廃工場(4)
ミヤの店に戻るのが、ひどく久しぶりのような気がした。
今日もバーは開けていない。閑散とした店内は、ヤニ汚れや埃がいつもよりも目立って見える。
奥の扉から出てきたミヤは、あちこち火傷と煤にまみれたぼくらを険しい表情で見つめた。
「おかえりなさい。……ぼろぼろじゃない。ひどいものね」
ナナはふらふらとした足取りでミヤに歩み寄り、身体を預けた。ミヤの手がナナを抱きとめる。「がんばったわね」というミヤの言葉に、ナナが首だけで小さく頷く。
リビングまで手を引かれ、ナナはソファに座らされた。古い革張りのソファの上、横たわるように座るナナは、見るからに不調そうだった。ぼくに彼女を直せる技術はない。せめて東郷がいれば――そう思ったところで、苦々しいものが脳裏をよぎる。
「ごめんなさい。ぼくが力不足だった」
「そんなこと言ったってどうしようもないでしょう。大丈夫よ、なんとかなる」
ミヤは歯切れよく言い切ってみせる。
工場が丸ごと消失したことを報告すると、ミヤは目を見開いて、それからほんの少し微笑した。「やっぱり直接入り込むのは正解だったみたいね」
「物理的なバックアップがなければ、今頃あの工場には手つかずのまま逃げ切られてた。お手柄じゃない」
わざとそうしているような、明るい口ぶり。ミヤの楽観さにはすぐには頷けなかった。
全員が疲弊しているし、ナナも深手を負った。東郷に至っては――今、人手を遣って確認しているようだが、喜ばしい報告は聞けないだろう。
ナナの深手は爆発をモロに受けたことによるものだ。目の前であの男の防護服の首部が発光し、その直後に爆発が起こったのだという。襟元に入っていたという小さな欠片を、ナナは持ち帰ってきていた。一センチ平方ほどの小さな黒い欠片は、SECTを用いたエネルギータンクと似ていた。
ぼくが制御室に潜入していた間、ナナはチーフと呼ばれた男に対する尋問を行っていた。得た情報は三つ。ひとつは、圧縮処理された遺灰は、形式上、キューブ工場が委託されて処理を行っていること。キューブ工場は、キューブ普及以来急増した、先天的な障害を持つ人の雇用の受け皿になっていること。それから、工場のオーナーがぼくの父親であること。
「つまり、行政と工場はズブズブだったってわけね」
ミヤが総括する。
「キューブが作られたことで、死体処理問題と食糧不足が一気に解消される。それで末端にしわ寄せがきて、先天性障害が増えたところで、その人たちをキューブ工場に派遣すれば、半永久の循環機構が作られる」
「でも、……そんなのいずれ破綻するって、わかりきってるじゃない」
ナナが力なげに口を挟む。樹化病の発生と伝搬を生み出したそもそものメカニズムだ。痛い目は散々見ているはずなのに、なぜ今に至るまで続いているのか?
――破綻そのものが目的だったとしたら?
そう言おうとすると同時に、チャイムのようなものが鳴った。
素早く立ち上がったミヤの後を追いかける。ミヤはサーバールームに駆け入り、モニターを監視カメラの映像へと変えた。
店とは反対側の、地下に通じる玄関口。その薄暗い中に、サガミが立っていた。後ろに数人の同業者らしき顔。
『奴さんを連れてきた』
「――待っていてちょうだい。開けに行くわ」
ミヤの声のトーンが、いつもよりも一段低かった。
「悪いけど、向こうでナナと待っていてくれる?」
笑い顔がぎこちない。
踵を踏み鳴らしながら去っていくミヤの後姿は、焦っているようで、どこか悲しげでもあった。
運び屋とだけあって、死体の扱いには手馴れたものだった。すり切れたビニールシートに包まれた死体は、一応の敬意は払われているようで、リビングの床に丁重に寝かせられた。
運搬が終わると、同業者たちは何の思い入れもないようにここを出て行った。サガミだけが一人残って、何か言いたげにミヤを見ていた。彼女のむき出しの首元を一瞥し、皮肉っぽく笑う。
「客商売をするアンドロイドとはな」
今日の彼女は首元を隠していない。
何を今さら、という気持ちで、ぼくは彼らを遠巻きから見ていた。ナナは膝を抱えながら、ぎゅっと唇を噛んでいた。こんなにも敵意を顕わにしているナナを初めて見た。
「何よ、今時珍しくはないでしょう?」
ミヤもあしらうように笑ってはいるが、不快感を隠してはいない。
ミヤから受け取った数枚の一万円札を、サガミは乱暴にポケットに押し込んだ。それから静かに説明を始める。死体は東郷の車の中だった。電波の不安定な山の邸宅から降り、東郷は麓の駐車場にいた。眉間と胸元に一つずつの弾痕。おそらく即死だろう、と。
口封じ。見せしめも兼ねているだろうか。直接ぼくに手を下さなかったのは、父親の良心なのか、それとも。
「こいつはお前らの主人か? 災難だったな」
いたわるような口調だったが、ナナがすぐさま「主人じゃない」と割って入った。彼女はひどく不機嫌そうだった。これではまるで子供の八つ当たりだ。
「主人じゃなくて、パパ。あたしたちの親」
「そうかよ」
ばつが悪そうな顔をして、サガミが踵を返す。「邪魔して悪かったな」
ナナは両手をぎゅっと握りしめながら、サガミをきつく睨みつけていた。あからさまに怒気がこもった目。強い眼差しなのがかえって痛々しく見えた。
「おい」
振り返ったサガミが、まっすぐとぼくを見る。横で殺気立っているナナを、意図的に目に入れないようにしているみたいに。
「うまくやれよ」
ぼくの返事を待たず、彼はそのまま立ち去った。
ほっとしたように肩を下ろしたミヤが、ナナの方に目を向けた。それから、顔をこわばらせた。
ナナは大きな目に涙を浮かべて、ぼろぼろと泣いていた。透明な雫が、輪郭を伝って流れ落ちている。アンドロイドも涙を流して泣くのか、どういう仕組みなのかと真剣に考えた自分が、ひどく薄情に思えた。
「もう、泣いたって仕方ないじゃない」
しゃくりあげるナナの肩をミヤが抱いた。
床に置かれたぐるぐる巻きのビニールシート。はみ出した足にはきっちり靴が履かされていたが、ズボンの裾から見える足首が、不気味なほど痩せていた。
嗚咽の隙間でナナは「パパ」と繰り返していた。感情を発露させることで、無理に悲しみを癒そうとしているように見えた。
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