33・受業


「世界というものは複数存在しているという話を聞いたことはあるかな?」

「私たちの世界の他に、天界に地獄に、妖精の国や巨人の大陸、精霊界……」

 聞いたことのある異界の名前を列挙するマリアンヌを手で遮って、教授は続ける。

「それは極めて一部だ。今挙げた例だけではなく、他にも無限に等しい数の世界が存在している。これらを総称して多元宇宙や平行世界、合せ鏡の映しなどと呼ばれており、理論上では無限に存在する。上手く想像できないかもしれないが、そういうものだと思ってくれ」

 計算や理論上の問題で、世界が無限に等しい数存在している可能性について、サリシュタール先生から聞かされたことがあった王女は、その説明をすぐに理解できた。

 しかし少年はよくわからなかったのか首を傾げたが、少女は頷いたのでそのまま話を続けることにした。

「それから、生きているもの、命あるものはいつか死ぬ。これは誰にも、如何なる者でも避けられない運命だ。生命は常に死を内包することでその存在が確立されている為だ。これもわかるな」

 今度は二人同時に頷いた。

 あらゆる生命は死ぬのは、絶対にして必然の自然の理。

 死の運命からは誰も逃れられない。

「さて、生命の魂は死亡後、生前の世界を一旦脱し、彼岸やあの世と称される領域に移動する。

 いわゆる霊界と呼ばれる死後の世界だ。つまりあの世や彼岸、死の世界と呼ばれる霊界は、厳密に考えれば、無数に存在する世界の一つなのではなく、無数の世界を内包する巨大な時空間だといえる。

 そして霊界は、世界と世界を繋ぐ役割を果たし、同時に隔絶している。硝子の容器に、小さな硝子球がたくさん入っている置物があるだろう。それを想像してくれて差し支えない」

 少女は城の置物に、今説明された物と同じ物があったことを思い出す。

 なるほど、小さな硝子球一つ一つが世界で、その入れ物が死の世界か。

「つまり、君たちが考えているほど、生前の世界と死後の世界は直接繋がってはいない。世界は、間接的に繋がっているのだ。

 さて、死んだ後、属していた世界を解脱した魂はある一定の規律、基準に従って、次の世界の行き先が決定される。だから次はどの世界へ行くのか、どういう状態で行くのかは、それは個々で違う。

 例えば、生前と同じ世界、もしくは似た世界で新しく生誕する場合。これは生まれ変わり呼ばれるパターンだ。輪廻転生という言葉を聞いたことがあるだろう。それだ。大半はこれに分けられるらしい。

 また特に善行を積んだものは、記憶を保持したまま、幸福に満ちた世界へ行く。天国や極楽と呼ばれる世界だ。大抵の宗教はこの世界に向かうのを目的としている。まあ、特に信仰心がなくとも、善意に従って生きた者は自然とこの世界に入れられるようだが。

 問題になるのが、悪行を重ねてきた者たちだ。邪悪な欲望によって罪を犯し続けた彼らの魂は、その罪業に応じた世界に入れられる。いわゆる地獄だ。そこでは悪魔と呼ばれる生物が罪人である亡者に業罰を与える。この辺りの具体的なことは君たちには刺激が強いだろうから説明はしないが、大体の想像はつくだろう」

 二人は一応頷いた。

「よし。ではその地獄に落ちた者は当然苦しんでいる。まあ、自業自得だと言ってしまえばそれまでなのだが、彼らはその苦痛から逃れようと足掻いている。

 地獄においては基本的に肉体や通常の意味での生命というものは存在しない。よっていくら苦痛を与えようとも死んで終るということがなく、それこそ死ぬ程の痛みを加え続けられるのだ。どんな忍耐力のある人間でも根を上げるのは時間の問題だろう。まあ、助けを求めても、悪魔は止めてくれはしないがね。

 さて、ある日ある時、なにが原因なのかわからないが、その地獄と別の世界が直接繋がる通路ができてしまった。それは小さく細く長い通路だったが、通り抜けることはなんとかできた。

 それを見つけた地獄の亡者たちは我先にとその通路へ群がった。地獄を脱出するには多大な労力と強靭かつ強大な力を必要とし、ほとんどの者は途中で脱落したが、それでも強い力を有した亡者が地獄を抜け出るのに成功し、別の世界に到達した。

 つまりこの世界に」

 教授は一旦言葉を切った。

 マリアンヌはここまでの説明で予想できることを、先に質問する。

「それが魔物ですの?」

 教授は首肯する。

「そうだ。君たちは地獄で亡者に業罰を与える悪魔こそが魔物であると考えているようだが、彼らはそんなことはしない。

 悪魔が地獄で行っているのは、そういう仕事だからだ。ましてや他の世界に移動して、まだ罪が確定されていない者に苦痛を与える権限などない。

 いや、彼らはそんな発想自体しないだろうな。悪魔たちは、ただそういう生物だというだけなのだから。

 蟻や蜂が女王の命令に従うことに疑問を抱かないように。あるいは蜘蛛が巣を作り、獲物を捕食することに疑問を抱かないように。もしくは犬や猫や人間が、我が子に愛情を与えることを当然とし、子が親の愛情を盲目的に求めるように。

 悪魔は邪悪な存在ではない。そのようにして誕生し、そういった習性や性質を持っているだけの、ただの生物だ。地獄を脱出しようとはあまり考えないだろう。

 この世界にやって来るのは、地獄から別の世界へ逃亡する必要がある者。苦痛を与えられ、それから逃れることを欲する者。つまり罪の罰を受ける亡者に他ならない。

 しかしこの世界に移動した亡者たちは、少し問題があった。地獄では彼らは生前とさほど変わらないが、それは地獄を構成している法則に基づいている場合だけだ。

 だが、この世界は命ある世界であり、その形式に従って構成されている。世界法則が異なる以上、同じような形態で存在することはできない。つまり地獄の亡者は、この世界では幽霊にすぎない、ただの亡霊だよ。

 それでも地獄の業罰からは逃れられたのだ、それで満足していれば良かったのだが、彼らの欲望はそれで満たされることはなかった。この世界に燦然と輝く生命に羨望し、やがて嫉妬に発展し、憎しみまで覚え、そして肉体的な蘇生を試み始めた。

 その挑戦は無謀で不可能としか思えなかったが、それでも通路を突破した者たちだ、亡霊の状態でもある程度の力を有しており、そしてその力を活用して、生き返る方法を編み出した。完全とはいえないが、試行錯誤の末ある程度の成功を収めたのだ。それは人の心の隙間に侵入すること。つまり……」

 教授が言い終える前に、マリアンヌの頭脳に閃きが走り答えに到達した。

「つまり、人の願いを叶える代わりに魂を奪い、体を乗っ取るのですね」

 魔物は人間の死体に憑依することがあるという。

 吸血鬼。食人鬼。徘徊する死体。

 だが人間の体に憑依することこそが、魔物の特性の本質だとしたら。

 魔物は人間に願いを叶えて魂を奪う。

 なぜ殺して奪うという単純で簡単な方法をせず、そんな迂遠なことをする必要があるのか。

「正解だよ。亡者は人間の願望を、他者の力で満たすことで、その心に隙間を作る。

 そして精神の間隙に侵入した亡者は、肉体から魂を引き剥がし、魂の無い体を自分の物にする。こうして肉体的な復活を亡者は遂げた。

 しかし元々他者の肉体である上に、違う世界の法則に基づいて形成されている肉体は、上手く彼らに適合しなかった。感覚は他者のそれで元来の自分とは異なり、最悪だったのはその肉体に秘められた力が無制限に解放されたことだった。

 人間は通常本来保有している最大能力の三割以下しか出せないようになっている。だがその潜在能力を、取り付いた亡者は制御できず顕在化させてしまう」

 マリアンヌは首を傾げる。

「なんだか、都合の良いことのように聞こえますが?」

「いいや、通常その能力が抑制されているのは、それ以上の力を引き出すと、肉体が損傷を受けてしまうからだ。

 つまり強大な力の過負荷に自身の体が耐えられないのだな。最悪の場合、死に至ることもある。そして力の解放は、人としての姿を失うことも意味していた。君たちは魔物の姿を見ただろう。あれだよ。手に入れた体は異形と化してしまうのだ。

 結局、彼らは肉体を手に入れても、維持できる時間は短かった。開放された能力による肉体の損傷は激しく、注意していても些細なことで崩壊してしまい、また元の亡霊に戻ってしまう。

 まあ、彼らはそれでも構わなかったようだがね。たとえ肉体が崩壊したとしても、次の体を求めればいい。死の境界を越権した彼らは、この世界では永遠に存在し続けられる。

 少なくとも、始めの頃はそうだったんだ」




 教授は少し話し疲れたのか、深く呼吸をした。

 オットーは黙って聞いていたが、最初から疑念を持っていた。

 教授の話はどこまで本当なのだろうか。

 教授が光の戦士であるか、まだ証明されたわけじゃない。

 それどころか今までの話は全て、自分たちを中枢へ連れて行く為の虚言かもしれないのだ。

「マリアンヌ、この人の言ってること、本当だと思う?」

 教授に聞こえないように小声でマリアンヌに訊ねた。

 オットーは彼女が自分の考えに同意するのを予想していたが、しかしマリアンヌはまるで、そんな疑問を持つこと自体理解できないというふうに不思議そうな表情をした。

「こんな嘘をつく必要はないと思いますが」

「どうして? だって、君から聞いた話と全然違うじゃないか」

「最初に違うと断られていましたわ」

 確かにそうだが、真実か否か判断する材料はなにもない上に、疑わしいことはまだある。

「だけど、この人、人間の姿をしているけど、魔物かもしれないよ。上手いことを言って僕たちを捕まえやすい場所へ連れて行こうとしているだけかもしれない」

「それはありえないと思いますわ」

 当然のようにマリアンヌは断言し、オットーはなんだか不愉快な気持ちが生じた。

 まるで自分より、ついさっき会ったばかりのこの人物を信用しているみたいだ。

「どうして? あの影人から助けてくれたから? 信用させる為の罠かもしれないじゃないか」

「それもないと思いますけど。だって、私を中枢へ連れて行きたいのなら、あのまま影人に捕らえさせれば良いだけの話ですし」

 確かにそうかもしれないが、しかし影人と魔物は仲間ではないようだったし、下手に抵抗されて逃げられるのを懸念して、芝居をしているのかもしれない。

 だがマリアンヌは教授に疑いを持っていないようだ。

 まさか本当に、こんな突飛で飛躍した話が真実だと思っているのだろうか。

 もしかするとマリアンヌは騙されやすい性格なのだろうか。

「あの、ちょっと質問が」

 オットーが軽く手を上げた。

 もし魔物だとしたら取り返しのつかない罠にかかってしまうかもしれないのだ。

 もしそうなら、今この場でこの男の虚言を暴かないと。

「なにかね?」

「あなたの話には魔王のことが抜けています。魔王ゲオルギウスはいつになったら出てくるんですか?」

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