チャプター 2-1

 朝、教室へ入るとクラスメイト達がざわつき、妙な視線を向けられた。それは、まるで教室にパンダが現れたかのような驚きと弱者を蔑むような冷たい視線。どうして、そのような反応と目を向けてくるのかは分からない。だが、居心地が悪いのだけは確かだった。

 さて、僕は他人から注目を集めるような美形でもなければ、愛想が悪くてジメジメもしていない。それに、いきなりいじめを受けるような事をした覚えもない。そもそもうちのクラスは草食動物のように穏やかな人ばかりでそんな事をする訳がない。一人だけ肉食動物だが、彼はクラスメイトに全く関心を向けていない孤高の存在なので、この件には関与してるとは考えられない。

 となると考えられるのは──誰かがクラスメイト達の耳に余計な情報を入れ、この状況を作り出したと考えるのが自然だ。

 一応、それなら心当たりがある。というか、心当たりがない方がおかしい。なにせ元凶であろう人物が教室のド真ん中ではしゃいでいるのだから。

「それホントなの?」

「フッ、本当だとも。 わざわざ嘘をつく理由はないだろ?」

「えぇ、でもぉ」

「それに証拠はきちんと抑えている」

「よぉ、楽しそうだな。 僕も混ぜてくれよ」

「ようやく来たか。 このロリコン野郎め」

 数人の女生徒を集め、楽しそうに演説をしていた元凶(雀部)の態度は余裕綽々。それどころか挑発的な挨拶までかましてきた。うっかり右手が火を吹きそうになったが、こらえる。

 危ない、危ない。流石に、このタイミングでの暴力は信用ガタ落ちだ。まぁ、こいつもそれを分かっていて、けしかけてきたんだろうが残念だったな。

「いきなりロリコン呼ばわりなんて酷いじゃないか」

「そうか? ワタシは事実を言ったまでだ」

「面白い冗談だ。 座布団一枚くらいならやってもいいぞ」

「ハッ、冗談か。 なら、これを見てもそんな事が言えるかな?」

 勝ち誇った顔でスマホの画面を見せつけてくる雀部。ほぼ予想通りの展開──画面に映し出されていたのは僕が都ちゃんをお姫様抱っこしている写真。それは最悪な事にコンビニのトイレに駆け込んでいる時のものだった。

「どうして、こんな小さな女の子を抱き抱えて、トイレに入っているんだろうな?」

「…………」

「そうだ、人違いだなんて見苦しい言い訳はするなよ」

 確かに、ほぼ後ろ姿とはいえ僕じゃないと否定は出来ない写真だった。なので、認めざるを得ない。だが、それは事情を話せば分かってもらえる。つまり、何も問題はない。

 全く、何かと思えば……余計な手間をかけさせやがって。

「それは」

「おっと、そこまでだ」

 雀部は僕を制止させると、そっと耳元で囁いた。

「何か事情があるんだろ?」

「お前、分かってて、なんでこんな事を」

「フッ、覚えていろと言ったろ?」

「は?」

「今はワタシのターンだ。 女子小学生をお姫様抱っこしてトイレへ連れ込む。 そして、コンビニの奥へ連行。 手札は揃っている」

「まさか……」

「そうさ、初めからキサマをおもしろ、おかしく燃やせれば充分だ」

「お前なぁ、何の嫌がらせだよ」

「何のだと? フッ、ワタシをバカにしてきた罪は重い! その身をもって知るがいい!」

 高笑いをしたまま雀部は風──いや、ウィルスの如く邪悪な思惑を胸に教室を飛び出した。

「くっ、あの野郎……いつか屋上に呼び出してやる!」

「愛の告白でもする気かよ」

 呆れるような顔をした青二から気持ち悪いツッコミが入る。なんて気持ち悪いツッコミなんだろうか、ついリバースしまったらどうしてくれる。僕は今からあいつのばら撒いた誤解を少しでも解かねばならないのにリバースしたら、別の意味で誰も口を聞いてくれなくなるだろ、全く。

「なんだよ、その目」

「別に、何も」

「へいへい、じゃあ、話を戻して」

「違う。 青春をさせてやるんだよ」

「さいですか。 ってか、どうやって開けるんだよ?」

「開けてみせるさ、その時が来ればな」

「なんだ、雀部のマネかよ。 オマエって意外とノリ良いよな」

「うっせ。 ところで、なんであのバカを止めてくれなかったんだよ」

「別に止める必要もねぇだろ、誰もお前の話なんか興味ねぇよ」

「そうだけど、僕にだって今まで作り上げてきたイメージがある。 それをみすみす壊させるなんて酷いぞ」

「今さらかよ。 んなもんはこのクラスに入った時点でねぇよ」

「は? なんでだよ?」

「ヒント。 おはよう」

「おはようがなんだよ」

「みなまで言うな」

「いや、その使い方はなんかおかしいだろ」

「ふぅ、やれやれだぜ」

 何がやれやれだよ。青二のくせに生意気な。

「それよりよ、事情くらい話してくれるんだろ?」

「う、それは……」

 こいつに事情を話すのは少々気が引けるが、こうなってしまったからには話すしかないだろう。仕方ない、本当に仕方ないが……。


 ──数分後。


「ほぉーん、居候ねぇ。 で、どんな子なんだ?」

「どんなって、黒髪でショートボブの」

「そうじゃねぇよ。 てか、なんで髪型から入るんだよ」

「いや、大事だろ」

「この髪フェチめ」

「違う。 そこまではいっていない」

「はいはい」

 こいつ……。

 僕は綺麗な髪は好きだが、フェチのようにないと生きていけない訳じゃないし、そこまで情熱を注いでいる訳じゃない。だから、僕如きを髪フェチと呼んだら本物ガチの方々に失礼だ。全く。

「ところで、百聞は一見にしかず、だろ?」

「お前、いきなり何言って……」

「そりゃ、もちろん」

「ねぇ、真一」

「おわっ!? な、なんだ紫か」

「おはよう」

「お、おう。 おはよう」

 どうしてこいつは、いつもいきなり背後から現れるんだ。忍びの末裔か何かなのか? それとも、執事の家系で神出鬼没がデフォルトなのか?

「真一。 何があったの?」

「別に、何も」

「小さい女の子。 お姫様抱っこ」

「……いや、それはだな」

「真一」

「なんだよ」

「…………」

「だから、なんだよ」

「…………」

「いや、だから」

「…………」

「ああ、もうっ!」



 そして、放課後。さも当たり前のように青二、紫と肩を並べて家路を辿っていた。この際、青二はともかくとして。何故だ……何故、紫まで一緒なんだ……。

「あのさ、紫」

「何?」

「部活行かなくていいのか?」

「うちの部は自由参加。 真一も知ってるよね?」

「そう、だな」

 期待のルーキーとは思えない強気なセリフに黄色声が出そうだ。別に、そういう事を聞いた訳じゃないんだけどな……やはり、ストレートに、直球勝負しないとダメか。

「あのさ、紫」

「何?」

「こっちだと家の方角逆だろ? いいのか?」

「いいよ」

「そうか」


「あのさ、紫」

「何?」

「喉渇いてないか? この辺に行きつけの喫茶店があって」

「渇いてないよ」

「そうか」


「あのさ、紫」

「何?」

「ちょっと、そこの公園を覗いてかないか?」

「どうして?」

「いや、それは、その……すまん、忘れてくれ」


「あのさ、紫」

「何?」

「その……なんだ。 やっぱり、どこかで休んでから」

「だーかーら、ラブラブカップルなんだ。 オマエらは」

 いきなり呆れたような顔でツッコミを入れてくる青二。なんだこいつ。

「しかも、殺人的な甘さだぜぇ……」

 なんだこいつ。

「なぁ、煽りとかなしで言うが、なーに付き合いたての中学生カップルみたいなやり取りしてるんだよ」

「いや、煽る気満々だろ」

 ついうっかり右手が火を吹いても知らないぞ。ただでさえ、雀部の件でイライラが溜まってるんだからな。ほんの少し。本当に、ほんの少し。

 まさかあのバカが騒ぎ立てたせいで、昨日あった痴漢事件の犯人と勘違いされていたなんて……最悪だ。道理でみんなの視線があんなにもきつかった訳だ……。

 しかも、あんなにはしゃいでいた理由は隣のクラスに行く理由が欲しかっただけなんて……許せない……。(後から玄に聞いた)

「オマエ、何あったまってるんだ?」

「気にするな、お前は関係ない」

「お、おう」

 この恨み、いつか倍にして返す。

「ねぇ、真一」

「なんだよ」

「もしかして、私が真一の家に行くと都合が悪いの?」

「や、それはさ……」

「そりゃ、あれだ。 石見がお──んぐっ」

 今にも口を滑らせそうだった青二の口を塞ぐ。それで、間一髪間に合ったかと思ったが、口を塞いだところで結果が変わる事はなく、

「私が何なの?」

 疑問を抱いた紫の顔がグッと近づく。

「うっ、ち、近いぞ」

「何なの?」

「う、だから……」

「ねぇ、真一」

「ち、近いって」

「答えて」

「……ああー、もうっ!! 女! 女だから恥ずかしいんだよ!」

 ヤケクソ気味に本音を言うと、紫は目を丸くした。

「そんな事気にしてたの」

「そんな事って……」

 異性。しかも、同級生を家にあげる事がどれだけ男子高校生の心に負担をかけるか知らないなんて……手放しで喜ぶなんて余程の女好きか、甘い幻想を抱いているアメ野郎ちゃんぐらいだ。青二みたいな。

「気にしなくていいのに」

「ったく、お前はそういうとこ──」

「だって」

「──っ!?」

 呆れて物も言えないと、思った瞬間。紫にいきなり手を握られた。そして、そのまま囁くように。

「私も気にしない。 真一も気にしない。 それで問題なし、でしょ?」

 不意を突かれたせいか。はたまた、紫の手が思ったよりも柔らかく、冷んやりとしているせいか。胸の鼓動が少し早くなる。

 だが、それに引き換え紫の方はというと──眉一つ動いていなかった。それどころか、いつもより余裕があるようにさえ見える。

「わ……分かったよ、気にしない」

「ん、じゃあ、いこ」

 一人、先を行く紫。道も知らないくせに。

「ったく、紫のやつめ……」

「まさに、青い春と書いて」

「青二、黙れ」

「サーイエッサー」



 程なくして自宅に到着。そして、二人を自室へと通した。

「で、どうする気なんだ?」

『どうって?』

 僕の問いかけに対して、声が被る紫と青二。

「そんなの都ちゃんの件に決まってるだろ」

『ん?』

 次は、二人して不思議そうな顔をした。

「言っとくが、ここに呼ぶなんて無理だぞ」

『なんで?』

「あのなぁ、君に会いたたがってる人がいるって言ったら素直に来てくれると思うか?」

『うん』

 寸分の狂いもなくシンクロし続ける二人。

「はぁ……自分の立場で、よく考えてくれ。 顔も知らない相手が、いきなり会いたいって言ってきたら会うか?」

『会う』

 返事は一瞬。ここまでシンクロ率百パーセント。脅威のパフォーマンスだ。よもや事前打ち合わせなしで、ここまで息がピッタリだと生き別れの姉弟(無論、青二の方が弟)なんじゃないかとさえ思う。心なしか頭が痛い。

「私は真一なら信じれる」

「ありがたい言葉どうも。 けどな、僕が紹介する人を都ちゃんが信じるかどうかは別の話だろ」

「そんな事ない」

「なんでそう言い切れるんだよ」

「勘」

 勘って。僕に根拠のないものを信じろと……。

「真一」

「はぁ……分かったよ。 一応、呼びに行ってみるよ。 ただし、期待はするなよ?」

「うん。 ありがとう、真一」

「そ、そういう事を平気で言うなよ!」

「なんで?」

「いや、分からないなら……いい」

「うん?」

(やっぱり、ラブラブカップルじゃねぇか。 こいつら)



 渋々、都ちゃんの部屋へと向かう。全く、そう簡単に呼べたら苦労──

「あのぅ、紫さん。 ち、近い……です」

「都、可愛い。 だから、しょうがない」

「かわ、かわっ、かわいくは、ないですっ……あぅ」

 しなかった……。

「なっ、大丈夫だったろ!」

「ああ、だな」

 何故、青二が誇らしげなのかは置いといて。

 甘かった。どうせ無理だと高を括っていたら、都ちゃんは二つ返事で来てくれた。しかも、嫌な顔一つせず……いや、それどころか嬉しそうな顔で。

 この子は、どこまで良い子なんだ。最早、荒んだ現代人の心を浄化する為の唯一の清涼剤──いや、最後の希望と言っても過言ではない純真無垢さ。今すぐ国宝人間として保護すべきだ。間違いない。

「にしても石見のやつ。 子ども好きだったんだな」

 都ちゃんを連れて戻るなり、紫が勢いよく駆け寄ってきて品物を見定める商人のように凝視したと思ったら、いきなり『可愛い』と言って抱きついた。そして、そのまま膝の上に乗せ、大絶賛愛でおられる。

「なぁ、こうやって見ると姉妹みたいじゃね?」

 何故か、小声で囁く青二。いや、二人が姉妹って。そんな風に。

「見え……なくもないな」

 ほんの少しだけ。

「と、ところで、お二人はどうしてわたしに会いたかったのでしょうか?」

 子猫のように愛でられている都ちゃんが至極まっとうな質問をする。二人はそれに対し、

「ライバル」

「親友」

『だから』

 理解しかねる返答をした。

 最早、言っている事の意味どころか、どうして最後に声を合わせたのかすら分からない。

「え、えっとぉ……?」

 これには、都ちゃんも困惑し、そっと目配せをして僕に助けを求めてきた。残念ながら、この二人の考えは僕にも分からない。それをジェスチャーで伝えると、雨の日に捨てられた子犬のような寂しい顔をされた。僕は悪くない。

「冗談はさておき。 コイツが居候の自慢をするからさ、ちょーっと見てみたいなぁって」

「わたしを、自慢……えぇっ!?」

「おい、何しれっと」

 青二がデタラメを言ったので訂正しようとしたその時。隣にいる紫からトントンと肩を叩かれた。

「なんだよ」

「私は冗談じゃない」

「いや、それは言われなくても分かってるから」

 寧ろ、紫が冗談を言う方が怖い。

「あ、あの、黒川さんっ、いい、今の話はっ!?」

 ほほう、みんなの前では黒川さんなのか──じゃなくて。

「からかってるだけだからに受けなくていいよ」

「あ……はい」

 即座にしゅんとする都ちゃん。からかわれたのがそんなに嫌だったのだろうか。

「オマエって、ナチュラルにひでぇ時があるよな」

「は? お前が悪いんだろうが、バカ」

っ!」

 とりあえず、青二の頭に軽くチョップをかます。

 それに加え、

「結構、繊細なんだから変な事するなよ」

 耳元で注意もしておく。

 しかし、青二は悪怯れる様子が一切ないどころか、ニヤニヤしながら『そんなんじゃ先が思いやられるぜ』と煽ってきた。全く、ちょっとは反省しろよな。

「ところで、紫さんのライバルというのは……?」

「それは」

 待ってましたと言わんばかりに得意気な笑みを浮かべる紫。その様は、背後に『ドヤッ、ドヤヤヤッ、ドヤッ!!』と文字が浮かんでいる気がするくらい自信に満ち溢れていた。

「真一の描く絵はキラキラしてる。 だから、私のライバル」

 紫の発言に、心臓を鷲掴みされたかのようにどきりとする。別に隠す程の事でもないのは重々承知しているが、こんな形で都ちゃんに絵を描く事がバレてしまうとは……。

「キラキラ、ですか」

「うん、キラキラ」

 僕の絵をキラキラしていると言う紫と、今もキラキラしているかと尋ねてきた都ちゃん。どちらも『キラキラ』というワードを使うのは偶然なのか、それとも……。

 いや、そんな事を考えもしょうがないか。今は、それよりも。

「で、そのライバルがなんで都ちゃんに会いたい理由になるんだ?」

 絵の件には触れてもらわないように話を進める。自然に、クールに。

「真一のキラキラがキラっとしてた。 多分、都のおかげ。 だから、ライバルとして会ってみたくなった」

 予想の斜め上をいくトンチンカンな返事に溜め息が出る。そういう掴みどころがないのが紫らしいが、せめて分かるように話してもらいたい。膝の上にいる都ちゃんも訳が分からずオロオロしている。

「何言ってるのか全然分からないぞ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「んー?」

 不思議そうな顔をして首を傾ける紫。何故、今ので伝わると思ったのか不思議でならない。

「じゃあ、真一がヘラヘラしてたから会いたくなった」

「青二と同じかよ! てか、その言い方は悪意しか感じないぞ」

「んー? そうかな?」

「そうなんだよ」

 青二といい、紫といい。どうして、そこまで僕が浮かれていた事にしたいのか。理解に苦しむ。

 ……別に、嬉しくなかった訳じゃないけどさ。

「ふあっ、それ、それぇ!!」

 突如、立ち上がり、熱のこもった声をあげる都ちゃん。いきなりどうしたんだろう? というか、その興奮の仕方は前にも見たような……。

「あ、あの、そのカバンはどなたのですか!?」

「私のだよ」

 紫が自分の物であると告げると、都ちゃんはカバンにつけてあったストラップを指さした。

「これ、タマごろんですよね!」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、紫さんはおすしマンが……?」

「好きだよ」

「ふあっ、わたしも、わたしも好きなんですよ!」

 どうやら、いきなり興奮したのは同好の士を見つけたからだったらしい。なるほど、さっきの疑問も納得出来る。なにせ、昨日見たばかりだし。

「あ、あの、紫さんっ! わたしの部屋で……おすしマンのことでお話をしませんかっ?」

「いいよ」

 無論、紫が断る訳もなく、無邪気に喜ぶ都ちゃんに手を引かれ、部屋を後にした。

「…………」

「…………」

「なぁ、青二」

「なんだ?」

「今度さ、お前の家でおすしマンのアニメを見ないか?」

「いきなりどうしたんだ?」

「いや、何となく見たくなったんだ」

「そうか。 それはいいけどよ。 その前にラッキーアイテムのストラップって」

 訝しむような顔を向けてくる青二。流石に、気づかれるか。僕がその場しのぎでテキトーな事を言っていたと。

「しろちゃんから教えてもらったのか?」

 そんな事はなかった。

 というか、しろちゃんって……。ああ、白間都だから白を取ってしろちゃんなのか。

「さも当然のように渾名あだなで呼ぶなよ。 一瞬、分からなかっただろ」

「別にいいじゃねぇか」

「いや、どう考えてもよくはないだろ」

「まぁまぁ。 で、どうなんだ?」

「……大体、そんな感じだ」

「かぁーっ、なら、期待出来るな!」

「あぁ、そうだな」

 本当に、助かるやつだよ。お前は。



「それじゃあ、またね、都」

「はいっ! 紫さん、またです!」

 あの後、二人でどれだけ盛り上がったかは分からないが、まるで旧知の仲のように別れの挨拶を交わしていた。

「しろちゃん、オレもまた来るからねっ!」

「え……しろ……? あっ……は、はい……また」

 都ちゃんの青二への反応は、紫と比べると天と地、月とすっぽん、オレンジとマンダリンオレンジ……は違うか。とりあえず、その温度差は一目瞭然だった。まぁ、趣味が合う事もなければ、特に話した訳でもないので当たり前だけど。

 寧ろ、青二は何故それで渾名で呼んで大丈夫と思ったんだ。バカか、バカなのか……いや、元から距離感はバカだったな。うん。

「どうした? オレの顔になんかついてんのか?」

「何もついてないから困ってるんだよ」

 世の中には、あって欲しい理由があるとしみじみ思う。

「そうだ。 もう暗くなってるし、紫の家遠いだろ? 近くまで送っていくよ」

 と、提案すると、

「別にいい」

 普通に断られた。

「ほら、昨日の件もあるし」

「大丈夫」

「青二と一緒なのも途中までだし」

 そもそも青二は当てにならない。

「大丈夫」

「いや、でも」

「大丈夫」

 そこまで、頑なに断らなくたっていいじゃないか……。

 痴漢事件は昨日あったばかりで、被害者はうちの生徒らしいし、全くの無縁とは言い切れない。もし犯人が女子高生をターゲットにしているなら紫が狙われる可能性はある。

 それに……何となく心配だ。

「分かったよ」

 とはいえ、無理強いをする訳にも行かないので、仕方なく見送おりは玄関までにしておいた。



「ところで、都ちゃん。 随分、紫と仲良くなったんだね」

「はい! 連絡先も交換しちゃいましたっ!」

「そ、そうなんだ。 へぇ……」

 小学生と連絡先を交換って。

 流石は紫。どこか浮世離れしているというか、フリーダムな思考してるよな。そういところはちょっと羨ましい。本当にちょっとだけ。

「そこまで仲良くなってるのは驚いたよ」

「あのですね! 紫さんもかなりのファンでいっぱい話せて、わたし、もう嬉しくって! えへへ」

 白い歯を覗かせ、向日葵のようにニコニコする都ちゃんはいつも以上に幼く見えた。

「そっか、良かったね」

「はいっ!」

 紫が家に来たのは奇妙な流れだったが、こうして都ちゃんが喜んでくれているので結果オーライかな。

 と、和やかな気持ちでリビングのドアノブに手をかけた時、都ちゃんに呼び止められた。

「どうかしたの?」

「あの、ですね…………」

 昔やっていたクイズ番組の司会者を髣髴させる程長い間をあける都ちゃん。その間はあまりにも長く、自然と唾を飲み込んでいた。

「や、やっぱり、何でも」

「もしかして、絵のことかな?」

「っ!」

 都ちゃんの体がビクッと震える。どうやら間違いないようだ。

「…………」

「あ、っと、その、あぅ」

「……一応、美術部だからさ。 たまに描いてるんだよ」

「そう、なんですか」

「でも、あんまり上手くないから秘密にしてたんだ。 ごめんね」

 これでいい。

 先にこう言っておけば、余計な詮索をされる事はない──いや、都ちゃんなら分かってくれるはずだ。優しい、都ちゃんなら。

「…………」

 都ちゃんは黙ったまま俯いている。つまり、僕の目論見通り、強引に話を終わらす事が出来た。我ながら卑怯な手を使ったと思うが、背に腹はかえられない。

 このまま立ちっぱなしでいる必要はないので、再度ドアノブに手をかけると、

「も、もし……」

 今度は僕の体がビクッと震える番になった。

 恐る恐る都ちゃんの方へ顔を向けると、真っ直ぐな瞳で僕を見つめていた。

「もし、ですよ」

 紡がれる言葉が入る度にドクン、ドクンと胸が痛む。そして、心臓を鷲掴みにされているかのようなプレッシャーを感じ、手の震えが止まらなくなる。

「わ、わたしが──」

 その時、都ちゃんの口の形は間違いなく『え』だった。

 しかし、

「──……自分の、秘密を話したら、お兄さんの秘密も話して、くれますか?」

 その音が発せられる事はなかった。

「どうしたの急に?」

「い、一緒に暮らすのに、秘密があるのは嫌、です……」

「…………」

「あ、で、でも、何でも話してってことじゃなくて、その……」

 恐らく都ちゃんが聞きたかったのは別の事で慌てて軌道修正したのだろう。その証拠に手を背後に回して隠している。まぁ、テレビで見ただけの付け焼き刃の知識だが、こうも分かりやすいと間違いないだろう。

 それにしても、僕の秘密か。慌てて軌道修正したとはいえ、本筋はそれていないようだ。

「そっか、交換条件か……なら、悩んじゃうね」

 だけは知られたくない。そう思った僕は微笑んでから、お茶を濁すようにリビングのドアを開けた。



 ♪


 -都の日記-


 4月17日 今日は、お兄さんのお友達の青二さんと紫さんに会いました。

 初めは、紫さんのスキンシップが激しくて困りました。か、かわいくっ、なんかない、のに……。ついお酒を飲んだ時のお母さんを思い出しました。正直、怖かったです。

 けど、同じおすしマン好きで、いっぱい話せて良かったです……話も聞けて……。

 お兄さん。どうして、あんなにも寂しそうな顔をしていたのでしょうか……。それに、上手くないからって……。もう見せて、くれないのでしょうか……。

 い、いけませんね。日記なのに、こんな……話題、変えないとです。

 あ、そういえば、青二さんとは……どう接すればいいのでしょうか……分からないです……。

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