変身しましょう

 青く輝く広い空を高く上り、風を切って進む。

 いつもなら、ナナミはこの小旅行を楽しむ所だが、今はできるかぎり速度を上げて前へ進んでゆく。

 ルビィが突然ナナミに言った。


「もうすぐ国境ですよ」

「そこまで来たの?できるだけ遠くに逃げたいけど、聖女は国の外には出られないのよね」

「この辺りにいい隠れ場所がありますから、しばらく大人しくしていましょう」


 ルビィの忠告に従い、聖女が一言声を掛けると、鳥はゆっくりと下降する。

 森の手前で降りると、鳥は空中に溶け込むように消えた。


 目の前には、びっしりと木の生えた森がある。

 明るい晴天の元であってもなお底知れぬ闇を抱えているような、暗い木々。


「とりあえず近くの町へ行きますか?この辺りの人は聖女の顔を知らないでしょう」

「待って、人前に出る前に……」


 ナナミは鞄を開け、中から一本の瓶を取り出した。


「これを使いましょう」

「あっ!それはいいですね!」


 凝った装飾の施された小さな瓶には、透明な液体が入っていた。

 宮廷魔術師レジナルドが作った、姿を変える薬。

 護身用に与えられたものだ。変身を解く薬もある。


「一回分しかないから、よく考えないと」


 ナナミは瓶を眺めつつ、思案した。どんな姿にするか。


「元の外見と似ていない方がいいわね」

「と言うと、スライムとか野菜とか」

「…………」

「冗談ですよ」


 いくらなんでも、人間をやめる気はなかった。


「では、金髪ドリルに派手な顔のナイスバディはどうですか?」

「高笑いが似合いそうな姿ね」


 黒髪ストレートに地味顔、起伏の少ない体型の聖女とは、確かに対照的だが……。


「まぁ、面白味は無いけど、ごく普通の村娘にでも化けるのが無難じゃないですか?」

「そうなんだけど…………」


 ナナミは瓶を見つめ、決断した。




 小さな田舎町を、一人の美しい少女が歩いていた。

 癖の無い赤みがかった黄金の髪は太陽の光を受けてキラキラ輝き、鮮やかな緑の瞳は好奇心に満ちて辺りを見回していた。

 小さな妖精は姿を消したまま、エルシーの傍を飛んでいる。

 ルビィはエルシーの心の中に語り掛けた。

 二人は声に出さなくても会話することができるのだ。


(美人になりたい誘惑には勝てませんでしたか)

(仕方ないでしょ……薬は一つしかないし、長い間変身したままで暮らすことになりそうだもの)


 身の安全を考えると、元に戻ることは当分できそうにない。気に入らない姿で過ごすのは苦痛になる。


(その外見は『聖乙女1』ですか)

(そうなの?)


 「聖乙女1」、「聖なる乙女は愛を歌う」のヒロインの姿。

 過去の聖女の中でも特に有名な人物で、ナナミもよく話に聞いていた。

 旧王国の王女であり、当時「姫巫女」と呼ばれていた女神の申し子。

 国が滅びた後も、彼女の偉業は書物や歌として残され、芝居でも人気の演目だ。


 ゲームでは、「姫巫女」候補者として選ばれた少女が、修行に励んで女神に選ばれ、いくつもの難題を解決していく。

 「乙女ゲーム」なので、彼女を支える男性との恋愛も描かれる。


(素敵な殿方が何人も周りにいたけど、誰と一緒になったのかわからないままだわ)

(誰か一人を選ぶと、他の攻略対象のファンが不満を持ちますからね。逆ハーエンドもありませんから、その辺りはわからないままでいいんですよ)


 ルビィが訳知り顔に解説した。


(とにかく今は逃亡中です。あまり目立つ行動はしない方がいいですよ)


 こちらをちらちら見ている男達を見てルビィが言った。


(そうね。色々詮索せんさくされても困るし、しばらくは顔を隠しましょう)


 ナナミは古着屋に寄り、全身をすっぽり覆うマントを買った。人前ではこれで身を隠すことにする。

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