30・罠


 書記官と二人で目的地に向かうアルディアスは、苛立ちを隠しえないでいた。

 ゴードという男は、光の戦士の運命とその崇高なる使命を、軽んじているように思えてならない。

 確かにあの村は魔物の脅威に晒されている。

 だが村の独力で解決できるのなら、そうするべきだ。

 いつも都合よく我々が来てくれるとは限らないのだ。

 それに命令書に記された目的地では、あの村とは比較にならないほどの魔物の勢力に脅かされている。

 早急に到着して対処しなければならないという、こんな簡単な事実をあの男は受け入れない。

 目前の些事に拘り、大局を見ていないのだ。

 書記官はアルディアスの機嫌を損ねないように用心しているようだったが、しかしアルディアスは他人に感情をぶつけるような、無分別な人間ではなかった。

 それは騎士の精神に反する。

 やがて三日経過し、昼頃に目的の砦が遠くに見えた。

 しかしまだ遠く魔物の姿もなかったため、砦に入る前に一旦昼食を取りながら、一応サリシュタールを待ったが、結局追いかけてこなかったようだ。

 ゴードは期待していなかったが、彼女は魔術師とはいえ王国に仕えている身なのだから来てくれるものと思っていた。

 しかし来ないものは仕方が無い。

 アルディアスは一人で対処する覚悟を決めた。

 そして砦を前にしたが、閑寂としてまるで人一人いないようだった。

 まさか絶滅したのだろうか。

「きっと魔物の襲撃に備えて中に立て篭っているのでしょう。いえ、絶対に守衛たちが魔物と対抗して村人を守っているはずです。光の戦士様が二人居られないので予定より戦力が低下していますが、しかし彼らと協力すればそれは補うことができます」

 書記官の適切な助言に従い砦に入ることにした。

 この書記官をアルディアスは良く知っている。

 彼は騎士見習いの頃から騎士団の中で重鎮されており、騎士たちの要望に答え、予算を上申し、そして得たそれを的確に運用する。

 また各地方の市町村に配備されている兵の状況を逐一確認し全て暗記しており、彼に聞けば適切な戦略を練ることが可能だった。

 彼のおかげで騎士団の運営がどれだけ楽になったことか。

 剣を握ったことが無く、戦いに関してはまるで素人だが、騎士たちの信頼は厚い。



 開いた砦の正門をくぐったそこで彼を迎えたのは、夥しい魔物の群れだった。

 壁に猿忍者がへばりつき、犬頭の怪物が武装し、小鬼が笑い、九腕巨大な昆虫のような人型の魔物が浮遊していた。

 無数の魔物の中心に魔人と思わしき牛頭の怪物が悠然と座している。

 そして砦の至る所に人間だったものが散らかっていた。

 幾人もの人間が、聖者のように杭で壁に貼り付けにされていた。

 槍で早贄のように串刺しにされ地面に突き立てられていた。

 木の緑に解体模型のように分解された体が飾られていた。

 魔物たちの腰には戦利品のように生首をぶら下げ、首には耳を削ぎ取り紐で繋げた首飾りをかけていた。

 老若男女、非戦闘員問わず、砦の兵士も、周辺に住む村人も、そこでは魔物の玩具になっていた。

 常に冷静であることを心がけているアルディアスは、しかしその光景を目にした途端、憤怒心頭に達した。

「きさまらぁ!」

 戦闘態勢を取るアルディアスに、牛頭の怪物は笑みを浮かべた。

「下がって! 砦を出るんだ! ここは私が時間を稼ぐ!」

 アルディアスは書記官を促す。

 非戦闘員である彼は足手纏いにしかならない。

 一旦砦の外に退避してもらう。

 外に魔物がいない保証など無いが、しかし自分一人でも危険なこの状況では、他に方法もない。

 とにかく書記官を避難させ、自分は頃合を見計らって砦から脱出し、外から門を閉ざす。

 その後は砦から出てくる魔物を各個撃破していくのが、現在取れる最良の戦略だ。

 怒りに満ちた頭で、しかしアルディアスは冷静に分析する。

「頑張ってください!」

 激励をかけて書記官は砦から退避し、そして外側から閂がかけられた音がした。

 アルディアスは彼がなにをしたのか一瞬理解できなかった。

 なぜ外から閂をかける必要がある。魔物を閉じ込めておくためか。

 しかし自分が中にいるというのにそんなことをすれば撤退行動が取れなくなる。

 夥しい数の魔物がにじり寄って来る。

 後退り背後の門に背中が当たる。

「なにをしている? 閂を外せ! 私が出られない!」

 返ってきたのは冷たい声。

「出る必要なんてありませんよ。あなたはここ戦死なされるのですから」

 アルディアスは書記官がなにを言っているの理解できなかった。

「なにを言っている?」

 疑問を告げると共に、不意に体に違和感が生じた。

 全身の力が抜け、痺れに似た感覚が満ちていく。

 視界は朧になり、剣を握ることも、立つことも困難になっていく。

 なんだこれは?

 魔物の呪いか?

 書記官の声がやけに明瞭に聞こえる。

「王国の聖騎士、光の戦士は国境沿いの砦で戦死なされた。王や諸侯は残念に思うでしょうが、なに安心してください。あなたがこれまで上げられた武勲はきっと後世まで称えられますよ。ああ、そうそう、昼食は美味しかったですかな? 特製の調味料を入れておいたのですが、そろそろ効果が始まる頃でしょう」

 アルディアスは自分の身に起きていることをようやく理解し始めた。

 王の命令書は偽書だ。

 砦は報告を受けた時点で既に絶滅しており、そこに自分たちを誘き寄せるための罠だったのだ。

「いや、しかしこんなに上手く事が運ぶとは思いませんでした。貴方たちが仲違いしていたのは知っていましたが、まさかあんな簡単に別れてくれるとは」

「まさか、あの村の魔物も」

「ええ、私の指示です。一匹徘徊させただけで、離散してくれるとは、本当に期待通りで嬉しい限りです。ああ、安心してください。例の魔物は、あなたの目の前にいるどれかにいますから。あの村は安心ですよ。しばらくはね」

 魔物の群れの中に無数の犬顔の怪物が混じっている。

「魔物に、魂を売り渡したのか」

 信じられない思いで呻くアルディアスに、嘲笑を持って答える。

「はっはっは、馬鹿なことをおっしゃらないでください。私が売るのはあなたたちだ。聖騎士様と、次は魔術師様に勇者様です。そして私は魂を剥奪されずに欲しいものが全て手に入る」

「欲しいものだと?」

「金と地位だ!」

 激昂したように書記官は叫んだ。

「貴様ら騎士様は武勲とやらで出世するが、私はそんなものとは無縁だった!

 どんな忠誠を尽くしても! どれだけ献身を捧げようとも! 僅かな給金しか与えられず出世することも無い!

 そればかりか貴様らは私を便利屋のようにこき使いおって! 注文ばかり多く、上手くいかなければ文句や愚痴を垂れ流す! 到底不可能なことでも剣で脅してくる!

 もううんざりなんだよ!

 だが、貴様らを魔物どもにくれてやれば、たったそれだけで私は人生に勝つのだ。そう、ほんのちょっと知恵を使うだけで、魂を奪われることなく、願望は達せられるのだ。人生は力じゃない。頭なんだよ!」

 叫ぶだけ叫んで気が済んだのか、彼は静かに告げる。

「さあ、もう良いでしょう、光の戦士様。私のために死んでくださいませ」

 慇懃無礼というよりも、皮肉な口調の書記官に、アルディアスは衝撃を受けていた。

 献身的な仕事と人徳で信頼と尊敬を受けていた彼が、心にそんな深い闇を抱え込んでいたとは。

 そしてそれが今、自分を窮地に追い込んでいる。

 そればかりか砦が一つ絶滅した。

 魔物たちがそれぞれに武器を掲げて包囲を狭める。

 今の自分の体調で、一人だけでこれだけの数を相手に生き残る可能性は、あまりにも低い。

 アルディアスの心に、その強靭な意志をも上回る、絶望感が満ちた。

 これが自分の最後か。

 仲間と仲違いして別れ、信頼していた男に裏切られ、そして人生の幕を閉じるのか。

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