは確か、ここに……」
今なら、あの時の紫の気持ちが分かる。僕も紫のように都ちゃんを愛でれたら、無限にナデナデしているところだ。しかし、僕がそれをすると有毒廃液に突っ込むぐらい真っ青なエンディングを迎える事になる。だから、別の形で示そうと思う。今夜は好きなものを好きなだけ食べてもらおう。ちょっと意地悪をしてしまったお詫びも兼ねて。
この小さな町では、外食の出来る場所は限られている。駅前にあるファーストフード店の『バーガージャック』、商店街にあるラーメン屋『天下人』、昔ながらの懐かしい味(家庭料理)を売りにしている食堂『味庵』。そして、チェーン店のファミリーレストラン『full eat』だ。都ちゃんの好みをはっきりと把握している訳ではないので、今日は『full eat』で済まそうと思う。
この店は、その名の通りいっぱい食べれる(食え)のを売りとしている。丼物の大盛りが無料だったり、セットによってサイドメニューが食べ放題になる。さらに、和洋中の様々なメニューを取り揃えており、客のニーズに幅広く応えてくれる。あと、値段設定も学生の財布に優しい。
「ふあぁーっ、種類がたくさんあります! すごいですっ!」
「好きなのを頼んでくれていいからね」
メニューを見ただけで瞳をキラキラさせる都ちゃんを見ているとここに来て良かったと心の底から思う。しかし、この完璧そうなお店にも少々問題がある。
「へいっ、おまち! 当店自慢のフライドポテトだぜ!!」
それは、よく知っているやつが働いている事だ。
「青二。 まだ何も頼んでないぞ」
「ふっ、オレからのサービスに決まってんだろ。 言わせるなって!」
ばっちり両目を瞑る青二。ウィンクが出来ないなら無理にやろうとするな。ただの忙しない瞬きになってるぞ……雑なボケのツッコミ待ちかもしれないから言ってやらないけど。
「んじゃ、決まったら呼んでくれ」
「おう、ポテトサンキューな」
青二が厨房へ戻った途端に、何やら厨房が騒がしくなった。あいつ、もしかして無断でポテトを出したのか? まぁ、何にせよ悪いのはあいつだし、気にせず厚意に甘えておこう。骨ぐらいは拾ってやるからな。
「あ、あの決まりました」
「なら、呼ぶね」
呼び出しのボタンを押し、青二を呼ぶ──というか、勝手に青二がやって来た。丁度いいから、特に気にしないけど。
「ご注文をどぞっ!」
「オムライスセットで」
「わ、わたしはハンバーグセットで……ライスは……な、並で……ぉねがい、します……」
「…………」
「ハイ、ハーイっ! かしこまり!」
「青二。 あと、レモンだ」
「おっ、りょうかーいっ!!」
注文を受けた青二はチャラそうな敬礼をし颯爽と厨房へと戻る。それを確認してからスマホでメールを打ち、送信した。
「あのお兄さん、レモンって? そんなのメニューにありましたか?」
「え、ポテトにかけようかなって。 はははぁ」
「ポテトに……レモンですか?」
「あっ、えーと……飲み物取ってくるよ! 何がいいかな?」
「じゃ、じゃあ、オレンジジュースでお願いします」
「うん、分かったよ! ちょっと待っててね!」
「は、はい。 ん……?」
慌てて席を立ち、ドリンクバーへと逃げる。
ふう、焦った。まさか、レモンに食いつかれるとは思わなかった。
勿論、さっきのレモンは本当にレモンが欲しいって意味じゃなく暗号だ。昔、二人で某スパイドラマにハマった時に作ってしまった──いわゆる若気の至りだ。アップルが危険、バナナが逃げろ、オレンジが安全、そしてレモンが緊急事態・連絡だ。他にも、ストロベリーとか、グレープもあったけど、その辺は忘れた。
要は、都ちゃんにバレないように僕のメールをすぐに見ろと伝えた。その理由は、ある頼みをする為に。
「あのお兄さん」
「どうしたの?」
「これ並ですよね? ご飯多いような……」
「ここだとそれぐらいが普通じゃないかな」
「そう、なんですか……?」
勿論、それは嘘だ。僕がメールでライスを大盛りに変更してくれと伝えておいた。気持ち多めも、ついでに。
数日とはいえ、都ちゃんの食べっぷりは知っている。いつもご飯を二杯は必ず食べているのに、ライスが並でいいなんてあり得ない。遠慮をしているのは丸わかりだ。今日は、都ちゃんに好きなものをお腹いっぱい食べてほしいと思っている。『full eat』だけにっ! そのまんまだな……口にチャックをつけておいて良かった。
気を取り直して。だから、今日は遠慮をさせない。お腹いっぱい食べてもらう。
「まぁ、盛り付けは人のやる事だからね。 多少のミスはあるよ。 だから、お腹いっぱい食べてね」
「は、はいっ!」
ハッとした顔をしてから、にっこりと笑う都ちゃん。余計な一言で手を回したのがバレてしまったかもしれない。でも、それはそれでいい。
その後、都ちゃんは遠慮せず好きなデザートを頼んで、目一杯喜んでくれたのだから。
✳︎
「うふふー」
「……ご機嫌だね、母さん」
「あら、やっぱり分かるー?」
「まぁね、そりゃ」
帰ってくるなり、ずっと幸せオーラ満開でニコニコしているのだから嫌でも分かるし、何があったかも大体察せる。
「今日ねー、繁さんとお風呂入っちゃったー♡」
「……そう、良かったね」
いつも通り、父さんと
といっても、いつも笑顔が絶えず話しているとか、出かける時はいつも二人一緒とか、スーパーのレジ袋を片方ずつ手に取り二人で持ってて微笑ましいとか、見かけた人が幸せそうな夫婦と感じるくらいで──外では比較的まともだ。
だが、家ではとんでもないイチャラブバカップルだ。キスは挨拶(息子の前でも)、ベタベタくっつくのは当たり前、やたらとお互いを褒め合うし、寝る時なんて……本当に自重してほしい。そんな両親の唯一の救いはペアルックをしない事ぐらいだ。
ともかく、うちの両親は超がつく程甘々な関係で甘過ぎて『あまーい!』と叫ぶのもバカらしくなる。今みたいに父さんが忙しくなる前は、毎日一緒にお風呂に入っていたからか、たまに一緒に入れると大喜びする。
「でね、繁さんったらー」
「待って、母さん。 世の中には言わぬが花って素敵な言葉があるんだ」
「私は花より団子派だからいいのよー」
何となく言いたい事は分かるが、それは絶対に間違っている!
「頼むから、僕の血糖値を上げないでよ」
「えぇー、良い話なのにー」
「そんなの関係ないよ」
良い話だろうと両親のイチャラブを聞く息子にかかる負担は、果てしなく重い。せめてもの慈悲をいただきたい。
「あのね、シンちゃん。 日本には裸の付き合いって言葉があるのよー?」
「それ精神的な意味合いの言葉だよ」
「細かいことはいいじゃない。 裸なら本音を語り合えるのは一緒よー」
「それはキャベツとレタスぐらい違うよ」
「もう……あ、シンちゃんもやってみれば、きっと分かってくれるわー!」
「……ソウダネ、ウン」
母さんと話して、やや呆れていると、
──ガチャリ。
ドアが開き、パジャマ姿の都ちゃんが入ってきた。
「お風呂上がりました」
「それじゃあ、母さん。 惚気るのも程々にね。 都ちゃんがいるんだから」
「むぅ、はーい」
年甲斐もなく膨れる母さんを横目にリビングを後にする。そして、お風呂場へと向かう。すると、洗面所のドアに手をかけるのと同時に後ろから声をかけられた。
「あの!」
「どうしたの、都ちゃん?」
「……んと…ですね………お、お……にぃ。 お……ぁ、うぅ……おやすみなさいっ!」
「え……うん、おやすみ」
都ちゃんはおやすみの一言を言い終えると慌ただしい様子で二階へ駆け上がっていった。途中で『ひぅんっ』という声とともにガタ、ゴッ、ドンッと何かがぶつかるような音がしたが、階段で転んだのだろうか。大丈夫かな、ちょっと心配だ。
「ねぇ、都ちゃん」
「だ、大丈夫ですっ!」
心配して様子を見に行こうとしたら、それを制止するように都ちゃんとは思えない大声が返ってきた。本人もああ言ってるし、大丈夫か。
ところで、さっきの都ちゃん可愛かったな。耳を真っ赤にして、恥ずかしそうにモジモジして、困ったような瞳は一昔前のチワワのCMよりグッとくるものがあった。これはもう可愛すぎて今すぐにでも絵にしたい気持ちに──ん、絵にしたい?
「……はは、何考えてるんだろ。まるで、昔の自分に戻ったみたいだ」
そんな事、絶対にあり得ないのに。今の──色を塗れない僕じゃ。
♪
-都の日記-
4月23日 今日はお兄さんと2人でご飯に行けて良い一日で終わるはずだったのに最後の最後にミスをしてしまいました……。
いつもお世話になっているお兄さんに『お礼をしたいです』って言いたかっただけなのに……恥ずかしがって……ちゃんとお礼したいのに……。
ううん。気を取り直して、明日頑張ります。
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