アイリーンの婚約者
暖かな日差しが降り注ぐ午後の庭園。
心地よい風が色とりどりの花びらを揺らす。公爵家自慢の
招待された紳士淑女達は競って華やかな衣装を身に着け、満開の
中でも最も賑やかな一団は、公爵令嬢アイリーンとその取り巻きの人々だった。
身にまとった紫色のドレスは、派手さを抑えたデザインで、優雅に巻いた銀色の髪の先端まで隙の無い見事な装い。同年代の令嬢達の中でもアイリーンは最も洗練された高貴な淑女であった。
取り巻く令息令嬢達の賛辞に埋もれつつも、アイリーンは気高い淑女らしい態度を崩さなかった。
「アイリーン!」
アイリーンは、わずかに眉をひそめた。
駆け寄ってきたのは、稀に見る美青年だった。
つやつやした栗色の髪に、美しいはしばみ色の瞳。絶妙な配置に整えられた美しい顔立ち。動作は洗練され、美麗な服装が良く似合っていた。
「ブライアン。人前でそのような大声で呼ぶものではなくてよ」
「えー、久しぶりに会ったのに、嬉しくないの?」
「まずは礼節をわきまえてくださいませ」
つんとした表情で冷淡に諫めるアイリーン。
くすくすと周囲の令嬢達が笑う。
ブライアンは一向に気にかけず、にこやかにアイリーンに語り掛けた。
「やっとこの国に帰ってきたよ。向こうでもアイリーンほどの美人は見かけなかったな」
「お世辞は結構ですわ。あちらではどのような勉強をなさいましたの?」
「うーん。あれこれ詰め込んだような気はするけど、ほとんど忘れちゃったなぁ」
アイリーンが大きく眉を吊り上げた。
「外国留学の成果は無いようですわね。相変わらずですこと」
軽蔑したように取り巻き令嬢が呟くと、貴公子の一人は、
「僕らのアイリーンをあの愚か者から救出しよう」と言って、数人の紳士淑女でアイリーンを取り囲み、ブライアンから引き離してしまった。
放り出されたブライアンは、一人の令嬢に目を止めた。
椅子に座ってぼんやり
「やあ、君が僕の未来の妹だね」
エルシーは彼が義姉の婚約者、侯爵家の子息であるブライアンだと気づいた。
椅子から立ち上がり、淑女の礼を取る。
「初めまして、ブライアン様。クロフォード男爵家の長女、エルシーと申します」
「あぁ、アイリーンから君の事は聞いてるよ。ところで……」
ブライアンは、エルシーを鑑定でもするように眺めた。
「そのドレス、似合ってないね。何故そんなものを選んだのかい?」
悪意の無い純粋な疑問。だがそれは、エルシーの心に深く突き刺さった。
(私が選んだのではないわ)
落ち込みつつ、エルシーは改めて自分のドレスを見下ろした。
暗い紺色の絹地。生地こそ上等だが、全体的に装飾は少なく、いささか古風なデザインだった。公爵家の人々は流行を追うことには批判的である。
大人びた顔立ちで威厳のあるアイリーンには、そうしたドレスがよく似合ったが、エルシーには似合っていなかった。
他の令嬢は、いつも華やかな流行の衣装を身に着けている。
エルシーは、自分もそのような服装がしたいと思っていたが、使用人達はいつもエルシーの希望は聞かずに、用意した衣装を機械的に着せていた。
「着られるだけありがたいと思わなくてはなりませんよ」
エルシーの不満を母はそう
公爵家に養ってもらっている連れ子の立場で、義姉のアイリーンよりも派手な服装をするわけにはいかない。
それはもちろんエルシーもわかっている。それでも、晴れやかな衣装を競うように
そんなエルシーの内面には気づかず、ブライアンは優雅に微笑んだ。
「我々のように美しく生まれた者には、己の容姿を磨き、人の目を楽しませる義務があるんだ。君は、自分が美人だという自覚はあるのかい?」
「もちろんですわ」
あっさりとエルシーは肯定した。
いつも鏡に映る自分を見て、どうすればもっと美しく魅力的に見えるか、毎日研究しているのだ。
だからといって、決して己惚れているわけではない。
美しいだけでは人に好かれないことはよくわかっている。
「ならば結構。もっと美しくなるための方法なら、いくらでも教えてあげよう」
「お願いします」
服装を選べないなら、他の部分で努力するしかない。
そう思ってエルシーは謙虚にブライアンの忠告に耳を傾けることにした。
明るい光の下、赤やピンク、白、オレンジやクリーム色の
エルシーはふと、いつも夢見ていた光景に似ていると感じた。
花に囲まれた美しい庭園で、美しい貴公子と並んで座る。しかし……。
(全くときめかないわ)
相手が義姉の婚約者、しかも、
「君のように柔らかい髪だと、枝毛ができやすいから気を付けるんだよ。洗ったら髪はよく乾かして……」
得意げに髪の手入れについて論じている相手に、ときめきなど感じられるものではない。
(現実って、こんなもの?)
ふとエルシーは、気になって尋ねてみた。
「お姉様の所へ行かなくてよろしいのですか?」
義姉の婚約者と長い間一緒にいれば、誤解を招くことにもなりかねない。
ブライアンは肩を
「あぁ、他の人と話してる時に邪魔すると怒られるからね」
アイリーンを囲む人は、一向に減る気配も無い。入れ替わり立ち代わり、たくさんの人が彼女を囲んでいる。淑女達はアイリーンを
「待っていても駄目だと思いますわ。お姉様もお疲れではないでしょうか」
時折、アイリーンがブライアンの方へちらちら視線を向けているのにエルシーは気づいた。
(本当は、邪魔して欲しいのではないかしら)
「うーん、アイリーンは他の男と話してる方が楽しいんじゃないかな。いつも僕にはお小言ばかり言ってるしね」
「わたくしも、ブライアン様のお相手ばかりしているわけにはいきませんわ」
「そうかい?誰も君には話しかけて来ないじゃないか」
再び心に突き刺さる発言。
人気のあるアイリーンに嫌われているので、エルシーには誰も近づかない。
だが、ブライアンに対し、エルシーは悪印象を持たなかった。
確かに賢くはない……己の美を磨くことにばかり熱心である。社交界では気が利かないと非難されるだろうが、率直な発言には悪意が無い。それだけでも、他の人よりましだと思った。
(私も強くなったわね……)
「そうだ、これ、外国で手に入れたものだけどさ。髪や肌に塗るといいよ。昨日、アイリーンにも贈っておいたんだ」
ブライアンが差し出したのは、繊細なカットの施された小瓶。豊かな香りを漂わせる
「ありがとうございます。ご親切、感謝致しますわ」
「うん、未来の妹に対する贈り物だからね。でも、僕に恋したらいけないよ。僕にはアイリーンがいるからね」
「ご心配には及びませんわ!」
エルシーは、つい力を込めて断言してしまった。
ブライアンは気にした様子も無く「
周囲の淑女達はうっとりと彼の美貌に見とれている……が、話しかけてくる者はいなかった。
「見るだけでいい」ということなのかもしれない。
話していて面白いという相手ではない……「美」についての話は参考になるが。
特に、彼の冗談は辺り全体を凍結させる勢いで寒かった。通りすがりの令嬢が凍り付くほどに。
一人残され、薔薇の花を眺めるエルシーに、近づく者がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます