第三章 はじめてのともだち
1
翌日の昼休み、わたしと楓は二人きりで図書室に向かった。借りた本を返し、新しい本を借りるためだ。
「一日で読み終わるなんて、さすが読書好き。で、どうだった?」
本を返却し、木製の長机に落ち着くなり楓は訊いてきた。
「面白かったです。よく判らない表現や難しい表現もあったけど。探偵が自分の書いた小説を基に推理を組み立てていく場面はハラハラドキドキした」
「でしょでしょ」
楓は嬉しそうに目を細めた。
この時間帯、図書室を利用する生徒はほとんどいない。ついさっきまで一年生らしき女の子の集団がいたが、すぐに出て行ってしまった。よって、今この空間にいるのはわたしと楓の二人だけ。そのことを意識すると、どうしてか緊張してしまう。
きっと、彼女から見たわたしは、うろうろと視線を彷徨わせ、挙動不審に陥っているに違いない。
思えば、同い年の子と友達のように話すのは久しぶりだった。
灰谷家に引き取られてからは、友達に遊びに誘われても家の手伝いがあるからと断ってきたし、クラスメイトたちとの話題にもついていけなくなった。だから、友人たちがわたしを次第に避けていくのは当然のことだった。それは中学に進学しても変わることはなく、孤独な学校生活を歩んできた。
「どう、推理小説に興味出てきた?」
「うん、もっと読みたいなって思った」
これは本心だった。楓の気を惹きたいとか、そういう下心は一切なく、本心からそう思ったのだ。推理小説というものを今回初めて読んでみたが、今まで味わったことのない刺激を感じた。
「よかった。私も薦めたかいがあったよ」
楓は胸の前でパン、と手のひらを合わせた。彼女の笑顔を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
それから、わたしと楓は昼休みになると決まって図書室へ足を運ぶようになり、推理小説の感想を語り合った。わたしはこの時間が何よりも楽しみになった。少しでも楓との時間を長く確保するため、早く給食を食べ終える習慣ができてしまったほどだ
。灰谷家の人間に奴隷のようにこき使われても、明日も楓と会える、そう思えば、不思議と辛さは半減した。それだけ、楓の存在はわたしにとって大きくなっていた。
そして推理小説を通じた交流が始まってから二週間ばかり経った頃、彼女は突然こう言った。
「そうだ、百合、明日私のうちに来ない?」
「えっ」
わたしは目を丸くした。
「明日は部活休みだからさ、遊ぼうよ」
「で、でも」
「いいじゃん。それとも何か用事あるの?」
「その、家の手伝いをしなくちゃ……いけなくて」
明日は土曜日である。が、居候の身であるわたしにそんなことは関係ない。普段と同じように朝早く起き、家事に勤しまなくてはならないのだ。平日と比べると多少の余裕は生まれるが、買い物以外で外出の許可が下りることはまずない。
「噂で聞いたけど、百合の家って厳しいんだって?」
「う、うん」
「私の方が遊びに行くのも?」
「む、難しいかも」
「じゃあ、百合の家もダメなわけか」
灰谷家で奴隷のような扱いを受けていることは、恥ずかしくて誰にも言っていない。楓にだって、わたしはずっと隠し続けていくだろう。
「そう、残念」
楓は机に上半身を預け、恨めしそうにわたしを見据えた。
「ごめんなさい」
「謝ることないって。じゃあさ、もし時間が空いて遊べそうだったら、電話してよ。明日は一日中家にいるからさ」
そして彼女は手のひらサイズの可愛いメモ帳を取り出すと、一枚破ってそこに何かを書き始めた。
「これ私のケー番ね。百合は携帯持ってる?」
「あ、持ってないです」
「そう、じゃあもし都合がついたら、そこに電話してね」
「うん、ありがと」
「でも百合が推理小説に興味持ってくれてよかったよ。他の皆に薦めても、たいていドン引きされるか、からかわれるだけだったもん」
「楓さんが推理小説を読むのって、他の人たちにしてみたら意外過ぎたんじゃないかな」
「そうかなー。体を動かすのも好きだけど、読書も昔から同じくらい好きだったし。まあ、これでお姉ちゃん以外のミステリ友達ができたことだし、とっても嬉しいわ」
(友達!)
その言葉を聞いて、わたしはぐっと湧き上がってくる感情を必死にこらえた。気を抜けば、ほろりと涙がこぼれそうになる。
(ともだち……)
それからしばらくの間、楓が何を喋っているかも聞き取れないほど、わたしの情緒は高ぶっていた。何にもないわたしの人生に、ようやく一筋の光が当てられたような、そんな心地だった。
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