第52話声をかけることが出来ませんでした
おじいちゃんが声を殺して泣いていた。
私の足は止まった。見てはいけないものを見てしまったかのように、静かに踵を返すと何事もなかったかのように玄関に入った。
「お帰り~」
いつもの母の声がした。そののんきそうな声に私はなんだか救われた気がした。
「ただいま」
ただ先ほど見た光景が目に焼き付いて離れなかった。お父さんは仕事で遅くなるというので、私と母のふたりで夕ご飯を食べた。やけに静かな私に、母が怪訝な顔をして聞いてきた。
「ことちゃん、何かあったの?」
「ううん。あのさ...」
おばあちゃんの事を聞こうとして、声が出なかった。
「なに?」
「何でもない」
私は、そそくさとご飯を食べて自分の部屋に向かった。さっき見た光景は何だったのだろう。気になって仕方なかったのだが、なんとなく母に聞くことが出来なかった。おばあちゃんの変身と関係がある気がした。
次の日の事だ。今日は土曜日なので学校はなかったが、夕方おばあちゃんがいるか確かめようと、温室に行くふりをして庭に出た。おばあちゃんは庭に立っていなかった。私は、母におばあちゃんの事をいまだ聞くことが出来ない。一日悶々とした気分のまま、私はそそくさとお風呂に入って寝ることにした。布団に入って目を閉じた。なかなか寝付けない。
そんな時だった。階段をばたばたと駆け上がる音がした。ドアをノックする音とともに母の焦ったような声がした。
「ことちゃん、ことちゃん。起きてる?」
「うん、起きてる」
私は急いでドアを開けた。ドアの向こうには、母の焦ったようなそれでいて泣きそうな様な顔があった。母は私を見ると、早口で言ってきた。
「ことちゃん、おばあちゃんがね...」
私は、母がそういったとたん母の目に涙がたまっていくのを見た。私は、急いで離れにあるおばあちゃんの部屋に向かうことにした。リビングには緊張したようすでお父さんもいて三人で向かった。
ドアを開けると、おばあちゃんが変身した姿のまま寝ていた。ただ今まで見た中で一番顔色がよくなかった。今にも消えそうなほどはかない様子で静かに眠っているように見える。
その横にはおじいちゃんが、切羽詰まったような顔をして椅子に座っていた。
「どう、おとうさん」
「いや、あまりよくなさそうだ」
「ねえ、おばあちゃんどうしたの?病院に行かなくていいの?」
顔色がよくなくて明らかに具合が悪そうだ。私は、母や父に向かって叫んでいた。
「ことちゃん、おばあちゃんは寿命なんだよ」
おじいちゃんが絞り出すような声で私を見ていった。
「寿命?どういうこと?」
私が出した大声におばあちゃんの瞼が動いた。少しずつ目を開いていく。そして私たちを見てにこっと笑った。その笑顔はまるで天女のように美しかった。
「あら、みんな来てくれたのね。ありがとう」
おばあちゃんは、鈴を鳴らすようなきれいな声で私たちを見ていった。
「おばあちゃん、どうしたの?どこか痛いの?大丈夫?」
私が焦っていったのをおばあちゃんは静かにうなづいて、自分の手を差し出してきた。その白魚のような手を私はきつく握り返した。
「ことちゃん、悲しまないでね。おばあちゃんとっても幸せだったの」
そして今度は母に向けて手を差し出した。母が泣きながらその手を握った。
「お母さん...」
「ありがとう」
おばあちゃんは、母の手を握りながら母と父の方に向けてお礼を言った。そして今度は、おじいちゃんの方を向いた。手を差し出すと、おじいちゃんは悲しみをこらえるように笑顔をおばあちゃんに向けた。
「あなた、今までありがとう」
「なに言ってるんだ。...私の方こそ...ありがとう...」
おじいちゃんはおばあちゃんに向かって笑顔しか向けない。泣くのをこらえているに違いない。私から見てもおじいちゃんの声は、これ以上ないぐらい震えているのだから。
私たちは言葉もなく、おじいちゃんとおばあちゃんが見つめあっているのをただ黙ってしばらく見ていたが、急に背中をたたかれた。お父さんとお母さんが私に無言で合図してきた。
私たちは、おじいちゃんとおばあちゃんを残して部屋を出た。
三人とも無言で離れを出た。そして皆黙ってリビングに座った。私は切り出した。
「ねえ、おばあちゃん具合が悪いよね。どうして病院に行かないの?薬で治らないの?」
私の必死の訴えに父と母は顔を見合わせた。そして母がうなずき私の方を見た。
「ことちゃん、おばあちゃん。変身してたでしょ。あれはね、お茶が効かなくなったの。寿命が近づくとお茶の効果がなくなるらしいの。それで自分の寿命を知るのよ」
母の話に私は、今までの自分の行いを振り返った。そして母に怒りがわいてきた。
「どうして?どうして言ってくれなかったの?私おばあちゃんにひどい態度とってた!言ってくれてたらあんな態度とらなかった!」
私が泣きながら叫んだからだろう。泣いている母の代わりに父が答えた。
「それはね、おばあちゃんの願いだったんだよ。ことちゃんには言わないでくれって」
「どうして?なんで?」
「たぶんことちゃんが、変身にあまりいい感情を持っていないことを知ってたからだろうね。もし自分が変身したままの姿で死んでいくと知ったら、ことちゃんが嫌がるんじゃないかと思ったのかなあ」
「そうかも、そうかもしれないけど、知りたかった!だって私、おばあちゃんにあんなひどい態度とってたもん」
私は今までの自分の行いを恥じた。ただそれを誰か人のせいにしたかった。言ってくれていたらあんな態度とらなかったのにと。
その明け方おばあちゃんは静かに息を引き取った。
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