氷の淑女

 薔薇ばらに囲まれた小さな東屋あずまや

 小鳥がにぎやかにさえずり、時折涼しい風が吹き抜ける。


 このような時でなければ、大いに辺りの景色を楽しむところだが、エルシーはアイリーンに対し、どのように切り出したものか悩んでいた。


 アイリーンは一分いちぶすきも無く完璧かんぺき淑女しゅくじょの装いをしている。

 身にまとった深い青のドレスは、品良く古風な趣があり、アイリーンに女王のごとき威厳を与えていた。

 自分のドレスを見下ろして、エルシーは気遅れを感じた。

 仲の良いわけではない義姉。そんな彼女をいつまでも待たせるわけにはいかず、エルシーは慎重に切り出した。


「お姉様は、ブライアン様とのご結婚を望んでおられるのですか?」

「婚約者ですから、その時が来れば結婚しますわ」


 アイリーンは素っ気なく答えた。

 エルシーが聞きたいのは、そのようなことではなかった。


「お父様が反対なさっているのではないですか?」

「貴女が心配することではありません。第一、貴女にとってはどうでもよいことではなくて?」

「そんなことはありません。お姉様が早くブライアン様とご結婚されればよいと思います」


 アイリーンは探るような目でエルシーを見た。


「何故貴女がそんなことを気にしますの?本当は、貴女がブライアンと結婚したいのではないかしら?」

「お姉様!私は一度だって、そんなことを思った事はありません。ブライアン様だって同じですわ。あの方はお姉様と結婚したいと思っていらっしゃいます!」


 あまりのことに、エルシーは強く否定した。


「ブライアン様のお気持ちがわからないのですか?ブライアン様はいつも、お姉様のことを大事になさっているではありませんか」


 アイリーンは顔をそむけた。


「それは、わたくしが婚約者だからでしょう。あの方は、義務感で結婚するおつもりなのですわ」

「お姉様は、ブライアン様と結婚できなくなっても良いのですか?」


 アイリーンはすっと立ち上がった。


「エルシー。貴族の娘は、自分のために結婚するのではありません。行けと言われたら、どこにでも行かなくてはならないわ」

「お父様が反対するから、あきらめるとおっしゃるのですか。せめてブライアン様に、ご自分の本心をお伝えしないと、一生後悔することになりますわ」

「そのようなことをして何になりますの?もう、この話はお終いです」


 アイリーンは堂々とした足取りで小道を去っていった。




 エルシーは、ぼんやりと花を眺めながら、アイリーンの真意について考えた。


(私が話しても無駄みたいだわ。やはり、ブライアン様がお姉様とよくお話をするべきではないかしら)


 そう思ったが、先程のブライアンとの会話を思い出して絶望する。


(……それが駄目だったから、私が話すと言ったのよね。でも、結局はお姉様とブライアン様の問題なのだし……)




 がさがさと茂みが揺れ、エルシーは身構えた。現れたのは、藍色の髪の青年。シミオンだった。


「……そこで、何をしていらっしゃいますの?お姉様が邪魔してはいけないとおっしゃったのを聞いていらっしゃらないのですか?」


 エルシーのとがめるような口調に、シミオンは動じる様子も見せずに答えた。


「アイリーン様のお怒りは覚悟の上です。あの方の身に何事かが起きては取り返しがつきません」


 愛情というよりは、狂信といった方がよい態度にエルシーは寒気を感じた。


「わたくしがお姉様に危害を加えるとでも思ったのですか?」

「今まで何をしてきたと思っている?嫌がらせをしたといつも嘘の証言をしてきたではないですか」

「……おっしゃることがわかりませんけど」


 この人は何を言ってるのか?エルシーは恐怖を感じ始めた。早く会話を切り上げたい。

 だが、シミオンは道をふさぐように立っている。


「知らないふりをするつもりですか?物を壊されたと言ったり、わざと池に飛び込んで突き落とされたと言い張ったり……」

「いくら今日のドレスが気に入らないからって、そんなことはしません!」


 それはともかく、本気で何のことだが全くわからない。

 エルシーはますます混乱する。


「王妃の座を狙って、王太子殿下をたぶらかし、婚約者であるアイリーン様をおとしいれるとは―――!」

「王太子殿下には一度もお会いしたことはございませんけど。それに、殿下に婚約者がおられないのはご存じないのですか?」


 王太子アルフレッドは「聖女の盾」候補である。

 聖女を守る使命を果たすため、婚約者を持たないでいることは、この国の貴族なら誰でも知っている。


(外国の方だから知らないのかしら?いつの間にかブライアン様が王太子殿下にすり替わってるし……)


「卒業パーティーで、アイリーン様を断罪しようとしても無駄だ!必ず阻止してみせる!断罪されるのは、貴女と王太子だ!」


 黒い美しい瞳を狂気に染め、それだけ言い残すとシミオンは歩み去っていった。


「…………」


 エルシーは茫然ぼうぜんとその後ろ姿を見送った。


(卒業パーティー?誰が何を卒業するの?)

(お姉様を断罪?池に落ちたぐらいのことで?相手の方が罰を受けそうだけど。大体誰も池に落ちてないじゃないの)

(私はともかく、何故王太子殿下が?謀反むほんたくらんでる、とは思えないけど……)


 わからないことだらけだった。


(もうこれ以上、あの人と関りたくないわ)


 うんざりした気持ちでエルシーは立ち上がると、東屋あずまやを後にした。

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