森の聖域
早朝。
空が明るくなり始めた頃、「魔女の家」の住人は出かける支度を整えていた。
「さぁ!必ず聖剣を持って帰りますよー!おや」
ルビィはエルシーの服装を見て、感嘆の声を上げた。
エルシーは白い長い衣を着ていた。ただし、聖女の簡素な衣装ではなく、柔らかい薔薇色のサッシュを巻き、金とピンクの縁取りをし、銀の糸で
「あの『聖女の服』を改造した奴ですね!これなら防御効果も高くてしかもお洒落です!」
聖女の白い衣は、武器や魔法による衝撃を緩和する特殊な布で作られている。その上聖女を守るための祈りが込められていて、邪気を防いでくれる。
エルシーは何枚か同じ服を持っていたが、それを作り直してデザインとしても満足のいくものに仕立て直した。
薔薇色のサッシュは身を軽くする効果があり、縫い込まれた銀の糸は毒や麻痺を緩和する。
鞄に回復薬と弁当を詰め、エルシーは外へ出た。
バートランドは既に準備を終えて待っていた。
「よし、行こう!俺の後ろにいるといいよ」
「はい、今日はお願いします」
かつて「聖女の盾」の皆と旅をしたことを思い出して、エルシーは懐かしさを感じた。
死霊の森の探索は順調に進んだ。
剣が通じる魔物はバートランドが倒し、そうでない魔物はエルシーが聖女の力で浄化するか、剣に力を与えて攻撃可能にした。
森の中心部へ進むと、辺りの雰囲気は一変する。
鬱蒼とした森が途切れ、柔らかな草の生える広い空き地が現れた。
頭上には青空が見え、明るい光が降り注いでいる。
「こんな所があったのか。誰もここのことは知らないみたいだな」
(聖女の導きが無ければ、ここにたどり着けませんからね)
ルビィが心の声でエルシーに誇らしげに語る。
エルシーも、初めて見る風景を興味深げに眺めていた。
「ここには普通の花も咲くのね」
あちこちに色とりどりの花が咲いていた。
見たことのない花もあるが、森の周辺で見かけるような普通の植物もある。
ルビィが頷いた。
「庭に普通の種を蒔いても変な方向に進化しますからね」
「えっ!?あれ普通の種から育ったのか!?」
バートランドが意外そうに言った。
「この間引っこ抜いた野菜なんかやけに気合が入ってたな」
裏庭の畑からカブを持ってくるように頼んだところ、いきなり裏庭から「よっしゃー!」と聞きなれない声がした。その直後、困惑した顔のバートランドがカブを手にして家に戻ってきたのであった。
成分は普通の野菜と変わらないので料理することにしたが、野菜を鍋で煮る間、賑やかな独り言が台所中に響いていた。
料理が完成した頃には静かになったが。
「家の中で育てないと、普通の花は咲かないわ」
エルシーは溜息を吐いた。
花が好きな彼女は、家の周囲に色々な花の種を蒔いたのだが、どれもまともに育つことはなかった。
一つの茎に二、三個の違った花が咲いたり、全身ガラス細工になったり、笑い声を出すものや歌を歌うものまであった。
そういうものも面白いし、珍しい素材として重宝されるので損にはならないが、馴染みの花を観賞するためには、家の中の鉢植えで満足しなければならなかった。
花畑の奥に、白い石造りの神殿が見える。
「旧王国時代に造られた神殿です。……大丈夫、中には魔物の類はいません」
建設されてから長い月日が経っているに違いないが、緑の
ルビィが先頭になり、透き通った小さな羽をはためかせて神殿の中へ飛んでいく。
磨き抜かれた石の床に、二人分の足音が響く。
「誰もいないの?」
エルシーの声が、静かな建物の中に響く。
「番人はいますが、私達に攻撃してくることはありません。そこら中に精霊達の気配は感じますね」
視界の端にちらちら動く小さな影や、壁の向こうからのぞく透明な人の姿が見える。
特に敵意は感じないものの、近づいてくる者もいない。
「あまり人に慣れていないみたいね。長い間人が来ないせいかしら」
「精霊は大抵警戒心が強いからね」
バートランドは、冒険の中で出会った精霊の話をした。
襲い掛かってきた精霊を説得した時のことや、魔物と化した精霊を討伐した時の事など。
「ブラックウッドの方は人間を嫌っている精霊も多いよ。戦いが続いて人も精霊も荒んでいるからな」
「この国の精霊は人懐こいのも多いわ。前に旅をした時も色々助けてもらったのよ」
(特に貴女は聖女ですからね)
ルビィがこっそり相槌を打った。
(それに前作『聖乙女1』のヒロインの子孫でもあります)
クロフォード男爵家初代当主の妻ローズマリーは、姫巫女……『聖乙女1』のヒロインの子孫である。
(「聖乙女2」の派生作品のヒロインだから、そのような繋がりがあるのも当然ですね)
(そう言えば、まだバートさんに私が聖女だということを話してないわ)
エルシーは考えた。
この国の人間ではない彼に、そのような重要なことを話して良いものか?
信頼できそうな人だと思う。
力仕事は進んでやってくれ、買い物を頼んでも快く引き受けてくれる。
仕事で得た収入を、宿代としてエルシーにも分けてくれ、果物や花を持って帰ってくることもあった。
この間は、綺麗な赤い宝石をくれた。……それが、魔物の体の一部だということは考えないことにしている。
(いきなり全て話すわけにはいかないけれど)
「乙女ゲーム」など語るのが難しい話もあるが、まずここで聖女であることを打ち明けよう、そこから少しずつ歩み寄っていけたらいいとエルシーは思った。
隣に並んで歩くバートランドを見上げると、誠実そうな濃青の瞳が彼女を見返した。
「聖剣を見るのが楽しみだな」
少年のような無邪気な笑顔に思わずエルシーも微笑する。
「バージル・クロフォードは私の先祖なの」
「えっ、そうだったのか!子供の時からよく聞いたよ、聖騎士バージル・クロフォードの話は!」
バートランドは瞳を輝かせて興味を示した。
ブラックウッド王国でもバージルの名前は有名らしい。
戦乱の多い土地だけに、強い人間に対する尊敬の念が強いのだ。
「勇者になるのは、国中の戦士の憧れだからな」
呟く彼の顔に影が差し、かすかな微笑みに大人びた表情が現れた。
子供の頃の憧れが、無残な形で壊された。その彼の気持ちはどんなものだろう。
エルシーは彼にどう言えばいいのかわからず、ただ同情を込めた目で見つめていると、バートランドが笑いかけた。
「心配ないよ。勇者になるまでも、なったあとも、たくさん試練はあったからな。確かに、今回は一番辛かったけど、こうして君達が助けてくれるから、まだ戦える」
力強い言葉に、エルシーは微笑んだ。
「えぇ、貴方がもっと前に進めるように、私も手助けしましょう。聖剣を預かる者として」
「こっちですよー!」
ルビィの声が、遠くから聞こえる。
いつの間にか遅れてしまったようだ。
二人は足を速めて、聖剣の元へ急ぐ。
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