6. Apology

 全ての拷問に、意味はなかった。

 なぜなら、何かを吐き出させることを目的としないためだ。

 まず、爪を剥がされた。いくら吸血鬼とはいえ、感覚に大した差もない。叫ぶことで痛みが掻き消せるのだと考えていたが、そんなことは一切なく、ただ痛みにつられて叫ぶだけで、それは追いつかぬ競走をしているようで、痛みの方が圧倒的に勝った。自身の肩先を噛み、痛みに耐えようと思えど、これもまた何ひとつ意味もなく爪の痛みが勝って暴れた。

 叫びと自死を防止するため、猿ぐつわをされると、もう縛られた体を動かして手先に走る電撃に悶えることしかできなかった。

 暴行もあった。

 全てが当然のように治り、殴られようが焼きを入れられようが、全ては予定通りに治っていった。炎に囲まれ意識を朦朧とさせた人間だった頃に戻れたら、そこに戻って火に飛び込みたかった。

 それらを経て、ユークはこれほどまでに自身が吸血鬼になってしまったことを呪ったことはなかった。

 最も心を砕いたのは、刃物を突き刺されることだ。一突きで串刺しにされた妹のことが想起されるからだ。力なく垂れた腕を見て、暗闇に引き込まれるような途方のなさとわきあがる恐怖がフラッシュバックして、目を剥き拘束具を揺らし痛みと叫びを表現した。


 治癒がされてしまうのなら、最後の日に痛みつけるのがいいという話のもと、彼は縛られた状態で牢に入れられ、誰のかも知らぬ血を摂取させられた。


 日を追うごとに、彼は、かつて自身を助けた女の吸血鬼を見るようになっていた。これまで彼女が口にした言葉がわからずにいたが、今更ながら思い出してしまった。ユークと彼女は交互に交代して、苦痛に悶え耐えた。彼女の存在は、ユークにとって救済だった。そのまま考えることをやめた。


 ある日、男が牢に訪れた。男から告げられたことは、イレアが死んだということだった。

 ユークと接触する以前に、吸血鬼によって吸血され、その傷口から感染症に至り、さらには拷問が重なって死んだという。お前が吸血した女だな、と男に尋ねられた。


 生きる中で人を殺してきたが、そこで足りなかったものに気づく。殺意と憎悪だ。

 くだらぬ命を守るために他者を踏みにじり、平然と生きるその生命を、全て血の色に染め上げたかった。吸血鬼もだ、お前ら全てを殺戮すればいい。


 それでも、どれだけ目前の男に飛びかかろうとしても、ユークを助けた吸血鬼の言葉が思い起こされる。


 ──誰かを救えると思ったら、体が動いてしまった。


 たったひとりを救って、数千、数万人の贖罪が成り立つわけがない。お前がいなければ──お前さえ、いなければ。


 気づいていた。彼がイレアを匿ったのも、人間と吸血鬼の共生を夢見たのも、あの吸血鬼の真似事をしていたことを。しかし、理解のできない救いの手を取ってしまったがために、どの決断も出せずにいたのだった。

 誰かを救う、誰も傷つけない。どちらかを選べば、両者のバランスは破綻する。いつしか、選択する気すら消えて、力なく両者の外にいた。

 そんな中、人間であるイレアを匿ったことで、誰かを救おうとする側に立ってしまった。それなのに、彼女と話していくうちに、誰も傷つけたくないというあの時からの思いに駆られた。彼女を大切に想っているのにも関わらず、誰かを殺そうとせず、放浪の旅へ逃げようとした。

 今まさに、その二つが争いあって、いがみ合って、ユークは激情に駆られているのにも関わらず、動けなくなった。

 あの吸血鬼とイレアさえいなければ、この牢を脱し人間を虐殺していたことだろう。


 ユークは、動きも思考も止まってしまった。

 どうしたらいいのか、わからなかった。神の導きが欲しかった。それが自分を助けた吸血鬼であったら、どこまでも盲信して誠実であることを誓えたのに。

 自分ひとりで出すべき答えに、一欠片も勇気や自信が持てなかった。


 その日の夜は、雨だった。

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