プロローグ part.3

 物心ついた頃から絵を描くのが大好きだった。動物、昆虫、電車や車、好きなヒーローにロボット等、それらを好きなように描くのが堪らなく楽しかった。

 本当に、ただ無邪気だった。眩しいくらいに。

 そして、その気持ちはある出来事をきっかけに少しずつ、少しずつ変化していく。

 保育園の行事で動物園に行き、二頭のツキノワグマを見た時。その二頭はオスとメスで双子のように仲良くじゃれあっていた。小さい頃の僕にとって男の子と女の子は別々に遊ぶのが当たり前だった。だから、すごく不思議な光景に見えた。まるでスポットライトを当てられ、キラキラしているかのように。

 とても満たされた気持ちになっていたのだろう。保育園に戻り、動物園の思い出を描く事になった僕は迷わずあのツキノワグマ達を描いた。

 別に、頑張る必要なんてないのに一生懸命に描いた。普段は使わない絵の具を使って着色だってした。そして、出来上がった作品は何とも言えない子どもの落書き。それでも当時の僕からするとよく出来たと手ごたえを感じる自慢の作品だった。その絵を満足そうに眺めていると先生に『上手だね』と褒めてもらえた。それが嬉しくて益々絵を描くのが好きになり、どんどんのめり込んでいった。

 その勢いはとどまる事を知らず、母親の誕生日に絵を描いてプレゼントした。すると、母親は大喜び。また自分の絵を褒めてもらえて、たまらなく嬉しかった。

 それで、もっと絵を描くのが好きになり、たくさんの絵を描いて人にプレゼントした。そして、絵を描いていくうちに、世の中にはキラキラしたものがたくさんあって、それを人に伝えるのは素敵な事だと思うようになっていった。

 そして、出会ったんだ。公園で。夕陽に照らされ、キラキラ輝く──に。

 と、あの影に感銘を受けたせいなんだろうか。こんなに、虚しくて満たされない気持ちになり、苦しくても、絵を描く事から離れられないのは……。いや、離さないのは……。



 ──ガァーッ、ガァーッ、ガァーッ!

 部屋中にスマホのアラーム音が鳴り響く。まだ目が覚めきっていないぼんやりとした頭で枕元にあるはずのスマホを探し、アラームを停止させる。

「まだ……八時じゃん……」

 しばらくボーっとしてから思考がクリアになっていく。どうやら先程まで自分が見ていたダイジェスト映画は夢だったらしい。

「ん、んん!」

 完全に目を覚ます為に目一杯体を伸ばすと、指の先と爪先がベッドから少しはみ出た。

「……さて」

 体を起こして頭をかきながら、さっきまで見ていた夢について考える。幼い頃の絵を描くのが好きだった自分。それを夢で見てしまうのは、昔からよくあるので大した事じゃない。ただ、公園の出来事まで見るのは、絵を描くのをやめたくなった時だけだ。

「……またか、はぁ」

 つい深いため息をついてしまう。

 ため息をすると幸せが逃げていくなんて言葉があるが、ため息をする事自体は体に良いらしい。ストレスを抱えていると自律神経系が乱れるから、それ整えるとか何とかで。つまり、僕は健康の為にため息ついている。でも、それはため息をつかないといけないような悩みがある訳で。

「ただのいたちごっこか」

 僕の悩みと同じだ。

 中学を卒業して、ようやく悩みの種から解放されたと思っていたら高校で新しい悩みの種が出来てしまった。何ともツイていない。もし不幸自慢がオリンピックの競技として認められたら日本代表になれるかもしれない。

「いや、優しいから予選で失格かな」

 我ながらつまらないジョークだ。

 ところで、どうしてこんなにも朝早くにアラームが鳴ったのだろうか。今日は日曜日で、朝早くに起きて出かける予定もない。なんならアラームを設定した覚えもない。

 ──グゥ。

 腹の虫が盛大に鳴く。

 ここで考えこんでいたってどうしようもないか。とりあえず、下へ行こう。

 まだ眠気が残っているせいか、酔っぱらいのようにフラフラとした足取りで階段を降りる。そして、洗面所で朝のブラッシングを終え、清々しい気持ちでリビングのドアを開けたその時、

 ──ピーン、ポーンッ。

 インターホンが鳴る。

 リビングから玄関までは目と鼻の先だ。なので、母さんに『僕が出る』と言い、玄関へ向かった。

「はい。どちら様でしょう──っ!?」

 扉を開けると予想外の来訪者がいて、驚きのあまり言葉を失った。

 そこにいたのは、ぎこちない笑顔をした少女。見た目から歳は十歳くらい。背は僕の胸元よりやや低いので大体百四十センチ前後といったところか。少し丸みを帯びた輪郭、あどけなさのある顔に、とろんとした瞳。髪型は毛先が肩にかかりそうなぐらいの長さのボブヘアーで、横の髪はヘアピンでとめ、左耳を出していた。前髪は目にかからないよう眉の少し下で合わせて整えている。そして、朝陽に照らされた黒髪は白く輝いていた。

 何だろう、この胸の高揚感は……。この子の髪がきちんと手入れされていて綺麗だからだろうか。それとも、この子の髪が僕の好みにベストマッチするせいだろうか。

 どっちも髪じゃないか。全く、相当舞い上がってるな。最っ高だ!

 ……待て、落ち着け。今は興奮してる場合じゃない。なんで、こんな小さな子が我が家を訪ねて来たのか考えるべきだ。

 真っ先に思いつくのはコミュ力の権化である母さんの来客……はないか。流石に、ここまで小さなお友達は作らないと思いたい。となると、他に我が家のインターホンを鳴らす可能性があるとすれば、この辺りに住む友達の家と間違えたと考えるのが自然だろう。

 ここは住宅地で家がたくさんある。もし初めて行くのであれば隣の家と間違えても不思議じゃない。つまり、ただ家を間違えただけ。そうに違いない。

「もしかして」

「あ、あの、ここ黒川さんのお家ですよね?」

「……はい、そうです」

 僕の予想は、公開領域を確認しトップ解決出来ると信じて勢いよくドローしたTCGプレイヤーのように儚く散る。信じたくはないが、この少女はまごうことなき我が家の客人だった。

「し、しし……ん……い……黒川さんの、息子さんっ……ですよね?」

「えっと、そうだけど」

 浅草名物堅焼き煎餅のようにカチカチの表情でたどたどしく尋ねてくる少女。声が小さくて『息子さん』しか聞き取れなかったが、話の流れからしてそれは恐らく僕だと思う。うちはひとりっ子だし、あの両親に限って隠し子がいるのはあり得ない。

 だから、そうだと答えたが、どうしてそんな事を聞いてきたのだろうか。もしかしなくても前にどこかで会ってる……のか? もしそうだとしても、なんで僕か確認したんだ? 僕じゃないといけない理由があったりするんだろうか?

 と、ゆっくり思考したいところだが、そんな余裕はすぐになくなる。

 何故なら、

「あ、その……わたしをあなたの妹にしてくださいっ!」

 頰を真っ赤に染めた少女がとんでもない爆弾発言をしてきたからだ……。

 正直、驚き過ぎて腰を抜かすかと思った。こんなにも衝撃を受けたのは、お雑煮に小豆を入れるのは一般的じゃないと知った時以来だ。

「ちょ、ちょっと待っててね!」

 一旦、扉を閉め、力一杯頰をつねる。よし、バッチリ痛い。

 とりあえず、深呼吸もしておく。そして、しばらく時間をおいてから扉を開けると、綺麗な黒髪を携えた少女はいなくなって……。

「え、えっとぉ……?」

 いなかった。どうやら完全に目は覚めているらしい。

「ごめんね、最近耳が遠くて……さっきの、もう一回言ってもらっていいかな?」

「へっ!? あ、その……はい……。 わ、わわ、わたしを……あなたの! 妹にしてくださいっ!」

 ──バタンッ!

 少女には悪いが、反射で扉を閉めてしまった。

 聞き間違いでもなかった。間違いなくあの子は『妹にしてください』とお願いしてきた。全くもって意味──いや、真意が分からない。一体、何の狙いがあってこんな事を。しかも、何で妹なんだ……彼女とか、お嫁さんにしてくださいならまだ分からなくもない。マンガやアニメで見た事あるし、僕って意外とモテるんだと自惚れで済ませれる。

 でも、妹にしてくださいはどう考えてもおかしいだろ! 何があったらそんなお願いをされるんだ。かの有名な桃園の誓いじゃあるまいし、あり得ないよ、普通……。

「そうか」

 再度、扉を開けると少女は涙目になっていた。

「ごめんね、ちょっと驚いちゃって」

「い゛、いえ……大丈夫、ぇす……」

「それでさ……取り敢えず、中で話そうかっ!!」

 普通じゃない。つまり、これは何者かが企んだ陰謀だ。そして、首謀者の検討はついている。ならば、その首謀者を断罪する為の家族会議を開くしかないじゃないか……っ!

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