聖女を追う人々 後編

 下町の酒場。


 テーブルについて、ゆっくりとグラスを傾ける若い男がいる。

 非常に整った顔立ちをしているが、身にまとうう雰囲気が、彼が裏社会に属する人間であることを物語っている。

 褐色の髪に布を巻き、鋭い緑色の目の迫力のある男。元盗賊団首領のチェスターである。

 現在は王太子の元で諜報ちょうほう活動を行っていた。


 酒場の入り口に二人の騎士が現れ、中を見回した。


「…………やっと来たか」


 諜報ちょうほう活動に従事する彼は既に、聖女失踪しっそうの情報をつかんでいた。


 ……正直な所、今彼女と顔を合わせるのは、非常に気まずい。

 突然、強烈な恋心に支配され自分でも暴走していたことを思い出す。


 夜にどうしても会いたくなり、窓越しに声を掛けたこともある。

 ナナミと会う時間を作るのに苦心し、王太子を選んだ彼女に対し、なぜ俺では駄目なのかと問い詰めたこともある。

 何の跡形も無く感情が消えた今、彼女には迷惑をかけたと罪悪感が残る。

 そして、薄情な自分自身への嫌悪感が。


 とにかく、聖女を探さなくてはならない。

 チェスターはグラスを置き、酒場の入り口へ歩き出す。

 彼らは人目を避けて店の横の路地に入り、声を潜めて会話が交わす。


「聖女の捜索そうさくか」

「そうです。聖女様の居場所を突き止めるようにと王太子殿下が仰せです」

「聖女様をかどわかした犯人についても情報提供をお願いします」


 騎士達が慌ただしく立ち去った後、チェスターは呟いた。


「……ということだが、わかったことはあるか」


 かすかな気配が、姿を見せないまま小声で伝える。


「誘拐犯の痕跡こんせきはありません。聖女の単独行動によるものです」

「居場所はわかるか」

「ヘイズ港、リムベリー村、死霊の森……この辺りが最有力です」

「引き続き調査しろ」


 すっと気配は消えた。


「聖女失踪しっそう、王太子昏倒こんとうか」


 ふとチェスターの精悍せいかんな口元に笑みが浮かぶ。

 次の瞬間、路地裏に哄笑こうしょうが響き渡った。誰にもその意味はわからなかった。




 エイヴァリー伯爵セドリックは、翌日になってようやく、聖女誘拐ゆうかいの知らせを聞いた。


「これは……驚いたね」


 驚きを示しつつも、のんびりと遅い朝食を取る伯爵だった。

 彼にとって、燃え上っていた恋が突然終わりを告げるのは、珍しいことではない。


 セドリックは、昨夜も聖女に別れを告げたその足で、とある貴族令嬢を誘いに行き、一時の逢瀬おうせを楽しんだ上、夜会へ出席して明け方近くまで踊り明かしたのであった。宮廷一のプレイボーイの評判を取り戻すかのように。

 この容姿端麗な伯爵は早くも次の恋を探しているのであった。


 自分に合った最高の淑女しゅくじょを見つけるためには、積極的に探しに行かなければならない。

 そして、彼女に相応ふさわしい男になるように、自分自身をみがかなければ―――とは伯爵の持論である。遊ぶための口実とも言われているが。


 従弟のアルフレッドより少し暗い色合いの金髪、多くの貴婦人や令嬢をときめかせる魅惑みわく的な青い瞳。

 彼の並々ならぬ美貌びぼうと優雅な仕草は宮廷中の賛嘆さんたんの的であり、恋の相手には事欠かなかった。


(聖女ナナミ殿こそ運命の相手……そう思っていたのだけどもね)


 長椅子に横たわって、セドリックは聖女と過ごした半年間を思い起こした。

 かつてないほどに幸福な日々だった……だが…………。

 他の女性を愛せないと思うほど、心を歓喜で満たしてくれたあの甘美な想いはもう戻ってこないのだった。


(それはともかくとして、何故あの子が消えたのか?)


 一つ思い当たるのは、ここ数日間のアルフレッドの様子である。

 満ち足りた表情が消え、落ち着かない様子が目についた。

 一度深刻な顔つきで考え込んでいたので、声を掛けてみたが、何でもないと答えるだけだった。


(ちょうど、ナナミ殿への気持ちが消えたころだな)


 まさか、王太子にも同じことが起きたのか?

 だが、聖女の話をしても、嫌がる様子は無く、多少当惑したような表情を見せるだけだった。

 聖女の元へは、相変わらず贈り物を届けていたようだ。


(普通、好きでもない女性との仲を尋ねられると、わずらわし気な様子を見せるものだが)


 第三者による誘拐。聖女の失踪しっそうはそのように考えられているが、王太子との間柄が気になる。


(彼女なら、誰にも気づかれずに逃げることも不可能ではないし)


 もし、王子との間に良くないことが起きて、破綻はたんしたのなら……。


(ナナミ殿となら、また一から恋を始めるのも悪くない)


 今回の恋は、あまりにも急速に発展し過ぎた。もっと徐々に盛り上がる過程を楽しみたい。

 勝手なことを考える伯爵だった。


 とにかく、聖女がいなくては始まらない。側仕えの侍女を呼び、捜索そうさくのため家臣達を集めるように指示を出した。

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