チャプター 1-1

 くだんの少女をリビングへと招き入れ、ダイニングテーブルへと座る。勿論、僕の対面は母さんで、被害者であろう少女は隣だ。

 そして、首謀者(仮)を問いただす為の家族会議の開廷だ。本当は朝から人を疑うような事はしたくないが、今は緊急事態だ。やむなし。

「さてと、説明してもらおーか、母さん」

「説明? 何のー?」

 首を傾げ不思議そうな顔をする僕の母さんこと黒川紗枝くろかわさえ。天然ウェーブのかかったセミロングの茶髪に、年齢にそぐわない童顔のせいか。本当に何も知らないように見える。

 因みに、若いのは外見だけでなく中身もだ。しかし、それでも歳不相応な反応は控えてほしい。あんた一応三十代のバb……。

「……っ!?」

 突如、寒気を感じる。

 何だろう、今の……まるで母さんの背後に般若はんにゃがいて睨まれているような……とりあえず、余計な事は考えないようにしよう。

 ……では、気を取り直して。こちらとて遠回しに聞いて、すんなり話が進むとは思っていない。だが、少しずつでもいいから退路を断ち、母さん自身に白状させる。

 何故なら、こっちは、いきなり! あんなにも! 心臓に悪い事を言われたのだ! どんな事情であれ本人の口から聞かないと気が済まない!

「この子のことだよ」

「あー、そういえば、シンちゃんには言ってなかったわねー。 今日からうちで預かることになっているのよー♪」

 ご自慢の茶髪を左右に揺らし、お気に入りのお菓子を食べた時のようにるん、るんっ! していてる母さんを前に唖然とし、額を抑えてしまう。

「いや、それもなんだけどさ……」

 母さんが大事な事を僕に言い忘れるのは日常茶飯事なので今さら糾弾しても仕方ないと思っているからいいとして。僕が聞きたいのは、さっきの妹発言についてだ。それ以外の話は後でいい。

「そうじゃなくて、先に言うべき事があるよね? ほら、初めの」

「そう言われても、ねぇ……んー、あっ!」

 ようやく理解してくれたのか。母さんは、わざとらしく両手を打ち合わせて鳴らした。

「名前は白間都はくまみやこちゃん。 私の親友──けい愛娘まなむすめでーす♪」

 確かに、初めに確認すべきは名前だが、今はそうじゃないだろ……。

「小さい頃に一度会ってるんだけど、覚えてないー?」

「だから、あれ? そう言われてみれば……そんな事が、あったような……」

 確か、小学生の時に母さんの親友のところへ遊びに行って……それで、その親友の家で娘の……を……探して、公園に……そこで……。

 ダメだ。よく思い出せない。

「もしかして、忘れちゃったのー? シンちゃんひどぉーい」

「しょうがないだろ。 もう何年も前の事なんだから……って、ちっがーう!」

「えー? 何がー?」

「それよりも、もっとさぁ」

「んー、あ、都ちゃんは見た通り可愛い女の子でーす♪」

「だー、かー、らぁ……今は、そんな事より、どうして! この子に! 僕の妹にしてください! なんて言わせたのか聞いてるんだよっ!!」

 ついテーブルから身を乗り出して、大声で怒鳴ってしまった。こんな朝早くから大声を出すのは近所迷惑もいいところだが、今はそんな事に構う余裕は当然ない。

「んー、何の話ー?」

 きょとんとして目を丸くする母さん。母さんはとぼけたり、嘘をつく時にするくせがある。だから、本当に知らないのだとすぐに分かった。

「待って……じゃあ、さっきのは……」

 冷や汗が止まらない。

 あの妹発言は母さんが僕を驚かせる云々の悪巧みをして無理矢理言わせていると思っていた。寧ろ、そうとしか考えられなかった。しかし、それはあっさりと否定された。つまり、真相は……。

「まさか」

 自分の口から衝撃の言葉が溢れそうになったその瞬間、隣からTシャツの裾を掴まれた。

「ご、ごめん、なさい……っえぐ」

 今にも消えてしまいそうな程か細い声を発する都ちゃん。潤んでいた瞳からみるみるうちにポロポロと、涙が溢れた。

「……ッ!?」

 その時、ズキンと頭が痛んだ。どうしてこのタイミングで頭が痛んだのかは分からないが、まるで彼女の涙に呼応しているみたいにどんどん痛みが増していく。

 なんで、急に……分からない……泣いてる理由も、痛み出した理由も分からない。けど、僕は彼女の涙を止めてあげないといけない。

「ねぇ、どうして」

「あー、いーけないんだぁ、いけないんだー。 シーンちゃんが泣ーかしたぁー。 怒鳴ってぇ、泣ーかしちゃったぁー」

 突如、子どものような野次を飛ばしてくる母さん。ハッキリ言って、空気が読めていない。

「うるさいなっ! 確かに、いきなり怒鳴ったのは悪かったよ。 でも」

 気まずさから、そっぽを向いてしまう。

 いくら言い訳をしても、僕が悪いのは明白。だから、言い訳をするのは時間の無駄だ。でも、これだけは言いたい。

「泣かすつもりなんてなかった……」

 ただデタラメな出来事を受け入れられなくて少し感情的になってしまっただけなんだ。普段入らない変なスイッチが入ったみたいに。

「えっぐ、わだしが、悪いんです……づい、へ、んな……こと、言っぢゃった……から。 そのせいで、う、ゔぅ……大きな、声で……。 お、こらせて……あ゛、う……さ、えさんとも……」

 ……最悪だ。

 この子が泣いているのは自分がしでかした失態のせいで、この状況に陥ってしまったと思い込んでいるからだ。

 恐らくあのガチガチに固まっていた様子からすると、いざ知らない家に来ると緊張してしてしまった。その結果、思ってもいない言葉もしくは場を和ませる為のジョークを口走ってしまったに違いない。

 僕だって緊張したら頭で思っている事と口に出している事が違う事も、突拍子のないジョークで気まずい場の空気を和ませようとした事くらいある。今回も、それと同じ。つまり、ただの悲しい事故だった。

 なのに、声を荒げて……こんな小さな子を泣かせてしまった。あぁ、本当に最悪だ。

「急に怒鳴ってごめんね。 別に都ちゃんは悪くないよ。 さっきのも母さんの日頃の行いが悪いから疑ってたんだよ」

「えぇー、いきなり疑うなんてひどぉーい」

「母さん。 自分の胸に手を当ててみるといいよ」

 本当に疑われるような事ばっかりしてるからさ。

「だから、もう泣かないで」

「……うっぐ……はい……」

 泣きじゃくる都ちゃんの涙をティッシュで拭ってあげると、すぐに泣き止んでくれた。とりあえず、これで一安心だ。

 さて、都ちゃんの事で母さんに聞きたい事はまだある。

 ──グゥ〜ギュルルッ。

 しかし、お腹の虫が我慢できないと雄叫びを上げている。奇遇な事に隣からも。

「あらあら、二人とも。 そうよね、まずは朝ごはんにしましょー」

 これにて家族会議は閉廷。頭の痛みもスッカリなくなっていた。



「はふぅ、ごちそうさまです!」

 お茶わんいっぱいのご飯を二杯に、目玉焼きとウィンナーとサラダ、昨日の残りの肉じゃが、味噌汁をペロリと平らげた都ちゃんは満足げな笑みを浮かべる。

「とてもおいしかったです!」

「ふふっ、お粗末様でしたー」

 満足げなのは都ちゃんだけでなく、都ちゃんの良い食べっぷりを見た母さんもだ。料理人は美味しそうに食べてもらうと嬉しくなると聞いた事があるが、ここまで嬉しがるものなんだろうか。今にもミュージカル映画の登場人物のように歌い出しそうだ。

「で、母さん。 どうして都ちゃんをうちで預かることになったのさ?」

「それはねー」

「わたしに説明させてください」

 理由を話そうとする母さんを制止し、都ちゃんが立ち上がる。

「改めまして、白間都です。 今日からこのお家でお世話になります。 ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

「……あ、黒川真一です。 こちらこそ、よろしくお願いします」

 自己紹介後、お店の従業員のように丁寧なお辞儀をされた。あまりにも丁寧だったので、ついこちらも同じように返してしまう。

 ふつつか者なんて言う子、リアルで初めてみた。そういう礼儀正しい子って本当にいるんだ。未知との遭遇を果たせたみたいでちょっと感動した。

「まず、さっきは変なことを、言って……ごめんなさい」

 またも丁寧に、深々と頭を下げ謝罪をされた。ここまで律儀だと申し訳ない気持ちになる。さっきのは悲しい事故だったので気に病む必要はないと言おうと時、

「あ、うぅ」

 都ちゃんの様子がおかしい事に気付いた。

 何かを我慢しているかのようにモジモジして、僕の顔色を伺うように上目遣いをしている。それは、何かに遠慮して困っている様子と言ってもいい。一体、どうしたんだろうか。

「あ、その……あ、の……し、し……ぃ……さん……」

 あ、そういう事か。

「名前なら好きに呼んでくれていいよ」

 さっき玄関で僕の事を『息子さん』と変な呼び方をしていたのは、名前呼びがしづらかったせいなのだろう。

 これは僕にも覚えがある。幼い頃、年上の人や異性の名前を呼ぶのに、恥ずかしいというか、申し訳ないというか、妙な抵抗感があった。都ちゃんもきっとそれと同じだ。

 普通の人なら、たかが名前の呼び方で何を言っているんだと思うかもしれない。だが、無理なものは無理なのだ。きっと、この気持ちは現役か、元シャイの人にしか分からない。

 だから、都ちゃんに好きな呼び方をしていいと言ったが……シンちゃんだけはやめてほしいな。多分、大丈夫だと思うけど。

「は、はい、それじゃあ、とりあえず……お兄さん……で」

「なっ!?」

 若干、オドオドしながら都ちゃんが決めた呼び方は、とてもアグレッシブだった。図らずも、それは僕の思考を一瞬でフリーズさせた。そして、追い打ちをかけるように、ボディブローと同等。いや、それ以上の衝撃を頭の中に走らせた。

 確かに、好きに呼んでくれていいって言った。言った、けども……。

「も、もちろん人前ではそう呼んだり、し、し、しませんっ!」

「…………」

「……あの、やっぱり、ダメ……ですか?」

「あ、いや、その……」

 正直、その呼び方には問題がある。

 僕と都ちゃんは血が繋がっていないどころか義理の家族関係もない。とはいえ、近所の優しい歳上男性を『お兄さん』と呼ぶ事はあるので、そこまで気にする必要はないかもしれない。だが、それはあくまで一緒に住んでいないからだ。

 今回の場合、しばらくの間、都ちゃんは我が家で暮らす。そこで、僕を兄呼びする都ちゃんを客観的に見ると……犯罪だ。それ自体には罪はないけど、罪と認めざるを得ない。

「あのね、都ちゃん……」

 だから、僕の返事は決まっている。

「い、いいよ! 都ちゃんがそう呼びたいならぜんっぜんいいよ! 寧ろ、そこまで慕われていて嬉しいなぁ! なんて……」

 例え、世間的に罪だろうと都ちゃんの切なる願いを無下には出来ない。ならば、喜んで罪を背負おう。

 何故なら、それが"おとこ"という生き物だ!

 それに、人前では兄呼びをしないらしいし、断る理由は特にない。ニヤニヤした母さんが茶化してきそうだが、それくらいヘッチャラだ。

「あ、そうそう。 玄関での事はほっんとうに気にしなくていいからね、都ちゃんは何も悪くないから」

 もし悪い人がいるとしたら一人だけだ。

 都ちゃんから母さんへと視線を移す。しかし、当の本人は何故視線を向けられたのか分かっていない様子だった。

 そもそも母さんが予め都ちゃんの事を教えてくれていれば、こんな事態にはなっていなかっただろう。さっきも言ったようにそれについての糾弾はしないが、反省くらいはしてほしい。全く。

「ところで、都ちゃんはどうしてうちに?」

「おか……母の仕事の都合で外国で暮らさないといけなくなったんです。 でも、どうしても日本を離れたくなくて……それを母に言ったら、親友の紗枝さんに相談して大丈夫なら日本に居てもいいと」

「なるほど、それで母さんが了承したんだ」

「だって、京の愛娘のお願いなんだもの。 断る理由がないわー」

 母さんらしいとしかいいようがない。本当にお人好しなんだから。

「そ、れ、に、急に娘が出来たみたいで嬉しいじゃないーっ!」

 即座に前言を撤回する。全く、母さんはどうしてこんなにも考えが軽いんだ。信じられない。

 だが、今さら都ちゃんを預かった事に抗議しても仕方ない。というか、母さんがいいなら僕が反対する理由なんて何一つないからいいんだけどさ。少しぐらいは人様の子を預かる事について深く考えてほしいというか、何というか。年頃の女の子が家族でも、親戚でもない男と同じ屋根の下で暮らす訳だから気にすべき事があるだろうに。断じてそういう事はしないが、それでもさ……あるじゃないか、そういうのを気にするのって。

 それに、僕だって無垢な子どもって歳じゃないんだから素直に同居人が増えた! わぁーい、ハッピー! とはならないだろ……。

 ちらっと母さんへ視線を送り、様子を伺ってみたが、その事について何も考えていないのがよく分かる程呑気な顔をしていた。

 本当に母さんは……軽いな。

「そういえば、どうして日本を離れたくなかったの?」

「それは……」

 悲しげな表情で都ちゃんが俯く。

 しまった……っ!? つい気になって考えなしに聞いてしまったが、この歳で親元を離れてまで日本で暮らしたかったのだ。それは繊細かつ複雑な理由があって気軽に聞いてはいけないに違いない。自分の無神経さを呪う。

「ごめんね。 別に、無理に話さなくていいから」

 もう手遅れかもしれないが、少しでも無神経な自分の失態を帳消しにする為に、申し訳なさ程度の気をつかう。控えめにいっても誤差だけど、しないよりはした方がいい。

 それからしばらくして都ちゃんも覚悟を決めたのか。拳を握りしめ、勢いよく顔を上げ、

「その……お米が好きだからですっ!!」

 衝撃の理由を話してくれた。

「……オコ、メ……?」

「はい、お米ですっ!!」

 眩しい笑顔の都ちゃん。図らずも、うちに来て初めての満点大笑顔だった。その眩しい笑顔は、まさに炊きたての白ご飯。瞳がすごくキラキラしていて、ほかほかした雰囲気は見ているこちらも暖かい気持ちにさせてくれる。まさに白米の微笑み……じゃなくて。

 お米。英名はrice。稲の果実であるもみから外皮を取り除いた粒状の穀物。日本食といえばお米が必須と皆口を揃えて言うだろう。まさに日本食界のトップスタァだ。そのお米が好きだから日本を離れたくない。

 つまり、答えは一つしかない。

「もしかして、毎日お米を食べたいから日本を離れたくなかったの?」

「えへへ、わたし三度のご飯よりもお米が好きなんです!」

 その表現は明らかにおかしい日本語だが、お米がすごく好きなのは伝わってくるからスルーするとして。お米を毎日食べる為に親と離れて暮らす……か。

 古来より兵糧攻ひょうろうぜめという兵法があったくらいだ。食は何よりも大事にすべきなのだろう。昔の偉い人もそう言っていた気がする。まぁ、肩の力は一気に抜けたけどさ……。

「そういえば、都ちゃんの荷物はいつ届くのかしらー?」

「今日のお昼頃に届くそうです」

「なら、今日は荷解きと空き部屋の掃除をしないといけないから大変そうだね。 手伝うよ」

「荷物と言っても段ボール数個なので大丈夫ですよ」

「あ、そうなんだ。 意外と少ないんだね」

「ふっふっふ、それは、私が家具・お洋服・その他諸々をうちで用意しておいたからよー。 あと、空き部屋のお掃除もバッチリよー」

 満足げな顔で頰に右手を添える母さん。本当にノリノリだったんだね。

「じゃあ、特にする事はないみたいだし部屋に戻るよ」

「何言ってるのー? わざわざ都ちゃんが来る時間にアラームをセットして起こしたんだからー」

 あれは母さんの仕業だったのか。なるほど、道理で身に覚えがないはずだ。全く、なんでそんな事をしたのやら……ん、母さんがアラームをセットだって!?

「待って、母さん。 スマホにはロックをかけてたのに、どうやって開けたの……?」

「ふふふ、都ちゃんに町を案内してあげなさいー♪」

「……はい」

 世の中には知ってはいけないものが三つある。まず、母さんの秘密。次に、エクソシストの画像。最後は、大人気恋愛マンガの続編だ。特に、最後のは絶対に、だっ!

 理由は結ばれなかったヒロインが甘酸っぱい初恋から一転、恋に敗れ、絶望的な人生を送っている後日談を知ることになるからだ。それを見るのは余りにもつらい。

 あぁ、マンガの神様……何故、貴方は彼女にそこまで無慈悲なのですか。彼女は読者に生きる希望を与え、報われないロードを駆け抜けたのですよ……自分らしく。だから、救いがあっても良いではないですか。なのに、何故追い討ちをかけて苦しめるような真似をするのですか。もし彼女が救われるのなら、僕は神殺しだっていとわない。

 まぁ、初恋すらしたことがない人間が言う事じゃないけどさ。あと、マンガの神様は絶対に関与していない。

 少し話が脱線してしまったが、母さんの秘密は身近な人ゆえに詮索したくなるだろう。だが、それはやめておいた方がいい。きっと、命がいくつあっても足りない程の絶望を味わう事になるから。

 さて、スマホの件は、我が身の安全の為に聞かなかった事にするとして。都ちゃんに町を案内するのは賛成だ。新しい環境に早く慣れてもらう為に、これから住む町を知っておいた方が良いのは確かだ。母さんにしては良い事を言う。

 まぁ、褒めると調子に乗るだろうから胸に秘めておく。昨今の日本では失われつつある言わぬが花ってやつだ。日本人らしく大事にしていきたい。

「じゃあ、行こっか」

「はい、よろしくお願いします」

 早速、都ちゃんに町を案内するべくリビングを後にした。

 ……帰ったらスマホのパスコードは変えておく。もう絶対に恋愛マンガの推しヒロインの生年月日は使わない。

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