34・光の戦士の力

 マリアンヌは、オットーが口にした魔王の名前に意表を衝かれ動揺し、その感情の揺らぎは教授とオットーにも伝わってしまった。

「どうしたの?」

「い、いえ。なんでもありませんわ」

 即座に平静を装うが、一度見破られた心の色は簡単には誤魔化せない。

 マリアンヌが教授を敵ではないと判断したのは、他ならぬオットーの為だ。

 自分が魔王殿に拉致されたのに、なにか悪しき思惑があるのは予想できる。

 だが魔王であるオットーが側にいるというのに、なぜ魔物がこんな手の込んだことをして連れて行く必要があるというのだろうか。

 魔王本人が力ずくで連れて行けば良いだけの話だ。

 まして魔物ならば、彼らの主である魔王がすぐ眼前に坐すというのに、儀礼を完全に無視したこんな態度は取らないだろう。

 先ほどの囚人たちのように視覚が塞がれているならともかく。

 だから彼女は教授を敵ではないと判断していた。

 ごく当然のように、意識にも上がらなかった理由で、教授を信用していたが、オットーには信用できる判断材料など皆無に等しいのだと、迂闊にも今まで気付かなかった。

 心の平静を欠いた彼女は、もし少しでも追求されれば、虚言が容易く剥がされただろう。

 しかし幸いというべきなのか、別の事態が発生し、マリアンヌに向けられた不審な目は別の方向へ転じた。

 それで状況が好転したのか甚だ疑問だったが。

 金網が突然振動した。それは始め小さく、だが次第に大きくなっていく。

「地震!?」

 マリアンヌは石畳が崩壊した時を思い出して戦慄した。

 あの時のように金網の足場も崩壊してしまうのだろうか。

 しかしすぐに揺れ方が違うことに気がつく。

 一定の間隔で発生する振動の具合は、まるで巨大ななにかが歩行している音だ。

「いかん、ここにいるのは危険だ。建物の中に入るぞ」

 教授は刃をステッキから抜くと、壁に突き刺した。穴が開き二人に入ることを促す。だが揺れが激しくて思うように進めない。

 そして、それが姿を現した。

 十メートル近くの高さの位置から、建築物の陰から窺うように首を突き出すそれは、太古の時代に生息していたと言われる古生物に酷似していた。

 だが絶滅した恐竜が現代に生存しているわけがない。

 恐竜に似た魔物だ。

 GuOOOOO!!

 咆哮が響かせ、獲物を捕らえようと、それは凄まじい勢いで突進する。

 金網の上に咲く硝子の花を踏み砕き、全てを食い千切る巨大な顎を開く。

「早く中に入れ」

 二人を促し、教授は屋内に二人を避難させた。

 だがその本人は外に残っているのに、壁が縮小して閉じる。

「教授?!」

「なにをしていますの?!」

 二人の子供は悲鳴じみた声を上げるが、教授は落ち着き払って答えた。

「そこを動くな」



 教授は細い剣を構え、刃を数度、空で振った。

 それは無造作で一見なんの意味もないように思えたが、しかし恐竜の表皮に鋭い切り口がいくつか開いた。

 空気の断層、真空が引き起こす刃、鎌鼬と呼ばれる現象だ。

 それは一時恐竜を怯ませたが、しかし再び咆哮し突進を始めた。

 教授は身をひるがえして跳躍。

 迫り繰る鋭い牙の並んだ顎を、寸前で回避し、続けて恐竜の背で跳躍して大きく間合いを取る。

 金網の上に着地した瞬間を狙い、恐竜は先端に無数の棘が並んだ、丸太のような太さの尻尾を横薙ぎに振るった。

 教授は猛速度で迫る尻尾に、軽く手を添えて、攻撃方向に合わせて跳躍。

 攻撃の勢いと重なり、三階分まで飛び、壁を足場として再び跳躍。

 空中で刃を数度振い、魔力の弾丸を放つ。

 恐竜の背に全弾命中するが、やはり少し怯んだだけで、大きなダメージは与えられていないようだ。

 この太古の古生物に似た魔物は、単純に力と防御力を高めることのみに設定されているようだ。

 つまり巨体で強引に勝負に出ようと考えたのだろう。

 確かに今の自分は人間であり、その力は限定されている。

 数で押し切るよりは悪くない戦略だが、甘い。

 金網の上に着地した教授は、続けて恐竜に向けて刃を振り下ろした。

 十数メートル離れた恐竜に向けて、三つの光の白刃が走る。

 命中したそれは、またしても恐竜を怯ませただけで、外傷を負わすことができなかった。

 GOAAAA!!

 恐竜は雄叫びを上げて教授へ向かって突進する。

 その勢いは生半可な攻撃では止めることができないほどの威力に満ちていた。

 しかし教授はその場から動かない。カウンターを狙っているのだとしても、先の攻防で判明した恐竜の防御力の高さを考えれば、無謀としか思えない。

 到達時間は三秒もなく、教授がその巨大な顎の犠牲になるのを二人の子供は予想し、目蓋を思わず強く閉じた。

 COAAAAA!!

 だが聞こえてきたのは教授の断末魔の叫びではなく、恐竜の悲鳴だった。

 見ると、恐竜は金網に半ば体を埋めて身動きが取れなくなっていた。

 単純な罠だ。

 光の白刃は恐竜を攻撃したものではなく、本命は金網に切れ目を入れるものだった。

 そしてその切れ目の入った場所に来た恐竜は、その自重で金網を踏み破り、落とし穴にはまった。

 GU……GUGOOO……

 教授の眼前で動けなくなった恐竜は呻き声を上げて暴れ、体を揺らして逃れようとしても、支点となる場所のない尻尾や足は空を掻くだけで、力が伝わらない。

 凶悪な牙の並ぶ顎も、動けないのでは無意味だ。

「まあ、こんなものだ。地獄の亡者よ。おまえのいるべき世界へ戻るがいい」

 GU……GUGU……

 助けを請う瞳の恐竜に、教授は剣を逆手に持つと、無慈悲に頭部に根元まで突き刺した。

 巨体は朧な光に包まれ、魔物の体は急速に崩壊を開始した。

 肉も骨も乾燥した土の様に崩れ、一陣の風が吹いた時には、その巨大な魔物の痕跡は残っていなかった。

 そして、その体に潜んでいた亡者の魂は、光と共にこの世界から消えた。

 光の戦士の力の本来の使用法とは、亡者の魂を彼岸へ強制転移させる力だ。



「凄い」

 少年は思わず感嘆の声を呟いた。

 その圧倒的な強さは、一概に光の戦士という主張が嘘ではないという気にさせる。

 魔物を包む光の持つ力は、抗うことはできず圧倒的な強制力でもって、本来あるべき死を死の形へと帰す。

 何者もそれから逃れる術はない。

 それはどこにでも存在し、常に側にあり、自らの内にいる。

「……え?」

 オットーは不意に自分がなにを考えているのかわからなくなった。

 自分は今なにを感じたのだろうか?

 失われた記憶が不意に甦りかかっているのか、オットーは今の光景に見覚えがあった。

 そうだ、僕はこの光を知っている。

 どこで見たのだろう?

「オットー、オットー」

 マリアンヌが妙に明るい声でオットーに告げる。

 そのおかげで甦りかけた記憶の糸が途切れ、急速に現実感を取り戻す。

「う、うん? なに?」

「ほら、オットー。今のを見たでしょう。やはり教授は敵ではありませんわ。信頼して良いと思います」

 オットーの不信感をここで拭っておかなければ、教授にもオットーにも、その正体が判明してしまうかもしれない。

 そういう思いから、マリアンヌは口にしたのだが、かえって逆効果だった。

 オットーは怒ったように口を噤んでしまった。

 それはマリアンヌを守ると言ったのに、なにもできずに傍観するしかなかった、非力な自分への怒りだったのかもしれない。

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