32・最初の光の戦士
改めて状況を分析してみよう。
魔物、魔人、あるいは亡者は、光の戦士と私がほぼ同時に魔王殿に到着したことで、接触を妨害する対策を行った。
方法は単純にして大胆。
比較的戦力として弱い三人の光の戦士に、大量の戦力を投入し足止めし、その間に特異点を操作することによって、魔王殿に精神世界と現実世界、そして時空間に異変を発生させ、自分と継承者を接触させないというものだった。
魔王殿全域に亘って異変が発生し、結果、建造物乱立状態という、奇妙で、しかし巨大な迷路のような状態になった。
おそらく、いや、確実に三人の光の戦士と直接接触は不可能だ。
単純に距離や地形の問題だけではなく、周囲の建築物の状態から推測するに、時空間も隔絶されている。
もし例の三人がすぐ側に居たとしても、異なる時空間にいる彼らを、私は認識できず、勿論、彼らからも私を認識できない。
これによって確かに妨害に成功したわけだが、同時に現実世界に精神世界の浸蝕まで引き起こしている。
これは魔物の側でもなんらかの弊害が生じている筈だ。
それは時間経過と共に拡大、深刻化していく。
特にあの影人との遭遇は魔物にも致命的だ。
現在の状況は彼らにとって自殺行為にも等しく、すぐに元の状態に戻す必要がある。
だが手間取っているのか、それとも他の要因か、特異点が戻る兆しは一向に見られない。
それが原因なのか、ここでも魔物たちにとって好ましくないことが起きている。
マリアンヌとオットーと名乗る二人の子供。
どうやら魔王殿に運送されたが、奇跡的に収容所からの脱走に成功したようだ。
どのような経緯で脱走できたのかわからないが、他に捉えられている人間も脱出しているかもしれない。
探し回っている余裕はないが、しかし目的を達せれば解決する問題だ。
とにかく魔物の徘徊する魔王殿に、この二人の子供を放置しておくわけにはいかない。
二人の安全の確保し、魔王殿の外へ移動させる必要がある。
だが、どうやって?
教授と名乗った老紳士は店内に入った時と同じように、壁に刃を突き立て穴を開けた。
「よし、出よう」
端的に告げて教授は穴を潜った。
二人の子供はどうするべきか逡巡したが、少女のほうから動いた。その後を少年が着いてくる。
それにしても金網の地面は歩き難い。
酒場を囲っている鉄格子や周囲一帯に張られている金網は、おそらく二人の記憶が具現化したものだろう。
勿論本人たちが意図したものではなく、当然自覚もないだろうが、魔物たちにとってなんらかの障害になる可能性はある。
しかし、いったいどういう過去の記憶が具現化されているのか、今の判断材料では予想にも至らない。
「こちらだ」
外へ出た二人を促して教授は先導に立った。
まずこの二人を安全圏、つまり魔王殿の外へ出す必要があるが、単純に外側へ向かえば良いというわけではない。
現状で外に出る方法は大別すれば二つだが、どちらにせよ目的地は変わらない。
放置できない以上、二人を連れて行くしかないだろう。
寧ろ問題なのは、このまま精神世界の侵食度が進み、彼らの精神が本格的に現実化する可能性だ。
もしそれが発生した場合、もう一人の自分、ドッペルゲンガーが現出し、なにかの拍子にその精神体であるもう一人の自分を傷つければ、自分の心そのものが直接損傷を受け、心的外傷を負い、最悪死に至る。
この記憶の形成場から急いで離脱しなければならないが、魔王殿全域に亘っていた場合、最後まで危険が付き纏うことになる。
最後がどのような意味にせよ。
前を進む教授の様子に不信を感じたのか、マリアンヌは訊ねた。
「待ってください。どちらに向かうおつもりなのです?」
「魔王殿の中枢だ」
教授の事も無げな返答に、途端に顔色を変える。
「中枢、って。ちょっと待ってください。そんな場所へ行くのは、敵に捕まりに行くようなものですわ。あなたがなにをしに行くのか存じませんが、私たちは魔王殿から逃げようとしているのですのよ」
「言いたいことはわかるが、現在の魔王殿の内外の時空は閉じている状態なんだ。運良く外壁に辿り着いても、時空の断裂で外へ出るのは無理だろう。もし万一、外壁を突破できたとしても、魔王殿のどこかに転移する。なにかそういうことはなかったかね? どう考えても不自然な場所に移動したということは」
屋根裏に出ようとして、重力が逆転した回廊に落ちた時のことを思い出した。
魔王殿の外輪部そのものがそんな状態になっていたとしたら、どう足掻いても外へ出るのは不可能だ。
「それだけならまだしも、時空の狭間に引っ掛かり消滅する可能性もある。
もし奇跡的な幸運に恵まれ外へ出られたとしても、君たちがいた時代とはまったく違う時間に出るかもしれん。お伽噺とかであるだろう、妖精の国へ行って数日過ごしただけなのに、帰還した時には百年も経過していたとか。時間の流れが違うと言うより、あれは時空の歪みが生ずる差異だ」
「では、中枢へ赴いて問題なく外へ出ることができるというのですか?」
「わからん」
見事な答えだ。
呆れるほど見事で、違う意味で危険を感じずにはおられず、思わず教授から逃げ出したくなるほど。
「わからないのに中枢へ連れて行くというのですか?」
「確証がないのだ。よって確信が得られない。しかし、他に方法もない」
「方法?」
どのような方法だというのだろうか。
「魔王殿中枢には転位装置がある。魔物たちが製造したものだ。それを使えば任意の場所に移動することが可能だ。
とはいっても、魔物たちが出現地点を世界中に確保しているとは思えないので、君たちの望む場所へ転移させるわけにはいかないだろうが、魔王殿の外なら問題なく出ることができる。
それ以外の方法は、魔王殿を覆う結界を解除するしかないだろう。だが、結界の正体が不明であるため、解除する方法も不明だ。よって転位装置を使用するしかあるまい」
「……消去法ですか」
随分、不安になる方法だ。消去法で選択すれば当然そうなるだろうが。
それに、問題点として、魔王殿の中枢というのがどこなのか、そして無事にそこまで到達することができるのだろうか。
そもそも、なぜ教授はそんな物の存在を知っているのだろうか。
さらに付け加えれば、転位装置を使うことはできるのだろうか。
だが、それを口にするのは止めた。
魔王殿が危険なのはわかりきっている。
自分には脱出の手掛かりさえなかったのだ。
今は教授の後を付いていくしかないだろう。
ただ一つ気になることがある。
それは大変重要な疑問だ。
そのマリアンヌの疑問を、これまで黙っていたオットーが先に質問した。
「あの、そんなことを知っているあなたは何者なんです?」
そうだ、その質問に答えてもらっていなかった。
マリアンヌは教授の返答を待った。
「私は、君たちが光の戦士と呼んでいる者だ。私は最初の光の戦士の一人だ」
教授は、信じられない答えを、平然と告げた。
「……最初の光の戦士?」
マリアンヌは告げられたことを上手く飲み込めないのか、鸚鵡返しに繰り返した。
オットーが言葉を引き継いで、疑わしい声音で問うた。
「あなたがですか?」
光の戦士を名乗る老紳士は、なんでもないことのように首肯した。
「そうだ。君たちは私たちのことをそう呼んでいた。勇者とも。大袈裟だと思ったがね」
教授はまるで価値がないように、その偉大な尊称を蔑ろに扱う口調だった。
実際彼にとってそういった敬称はまったく意味のないものだ。
「最初の光の戦士は、三百年も前の人物です。そんな長い間どうやって生き延びてこられたのですの?」
もし本当に光の戦士であるならば、という意味で聞いているのだろう。
マリアンヌはあまり信じていないような口調だった。
普通はそうだろうが。
「三百年か……随分経ったな」
感慨深く教授は年月の口にした。
思えばこの世界に来訪しからというもの、殆ど休みなく働いているような気がする。
実質的な年月はもっと短いが、それでも長い時間だ。
しかしそんな感傷などお構い無しに、マリアンヌは返答を要求した。
「質問に答えてください。あなたは本当に最初の光の戦士なのですか? もし本当ならどうやって三百年も生きていられたのです? それに、光の戦士だとしたら、魔物の活動が再開されたというのに、今迄なにをなさっていたのです? それから……」
「質問は一つずつにしてくれないかね」
マリアンヌの質問攻めを、やんわりと窘めた。
「君の疑問はもっともだ。だが簡単に説明できることではないということも、考えれば分かると思う。説明は長く、しかも難しい。とにかく、順序だてて話していこう」
説明を始めようとした教授は、少し困った顔になる。
「とは言うものの、先ずどこから話すべきか。……そうだな、君は魔物とはどういうものだと聞かされたかね?」
マリアンヌはその簡単すぎる質問に逆に困ったようだ。
教授の口ぶりからすると、魔物の正体には裏がありそうなのだ。
しかし他に答えが思いつかなかったので、そのまま口にする。
「魔物は、魔物ですわ。地獄から来訪した異形の生物。この世界に侵攻せしめんとする、世界の敵」
「まあ、そう言えないこともないが……」
教授は歯切れの悪い答え。
これではなにを伝えようとしているのか全然わからないだろう。
「違うのですか?」
「違うな。特に最も大切な要点に間違いがある」
「なんですの?」
「彼らは生物ではない」
マリアンヌとオットーは顔を見合わせる。
生き物ではないというなら、なんだというのか。
「彼らは、死んでいる」
「死んでいる?」
「そう、死人だ。だから生きていると呼べるかどうか大変疑問だな」
二人は飛躍した話についていけないのか、呆気に取られた表情をした。
駄目だ。
教授は危機感を持った。
これでは信頼を得られない。
二人は、自分が敵ではないことを最初の段階で認めたようだが、このままではその考えも撤回され、逃げ出してしまうかもしれない。
任務遂行には彼らは足手纏いでしかないのだが、だからといって放置するわけにもいかない。
魔王殿と称されるこの場所で、生身の人間が長く生きられるとは思えないし、ただでさえ不確定要素が増大している。
教授は辛抱強く説明する必要があると認め、二人の同意を得ることにした。
「良いかね、今から私が説明することは、君たちにとって些か突拍子もないことに思えるだろうし、君たちが今まで聞かされてきた伝承とは違うかもしれない。
だがあまり口を挟まずに、最後まで聞いて欲しい。その上で、私が何者であるのかを教えよう。
逆に言えば、説明を聞かなければ、私が誰であるのか、いくら説得しても君たちは信用しない。それどころか、魔物の手先と思うかもしれない。最悪の場合は、ただの頭のおかしな人物と断じてしまうかもしれない。
だから、最後まで説明を聞いて欲しい。わかったかね?」
二人の子供は、とにかく説明を聞くのを重要としたのか、首肯した。
「よし、では授業を始めよう」
いつ授業になったのだろうか。
オットーとマリアンヌは顔を見合せた。
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