チャプター 1-8
「まぁ、そう気を落とさないでよ」
「すみません、またご迷惑をおかけして……」
「そんな事ないよ。 ちょっと焦っただけだから」
今思い返しても冷や汗が出る。あれは、大変心臓に悪い出来事だった。
──約一時間前。
『ここまで来て……しかも、こんなミスで……』
『うぅっ……ひっく……わたしのせいでお兄さんを……変態だなんて……えっ、ぐ……』
『え、そっち? 泣いてるのってそっちなの!?』
『ふぇ? そっぢ?』
『都ちゃん。 とりあえず、お手洗いに行こうか』
『……ぅ、あっ! ひゃ、い゛っ……』
都ちゃんが泣き出した時は、僕のミスのせいで余計な刺激を与えてアウトになってしまったと本気で悔いたが、そうじゃなくて良かった。あんなところでアウトになったら一生物のトラウマになっていたかもしれない。辛い思いをしなくて本当に良かった。
「でも、わたしのせいで……」
「いや、都ちゃんのせいじゃないよ」
では、何故また都ちゃんが今朝のように責任を感じているのかというと、その後にちょっとしたトラブルが起きたからだ。
──都ちゃんを無事お手洗いへと連れていき、安心した直後。
『そこの君、ちょっといいかな?』
後ろを振り向くと、そこにはオールバックでゴリラのようにたくましい体つきをした男性が立っていた。服装からコンビニの店員だと伺え、名札を見ると店長と書かれていた。
彼は鋭い剣幕でこちらを睨み、組まれた太い腕は熊を片手で倒せるんじゃないかとさえ思えた。要するに、すごく怖かった。明らかにただのコンビニの店長のスペックじゃない。まるで冷酷な殺し屋だった。
僕は言葉足らずの勘違いから、この人に変質者だと思われている可能性が高い。だから、冷静に対応しようとした。だって、後ろめたい事なんて何ひとつなかったから。
『だ、大丈夫ですよ。 どうかしましたか?』
『うちの従業員が店内に変態が出たと騒いでていてね。 様子を見に来たんだ』
『それは……大変ですね。 早く捕まえないと』
『ああ。 で、その変態の特徴が男子高校生らしいんだ。 そう、君みたいな』
『……へぇ……』
ここで、コンビニの店長がゴキゴキと指を鳴らし、威圧してきたのでプラン変更。軽い冗談で場を和ませ、少しでも親密になってから誤解を解こうとした。
『そ、それより、すっごい筋肉ですね!』
『…………』
『もしかして何か格闘技やってます?』
『…………』
『日本らしく空手? 柔道? さては今熱いプロレスだ』
『はぁ』
その溜め息は唸る猛獣みたいで、ものすごい威圧感があった。つい『やられる!?』と思い、身構えてしまう程恐ろしかった。
『いやいや、外国のもいいですよね。
『ふん、格闘技は見る専門なんだ』
『嘘、そんな勿体ない。 プロ顔負けのたくましい腕をしてるのに』
『あぁ、そうかもしれない。 だが、この腕の使い道はいくらでもある。 例えば、こんな風にな』
まさに獲物を捉えた猛禽類。ガシっと掴まれた僕の腕は悲鳴をあげていた。それは、あまりにも容赦がなかったので某スティック型のお菓子のように簡単に折れてもおかしくなかった。
『
『そのお喋りな口を閉じてついてくるか、この腕で無理矢理閉じられて連れて行かれるか。 どっちがいい?』
『……黙ってついて行きます……』
『素直でよろしい』
初めから冗談なんて言うべきじゃなかった。でも、あんなに厳つい人に敵意を向けられたら、訓練でもしていない限り冗談を言ってメンタルを保つしかない。少なくとも僕はそうだった。
そして、そのまま店の奥へ連れて行かれ、断罪の時間だ。僕の話は聞く耳を持ってもらえそうにないので、都ちゃんの弁明を聞き届けてくれるまで時間を稼ぐ事しか出来なかった。粘り過ぎて危うく警察を呼ばれそうになったが、ギリギリのところで何とかなった。弁明に思いのほか時間がかかったのは、都ちゃんの方も店員が話を聞いてくれなくて困っていたとか。だが、そこまでの勘違いをさせてしまったのは僕の言葉足らずのせいな訳で。
「でも、ちゃんと正門でお手洗いに行きたいと言っていれば……」
「いや、それはしょうがないんじゃないかな」
僕だってあの状況なら言えない。
「……迷惑をおかけしてごめんなさい……」
また深々と頭を下げて謝る都ちゃん。多少のトラブルがあったとはいえ結果的には丸く収まっているし、悲しい事故だったので都ちゃんが謝る必要はない。寧ろ、謝ってほしくない。
「ていっ」
「ひゃうんっ!?」
だが、優しさだけで解決出来ないのは今朝の件で分かっている。なので、都ちゃんの額に軽くデコピンをした。
そんなに強くしていないのに、額をさすりながら上目遣いでこちらを見てくる都ちゃんは、小動物のようで何とも愛くるしかった。
「これでいいかな?」
「ふえ?」
「こうでもしないと気が済まないでしょ?」
「あ。 ……んぅ」
都ちゃんは頰を膨らませ、不服そうな顔をした。
「はは、そう膨れないでよ」
「…………」
「僕は都ちゃんが何をしたって迷惑だなんて絶対に思わないよ」
「っ!」
「それに、ね?」
「あぅ」
都ちゃんを安心させるように、ニコっと笑顔を向けると、恥ずかしそうに俯き、しばらく間を置いてから笑顔を返してくれた。
「あ、あのっ……ありがとうござい、ました……お兄さん」
その声はだんだんと小さくなり、都ちゃんの心情が手に取るように分かった。
「ただいま」
「ただいまです」
あれからは大したアクシデントもなく、日が暮れる前に無事帰宅。都ちゃんをおぶって走ったせいか、緊張の糸が切れたせいか、帰るなり玄関にへたりこみそうになったが、何とか堪えてリビングへ。
「二人ともお帰りなさい。 思っていたよりも長い寄り道をして来たのね。 ふふ、ちょうど良かったわ」
「寄り道って。 それより、どうしたのこれ?」
やけにご機嫌な母さんはさておき。リビングのテーブルにはホームパーティーでも開くのかと思う程たくさんの料理が用意されていた。そして、料理は和洋中なんでもござれの大盤振る舞い。何か裏があるんじゃないかと疑うレベルだ。
つい、また父さん絡みで何かあったんじゃないかと訝しんでしまう。
「勿論、都ちゃんの為に決まってるじゃないー」
しかし、そんな事はなかった。
「わたしのために?」
「そう、歓迎会をするのー♪」
歓迎会をするのは良いと思うが、ここで疑問が生まれる。
「母さん、どうして昨日じゃなくて今日なの?」
「本当なら昨日出来たら良かったんだけどねー、三浦さんに──」
母さんの話によると、どうやら精肉店の都合に合わせて、初めから今日する予定だったらしい。だから、今朝は準備の為に、僕に任せたと。
そういうとこで用意周到なのに、その他ではどうして疎かになってしまうのか不思議でならない。まぁ、今はいいけど。
「わたしのためにそこまで……」
「ふふっ、当たり前よー。 だって、今都ちゃんは」
「ふあっ!?」
「私の娘同然なのよー」
遠慮深そうにソワソワする都ちゃんを優しく抱き寄せる母さん。その様子はとても微笑ましく、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。全く、お人好しもここまで来るとやれやれと思う。
……流石は、親子だ。
「だから、ママって呼んでくれていいのよー。 いえ、寧ろママって呼んで欲しいわー。 シンちゃんは恥ずかしがって呼んでくれないしー」
だが、やり過ぎだ。そこは大人らしく、節度をわきまえてほしい。あと、しれっと僕の方を見て不満をもらさないでくれ!
「それは……ややこしくなるので、ちょっと」
「えぇ、ざんねーんー」
返事を聞いた母さんは泣き縋るように都ちゃんへ頬ずりをする。無論、いきなりそんな事をされた都ちゃんは困惑して、あたふたしている。全く、やれやれだ。
「母さん、そのくらいにしないと料理が冷めるよ」
「それもそうね」
あっさり都ちゃんを解放する母さん。ちゃんと空気を読んでくれる辺りわきまえているのかもしれない。どこかのバカにも見習っていただきたい。
母さんから手渡された紙コップを都ちゃんにも渡す。そして、各々の紙コップに飲み物を注ぎ、母さんが音頭を取る。
「それじゃあ、我が家へようこそー。 都ちゃーん」
「歓迎するよ」
「ぁ、う……あ、あの、ありがとうございますっ!」
それは我が家に来て、一番力強くて一番大きな声だった。そして、パァッと花が咲いたかのような満面の笑み。そんな都ちゃんを見ていると、それに応えるように自分の口角が上がっていくのが分かる。
「やっぱり、前にも」
「どうしました、お兄さん?」
「……ううん、なんでもないよ」
だけど、都ちゃんの笑顔を見ていると胸が騒つく。また、デジャヴだろうか。
いや、きっとこれからの彼女との生活が楽しみなんだろう。母さんっぽく言うと妹が出来たみたいで。
──と、落胆的になれれば幸せだったろうに。
やっぱり、都ちゃんの事を思い出せないのが引っかかる。とても大切な事だった気がするのに、何も思い出せない。まるで僕自身が思い出したくないかのように……。
♪
-都の日記-
4月16日 今日は、お兄さんにたくさんご迷惑をおかけしてしまいました。朝早くに起こしてしまったり、緊張したせいで気を遣わせてしまったり。お手洗いの件は今思い返しても恥ずかしいです……。うぅ、お兄さんに手のかかる子って思われてたら嫌だなぁ……。
でも、お兄さんの背と腕の中はあったかくて……はぅっ!? な、何を考えているんでしょうかねっ、まったく!
……すぅ、はぁ……。
学校の方は転校初日でしたが、
特に、同じおすしマン好きの里香とは仲良くなれそうです。ただ、里香は見た目が派手というか、何というかギャr……ちょっと身構えてしまうおしゃれさんなので慣れないとです。
そして、夜。わたしの歓迎会をしてもらいました。もうびっくりするくらい豪華な料理で、そこまでしていただくのは気が引けましたが……紗枝さんのおかげでぽかぽかして、素直になれました。紗枝さん──お母さんと同じぐらい暖かかったです。
あと、気のせいかもしれませんが、笑うお兄さんが昔と同じに見えて……少しだけ、泣いちゃいました。
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