エルシー十五歳

 エルシーの母ミュリエルがエインズワース公爵と再婚してから、五年の月日が過ぎ去った。


 五年の歳月はエルシーを活発な子供から物静かな少女に変えていた。

 薄桃色の豊かな髪は花盛りの木のようにふわふわとほっそりした体を覆い、少し日に焼けていた肌は滑らかに白くなり、澄んだすみれ色の瞳は美しく輝いていた。声は爽やかに甘く、優しい響きがあった。


 公爵家の生活によって品の良さが身に備わり、優雅な仕草と軽やかな動作が人の目を引いた。

 そのために、皮肉や嫌味などを言われることもあったが、それを柔らかな笑みで跳ね返し、あるいは涼しい顔で受け流すことを覚えた。


 公爵家の教育は厳しく、「淑女しゅくじょらしくない」とされる振る舞いは徹底てっていして矯正きょうせいされた。

 貴族社会に不可欠な礼節、教養を叩き込まれ、自分と母を守るためにエルシーは控え目な態度を身に着けた。

 それでも押しつぶされることの無かった生来の陽気さが、時折瞳のきらめきや優しい口元に現れるのだった。


 公爵家の重苦しい空気の中で、時には反抗的な気分にられつつも、エルシーは淑女しゅくじょとして成長していった。

 食事の時間でも、料理の味がわからないほど気後れすることはなくなった。

 故郷の人々が見れば、見違えるような淑女しゅくじょになったと驚くであろう。


 しかし、公爵家の人々がエルシーに満足することはなかった。

 アイリーンが常に彼女の何歩も先を行っていて、淑女しゅくじょの手本を見せていた。


「義姉と比べて如何に未熟であるか」という非難がいつでも付きまとった。

 最初は憤慨ふんがいし、心を痛めたエルシーも、そういった非難を聞き流す術を身に着けた。

 だが、消えない悲しみもある。


 未だに公爵家の人々と親しくなれないことであった。

 彼らとの間には見えない壁があり、いくら近づこうとしても、かえってうとまれるのみであった。

 継父は無愛想に継娘を無視し、アイリーンは相変わらず冷たかった。


 同じ家に住んでいながら、公爵家の人々はエルシーを家族だと思ってはいなかった。

 「お情けで住まわせてやっている孤児」としか考えていないのは明らかだった。

 昔と変わらずいつくしんでくれる母の存在だけが、エルシーの支えだった。


 夜会の無い日、夕暮れ時に広い庭園を二人で散歩したり、部屋の中で母が得意な裁縫さいほうを教わる時間が、今のエルシーには最も大事な時間だった。刺繍ししゅう以外の針仕事は「淑女しゅくじょには不要」として使用人達にも軽蔑されたが、万が一、自力で生計を立てる必要が生じた時のためにも習っていた方がいいとエルシーは考えていた。




 エルシーは十五の誕生日を迎え、結婚を考えなくてはならない年齢になっていた。


 エルシーの子供時代、既に貧しかった男爵家はなかなか社交界にも顔を出せず、他の貴族と交流して人脈を築くことができなかった。父である男爵の死後には、母娘二人の生活と領地の経営に苦労し、ほとんど貴族社会から忘れられた存在であった。


 それでも男爵家の一人娘であり、相続人であるエルシーは家のために結婚して後を継がなけれなならない。

 ……だが、小さな領地以外これといって財産を持たない彼女にとって、相手を探すのは容易ではない。


 貴族の生活には金がかかる。社交にも金を掛けねばならず、領地を維持するにも投資すべき資金が必要になるので、裕福な貴族でも結婚相手を選ぶ際、家柄以上に財産の有無を重視する。

 財産の無い娘は、どれほど美しくても結婚相手を見つけるのに苦労する。

 そこに付け込んで、年の離れた男の後妻や愛人になれという申し込みが来ることもあった。


 もちろん愛人は論外だが、後妻になるのも嫌だとエルシーは思った。前妻と比較されたり、前妻の子に嫌われたりなど、公爵家での生活を再現するような結婚は避けたい。

 そう思うのは勝手な事かもしれないが、無理のある結婚は自分だけでなく人も不幸にしてしまうとエルシーは感じていた。

 母は、エルシーの将来のことは、公爵がきちんと面倒を見てくれると信じていたが、エルシーは当てにならないと思っている。


 とにかく、結婚すれば公爵家から出ることができる。

 良い相手を見つけて領地に戻って暮らせるようになったらどれほどよいだろう。

 母を安心させ、その気苦労を減らすことができる。


 表では夫と継子に気を使い、蔭でエルシーを気遣う母の心労は少なくないはず。かつての苦しい生活のせいもあるのか、時折寝込むこともあった。

 母からは大した事はないと言われていたが、エルシーは不安だった。


 魅力ある淑女しゅくじょとなって、良い結婚相手を探そうと十五の誕生日に改めて誓ったエルシーだった。




 もう夢ばかり見ているわけにはいかない。

 それでも密かに、一度でいいから素敵な貴公子と出会って、恋をしてみたいとも思った。

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