聖女様、逃亡開始
感情が収まった後に、見たものは、荒れ果てた部屋の中。
意識を失って倒れているアルフレッド。
「やってしまいましたね」
光の粉を振りまいて、小さな妖精の少女が出現する。
呆れた様子でアルフレッドを見下ろす。
「聖女の扱いには気をつけろとあれほど言われてたのに……」
聖女の力は、持ち主の感情に応じて、様々な奇跡を起こす。
気持ちが荒んでいれば、暴走することもある。そのため、聖女は丁重に扱われ、力を制御するために訓練を受ける。
「完全に制御できるようになったと思ったのに…………」
ナナミは青ざめた顔で呟く。
「…………」
ルビィはアルフレッドの頬をぺちぺちと叩いて確認する。
「傷も無いし、生命には別状無いですね。意識を失っているだけです」
ナナミは安堵した。いくら怒っていたからといって、無暗に危害を加える気はない。……特に、相手が最愛のアルフレッドなら。
部屋の外は静かなままだ。侍女や兵士が駆けつけてくる気配は無い。
聖女用に特別に造られたこの部屋は、極めて頑丈だ。
誰もまだ、何も気づいていないのだろう。
「危険なのは、ナナミの方です」
「…………え?」
くるりとナナミの方を向いたルビィは小さな指を王子に向けた。
「これは、貴女が今倒したこの国の王太子です」
続いて、ナナミを指さし、ルビィは深刻な面持ちで話す。
「で、貴女は既に用済みの聖女です。しかも、もはや王子の想い人ではない」
嘆かわし気に頭を振るルビィ。
「それが、一国の世継ぎに危害を加えました。そのつもりはなかったとしても、他の人にはそう思われかねない」
ナナミの顔から血の気が引いた。
「良くても追放、悪くて牢に監禁。最悪の場合は処刑台ですね」
「まさか……」
ナナミは戦慄した。
「だけど、わざとしたわけじゃないわ。皆に相談すれば……」
そう言いかけて、王子の前に来た攻略対象達のことを思い出した。
「……だめかもしれないわね……」
恋愛感情が消えただけならいい。だが、本当は嫌われているとしたら?
その上、今回の事件を知られてしまったら、彼らを完全に敵に回してしまうことになる。
「止めた方がいいでしょう。この時点で『聖女の盾』の皆が敵に取り込まれている可能性があります。そうだとしたら、必ず貴女を抹殺しようとします」
「……どうして?」
信頼関係を築き、一緒に世界の危機を救ったというのに、その彼らが敵になるとは信じられなかった。
「『恋じゃなかった』と悟る場合、既に本命がいるのがお約束です」
ルビィは自信ありげに告げた。
「その相手が『悪役令嬢』である可能性が高いですね。『悪役令嬢物』の主人公の」
「『悪役令嬢物』!?……って何?」
ナナミの知らない言葉。
ルビィから異世界の知識は色々教わってきたものの、そんな言葉は今まで聞いた事が無かった。
「悪役令嬢物」
悪役令嬢というのは、乙女ゲームや少女漫画で、ヒーローに愛されるヒロインに嫉妬し嫌がらせなどを行う意地悪な貴族の令嬢……のはずだが、「悪役令嬢物」では主人公の悪役令嬢が優しく善良な王道ヒロインとなり、ヒロインは悪役令嬢から婚約者を奪って破滅させようとする悪女になるのがお約束である。
ただし、実際の乙女ゲームには、ヒロインがライバルの婚約者を略奪して破滅させるという展開はない。
乙女ゲームの世界であっても、「悪役令嬢物」ではほとんどの場合世界の主人公が悪役令嬢に変わってしまう。
攻略対象が悪役令嬢に惚れたり、ヒロインに好意的な人が悪役令嬢の味方になったり、ヒロインの持つ能力や役目が悪役令嬢のものになったりすることも多い。
その結果、ヒロインが破滅まではしなくても、扱いは確実に悪くなる。
「ですから、これは悪役令嬢の仕業ではないでしょうか」
自信ありげなルビィ。
ナナミは疑問を感じた。
「悪役令嬢なんていないじゃないの」
悪役令嬢っぽい貴族令嬢どころか、ライバルすらいない。もちろん、攻略対象の誰にも婚約者はいない。「悪役令嬢物」とは違って現実の乙女ゲームの攻略対象には、婚約者がいないのが普通である。
「聖乙女2」の攻略対象……「聖女の盾」のイケメン達は、聖女の使命が終わるまで結婚相手を決めないのが掟だ。
「聖女の盾」は、ヒロインである聖女を守るために選ばれた男達であり、聖女が出現する前に、婚約も結婚もしていない者が候補者となる。
その上、聖女が出現した時以降他に好きな女がいない者が正式に選ばれる。
婚約などをすれば候補者から外される。家同士の正式なものだけではなく、個人間の口約束も対象になる。
資格を失う者がいれば、条件を満たした者が改めて選ばれる。
「前作の悪役令嬢が攻略対象を根こそぎさらっていくケースもありますが、前作の『聖乙女1』にも悪役令嬢とライバルはいません。続編も作られていませんから続編からの出張もあり得ません。モブに転生した現代人か他の世界から追放された悪役令嬢が逆ハーしたのかもしれませんね。どう見てもこの状況は、ざまぁ展開以外の何物でもないでしょう」
「そういうものなの?」
「悪役令嬢の世界は残酷です。ヒロイン断罪が始まれば、追放や没落はいい方。
「逃げるわ」
ナナミは素早く荷物を
危ないと思ったらすかさず逃げる。それがサバイバルの秘訣!
「逃げるしかない」と確信した時には、既に手遅れなのだ。
聖女になって約半年間、暗殺騒ぎあり、魔物の襲撃ありとそれなりに修羅場をくぐってきた。聖女と言う立場上、最前線に立つことはなかったが、鍛えられた直感が今は逃げるべき時だと告げている。
それだけではなく、何者かの悪意がこちらに向けられているのを感じる。
今はまだ姿を見せてはいないが、強大な敵の存在がおぼろげに感じられた。
今朝の夢を思い出す。
夢の中で訴えてきた女性は、きっと―――
「女神様の警告ですね。逃げなければいけないのは確かです」
ルビィは頷いた。
「そうよ、頑張って世界を救ったのに、逆ハー詐欺の上処刑なんてありえないわ!必ず逃げ延びるわよ!」
「待ってください!」
ルビィがナナミを引き留めた。
「何?急がないと……」
「王子をあのクローゼットに放り込んで、鍵を掛けておきましょう。少しは時間稼ぎになります」
冷静に提案するルビィ。
ナナミはあきれ顔で言った。
「そこまでやったら本物の強盗じゃないの」
「今の状況が、強盗に見えないと思ってるんですか?」
ナナミは部屋を見回した。
そこら中に物が散乱し、荒れた室内とその中央に倒れている王太子。
「……時間が必要なら、早く逃げるに限るわ!」
「そうですか……それでこそ真のヒロインです!」
「一瞬の沈黙が気になるんだけど」
ナナミは王太子から背を向けると、そっと窓を開けて外をのぞき込んだ。
空は明るく澄んでおり、綿のような雲がふんわり浮かんでいる。
下を見下ろすと、庭を巡回する衛兵の姿が見えた。
その姿が見えなくなると、ナナミは意識を集中する。
バサバサと翼をはためかせ、白い鳥のような生物が現れた。
宝石のように光り輝く青い石が額に埋まっている。
窓にぴったりと張り付くように静止した。
窓枠を乗り越えて、ナナミはその上に飛び乗った。
「隠れて」
ナナミが一言命じると、すっと白い鳥は姿を消す。上に乗っているナナミの姿も同時に見えなくなった。
妖精も光の粉を散らして消えた。
そして、しばらくの間、救世の聖女は歴史から姿を消す。
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