義姉の本心

 お茶会が終わり、屋敷の廊下を歩くエルシーを、小さな声が呼び止める。


「エルシー」


 声のした方へ振り向くと、扉の影からアイリーンがのぞいてた。


「少々、お話ししたいことがありますわ」

「はい、何でしょうか」


 エルシーが部屋に入ると、アイリーンは静かに扉を閉めた。

 薄暗い小さな部屋。物置のような、あまり人の来ない部屋だった。今は、アイリーンとエルシーの二人だけである。


「……今日は、ブライアンとお話ししていましたわね」


 言いにくそうに間を置いて、アイリーンが尋ねた。


「えぇ、それが……?」


 エルシーは少し不安を覚えた。後ろめたい所は何も無いが、アイリーンの気にさわったのかもしれない。


「ブライアンのこと、どう思いまして……?」


 顔を半ば背けて、アイリーンは尋ねた。

 これは、はっきり言っておかなければいけないとエルシーは思った。


「はい、親切で良い方だと思います。お姉様と中々お話しできなくて、残念そうでしたわ」

「そうかしら?」

「えぇ、わたくしは将来の妹ですから、仲良くしなければならないのですわ。それだけのことです」


 アイリーンはうつむき、ぽつりと一言。


「ブライアンは、美しい方ですわね」

「そうですね。あれほど、ご自分の容姿に執着なさっている殿方には、初めてお会いしましたわ。わたくしは田舎育ちですから、あのような殿方がいらっしゃるとは思いませんでした。美しくなるために、学ぶことは多いですわ」


 遠回しに異性と意識していないと伝えようとしたが、アイリーンはつぶやくく。


「そう。あれほどの方は、なかなかおりませんものね」


 今一つ伝わらなかったようだ。


(どう言えばいいのかしら。魅力を感じませんとはっきり言っては失礼になるし…………)


 エルシーが悩んでいると、アイリーンが尋ねた。


「二人で何を話していたの?ブライアンは、楽しそうでしたけど」

「大したことでは……」


 言葉をにごそうとしたが、誤解を招くことを恐れたエルシーは、思い切って言うことにした。


「何も心配することはありませんわ。ブライアン様はずっと髪のお手入れについてお話ししておりましたもの。凍り付くような寒い冗談もうかがいましたけれど」

「…………」


 アイリーンは沈黙した。それをどうとらえていいのか悩んでいると、廊下の先から、話し声と足音が聞こえてきた。


「引き留めて悪かったわ。……貴女は、少し後から出なさい」


 アイリーンは、エルシーの側を通り過ぎて廊下へ出て行った。ふわりと異国的な芳香がただよう。

 時間を置いて、エルシーも部屋に戻る。




(アイリーンお姉様は、どう思ったかしら)


 ブライアンを恋愛対象として考えることはできなかったが、些細ささいなことで誤解を生じる恐れはある。

 貴族社会では噂の伝わるのが早く、恋愛に関する醜聞しゅうぶんは身をほろぼすことにもなりかねない。


(できるだけ、ブライアン様とはお話ししない方がいいでしょうね。でも、お姉様の婚約者である以上、無視するわけにもいかないし……)


 それに、ブライアンの侯爵家も、エインズワース公爵家に劣らず裕福で、宮廷では有力な貴族の家柄である。

 貧しい男爵家の出身であるエルシーには、無礼な振る舞いはできない。


 貴族社会の礼節については、公爵家に来てからは特に厳しく叩き込まれていた。

 しつこく言い寄る名門貴族の子息に手ひどく肘鉄ひじてつを食らわせた貧しい男爵令嬢が、変死した話も聞かされた。

 本当の事かどうか知らないが、ちょっとしたトラウマだ。


(話しかけられたら、お相手しないわけにはいかないわね……)


 考えながら、何となく手の内の小瓶こびんふたを開ける。昼間、ブライアンからもらった薔薇ばらの香油だ。

 異国的な強い薔薇ばらの香りが鼻孔びこうをくすぐる。


(あら、この香り……)


 アイリーンが立ち去る時に、これと同じ匂いをいだことを思い出した。


(お姉様は、本当はブライアン様をしたっておられるのではないかしら)


 ブライアンと話すアイリーンは素っ気ない態度で、婚約者のことは気に留めていないように見えた。

 だが、エルシーがブライアンと話している間、何度も義姉の視線を感じた。


 ブライアンは、アイリーンの父公爵に好かれていない。公爵が、アイリーンよりもっと冷たい態度でブライアンに接するのを見た。

 長年婚約していながら、結婚の話が出ないのは、公爵の反対があるのかもしれない。それなら何故、二人を婚約させたのか?

 その辺りの事情は、エルシーにはわからなかった。


 アイリーンは模範的もはんてき淑女しゅくじょであるだけに、親の反対があれば結婚できないと思ってるのだろう。

 先程の会話から、アイリーンも本心ではブライアンと仲良くしたいのだとエルシーは直感した。


(お姉様とブライアン様が仲良くなれるように協力しましょう!)


 屋敷の人々にも、アイリーンの取り巻き貴族達にも嫌われながら、嫌がらせなど実質的な被害がないのは、きっとアイリーンのおかげだとエルシーは考えていた。


 取り巻きの令嬢達が誰かの悪口を言う時も、アイリーンは彼らに同調せず反論したり、会話を打ち切ったりしたのを見ている。

 陰口や嫌がらせのたぐいをアイリーンは嫌い、そのような行動に熱中する人間を容赦ようしゃなく取り巻きから追い出した。

 あらゆる人々がめそやすように、彼女は確かに立派な淑女しゅくじょだった。


 そのような義姉の淑女しゅくじょらしい振る舞いを感嘆の気持ちで見ていたが、自分もその義姉のおかげで守られているに違いなかった。


 義姉に嫌われたことが家の内外で冷遇される原因なら、まずアイリーンと仲良くする努力をしなければいけない。

 アイリーンに近づこうにも、周囲の使用人や貴族達が邪魔して追い払われるが、ブライアンを通して和解することはできるかもしれない。


 義姉のためにも、婚約者と仲良くして幸福になって欲しい。

 エルシーは決心して、眠りについた。

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