廃工場(3)

 鉄扉を開け、ぼくだけが部屋の外に出た。目下には梯子のような急な階段と、大掛かりなオーブンやベルトコンベアが広がっている。圧縮炉の出口に当たる部分から、さらさらとした粉末がシャワーのように流れ出ていた。

 工場は吹き抜けのような構造になっている。作業の多くが一階部分で行われているらしく、多くの工員がベルトコンベアの付近に固まっていた。

『二階部分には食堂や医務室、オーナーの事務所が構えられている。中央制御室も、明記されてはいないが、おそらく二階にある。道草を食うのもいいが、とりあえず上に向かってくれ』

「はい」

『それと、制御室にはカードキーが必要なようだ。ミヤが尽力しているが、入手できそうなら入手しておいてくれ』

「了解です」

 小声で返事をしながら、階段を慎重に下っていく。

 炉の投入口があった部屋は、他の二階部分とは独立していたようだ。まずは一階から二階に移動する手段を探さなければ。

 白い服を着た大勢の人が働いているのに、ましてや今は休憩時間のはずなのに、工場内は不穏なほど静かだった。人影は壁際に蹲っているか、配置された椅子の上でどこか空を見つめているばかり。

 吹き抜け部分の柵から、ぼろぼろの垂れ幕が下げられていた。『時間を厳守すること』『私語は慎むこと』『できないという言葉を使わないこと』『失敗を何かのせいにしないこと』『常に謙虚でいること』『常に感謝すること』『労働に対して真摯に向き合うこと』『限界は成長のチャンスです』

 様々な標語が、工員たちを監視するように、ぐるりと張り巡らされていた。

 ぼくらの足音以外に聞こえるものは、無機質な機械音と、時折誰かが咳き込むような声だけだ。工場内は妙な緊張感に満ちていた。ぼくらを横目で気にする人はいても、見て見ぬふりをするように、皆が一様に目を伏せた。

「あの」

 ぼくは床に座り込んでいる一人に話しかけた。ゴーグルとマスクに覆われた顔が、どこか億劫そうにこちらを向く。

「新入り? ……あまり、ウロウロしないほうがいいよ。もうすぐチーフが監査に来るし、休憩時間とはいえ、持ち場を離れると、何か起こった時に責任が取れないし……」

 マスク越しのくぐもった声は、どこか疲れを帯びていた。ぼくの反応を待たずして、彼はこちらから目をそらす。

「聞きたいんです。ぼく、わからないことが多いから」

 なるべく無垢な口調になるように、猿芝居を打った。ぼくに役者のセンスがないということを痛感させられる。

「どうしたの? なるべく、手短にお願いしたいんだけど……」

「労働は尊いですか」

 その瞬間、無視を決め込んでいた周りの工員が、一斉にこちらに目を向けた。

 目の前にいた工員は、ひどく焦った様子だった。「何、そんな……当たり前、じゃないか。だって、」と、彼はしどろもどろに言葉をつなげる。

「僕らは、働かせてもらってるんだよ? 今の時代、東京にいて、ちゃんと仕事をもらえることってすごく少ない、でしょう? それに、僕らのようなゴミみたいなちっぽけな存在が、誰かの役に、立てる! それって尊いってことだよ。そうでしょう?」

「……そうですね」

 思わず声から演技が抜けた。歩き出したぼくの背後から、「待って!」と彼の声が追いかけてきた。

「どうしてそんなことを? 君の施設では教えられなかったの?」

 ぼくは彼を一瞥したが、すぐにまた歩き始めた。答える気にはなれなかった。

 先ほどとは打って変わって、じろじろと視線が突き刺さってくる。ぼくはそれを振り切るように、工場内を突っ切った。

『奥にエレベーターがあるはずだ。非常階段はあるが非常時にならないと出現しない上に、物理的なロックがかかっている。エレベーターは生体認証が必要だが、どうにかなるだろう、ミヤ』

『案外システムが堅牢なの。もう少し時間を稼いでくれたら、そこも突破できるかも。制御室のロックも並行で解いてるから』

 イヤホンから東郷とミヤの声。

『そういえば、ナナは?』

 その時、再びけたたましくベルが鳴った。『これより小休止を終了します。明るく楽しく労働に励みましょう』

 無機質な人工音声が反響する。静まり返った工場内に、残滓が尾を引いていた。

 のそのそと動き出す人の群れ。ぼくは流れに逆らいながら歩いていく。咎めるような目線があちこちから刺さる。

 その時、遠くから、工員たちとは異質な足音が近づいてくるのがわかった。

「先日の不良品報告は四十五件。あれだけ確認しろと言ったのにこのザマだ。不良品はテメエの頭だけにしとけと何度言ったらわかんだ?」

 怒鳴り声は、広い工場の中にひときわよく通った。その声に律されるように、工員たちは揃って顔を伏せていた。

 チーフと呼ばれていた人だろう。ゴーグルとマスクのために顔はわからなかったが、かなりの大柄だ。

「おいコラ、そこで突っ立ってる木偶はどこのどいつだぁ?」

 やがてチーフはぼくに目を向ける。顔を隠していても、不快をあらわにした表情が手に取るように分かった。

 ここまでは想定内だ。

「テメエだよ。ついに返事もできないほどボケたのか?」

 ぼくはそのまま、黙って彼を見つめてみせる。チーフは挑発にまんまと乗り、ずかずかとこちらに歩み寄った。

「生意気なクソったれ野郎、そんなに処分されてえのか? オレが冷静なうちにさっさと持ち場に戻れ」

 威嚇するように顔を近づけられた。ゴーグル越しに鋭い目が見えた。自制を失いかけた人間特有の、怒気に満ちた目だ。

 ぼくは無反応を決め込んだ。目を見開き、彼が勢いよく手を振り上げる。

 その手を後ろから華奢な手が抑えた。

「はあいオジサマ。ご機嫌麗しゅう」

 ナナがこちらにちらりと目配せをした。

 捻り上げられたチーフの太い腕が、みしみしと音を立てた。低いうめき声がマスクの隙間から漏れていた。

「こちらでは暴力がご挨拶なのかしら? あたし、この工場に興味があるの。色々聞かせてくれる?」

 ナナは明るい声音を崩さない。

「何モンだ、なんで部外者がここに……ッ!」

「調査ってやつ。この工場、とっても面白いことをしているそうね」

「市警か? 無駄だ、この件には市長が――」

「警察なんてつまんないトコじゃないわよ。ともかく、聞きたいことが山ほどあるの。協力してくれるでしょ?」

 ナナが腕に力を込めた。ますます大きくなった唸り声の隙間で、「小娘が、舐め腐りやがって」と忌々しげな台詞が漏れる。

 ナナがこちらにカードを投げてよこした。ぼくはそれを受け取り、二人の横を通り過ぎていった。エレベーターのセキュリティロックが解除されたと、耳元でミヤの声が告げた。

「さあ、楽しいおしゃべりの時間よ、オジサマ」


 エレベーターを上がり、二階へ。扉の先には鉄柵と、目下にはベルトコンベアに群がる人々。ロフトのように張り出された二階スペースには、鉄製の重たいドアが並んでいる。一階の倉庫スペースの真上が、医務室や食堂といった場所になっているようだ。

 ぼくがチーフをおびき出し、ナナに預けて情報を得るついでに、時間を稼ぐ手はずだった。作戦は上手くいったが、時間は潤沢とは言えない。

『制御室はエレベーターの丁度向かいにあるドアだ。カードキーは?』

「入手済みです」

 ナナが先ほど投げてよこした小さなカードを、手の中に確かめる。

『上等だ。そのまま向かってくれ』

 目視で場所を確認する。直線距離では三十メートルもないくらいだが、向こう側に移動するためには迂回する必要がある。他のドアとよく似た二枚扉で、カードリーダーがドアノブ近くに設置されていた。生体認証との二重ロックのようだが、前者はすでに無効化されている。

 小走りで制御室の前へと向かう。防護服はごわごわとしていて動きづらい。コートの上に着ているせいで、ひどく熱が籠っていた。

 イヤホンからはチーフらしき喋り声が聞こえてきていたが、マイクの感度が悪いのか、所々しか聞き取れなかった。当然だが、あまり好意的ではなさそうだ。肝心な情報は、まだ引き出せていないらしい。

 ドアの前にたどり着き、カードキーを通した。赤色のランプが緑色に変わり、錠の解かれる音がした。

 ドアノブをひねり、ゆっくりと扉を開ける。機材が詰まっている薄暗い部屋だ。監視でもするかのように張り出した窓は、薄く青みがかった色をしている。

 中央にものものしげに置かれた機材に近づき、接続部を探した。差し込み口のようなものはなく、代わりに手のひら大のプラスチックパネルが置かれていた。

 モニターはない。正面にあるのは妙な色をした窓だけ。

 第二研究室にあったものと似ている。データを奪取するための予備チップは渡されていたが、どうやら出る幕はなさそうだ。

 パネルに手を触れた。一瞬、微弱な電流を感じた後、「接続しています」とのポップアップ。右足首がじんと熱を持つ。

『自動複製のプログラムを組んでいて正解だったわね。こんなところでまで役に立つとは思わなかった』

 ミヤが笑い混じりに告げる。その声で、緊張が少し体から抜けた。

 一度バックアップが始まると、立っているしかやることがなかった。大型機械の動作音や振動に、イヤホン越しのナナの声が混ざる。ぼくは耳元に手を当てる。イヤホンの押し込まれる感覚。

『貴方はそれを……当に……しいことだと……思っ……るの?』

 ひどいノイズのせいで、ナナの問いは聞こえても、答えは聞こえない。ナナのいる場所は、電波的に閉ざされた環境なのかもしれない。

 同期の進行状況を確かめる。八十二パーセント。あと一分と経たずにコピーは終わるはずだ。周囲を再び確認しようとした時だった。

 ぶつん、と音を立てて光源が消えた。

 ――停電か。状況を確認しようとすると同時に、ナナの甲高い悲鳴と、爆発音。それから、二発の銃声。

「ナナ!」

 上ずった声で彼女の名前を呼んだ。

 ぼくは扉を破るように部屋から出た。柵の前に駆け寄って、一階を見渡してみても、階下は闇に満たされていてよく見えない。

 焦げ臭さに満たされた工場内では、工員のざわめきが天井まで飽和していた。非常事態に弱い人が少なからずいるようで、あちこちでパニックの連鎖が起こっては、工場は半狂乱に飲み込まれかけていた。

 電源が切り替わったらしい。非常灯がぽつぽつと点き始め、辺りを仄暗く照らした。

『ちょっと、大丈夫なの? 急にそっちのサーバーの信号が途絶えて――』

『あたしは、大丈夫、ちゃんとボディもデータも生きてる』

 ミヤの声を遮り、ナナが答えた。走っているらしく、声も上下に揺れている。

「銃声はそっち?」

『銃声? わかんない。あの人の防護服の首のところが光ったの。気づいたら、爆風で飛ばされてた。ハルもそれ、脱いだ方がいい。もしかしたら、自爆装置とか、あるかも』

 言われるがまま防護服を脱ぎ捨て、ゴーグルとマスクを放り投げた。出現した非常階段に滑り込み、出口の光に向かって進む。

 建物を転がり出た。風の冷たさに背筋が震える。工員の群れが工場から大量に排出され、押し合ったりもつれ合ったりしながら、我先にと敷地の外に出ようとした。

 防護服を着たままの一人が門の外に足を踏み出した時、ブザーの音がけたたましく鳴り響いた。間髪を入れず、彼の首部が光を発し、爆風と共にはじけ飛んだ。血しぶきや肉片が周囲数メートルを巻き込んで飛び散った。ぼくの頬に何かぬるいものが付着した。

 ひとつの細い悲鳴を皮切りに、パニックは渦のように大きくなっていく。方向感覚を見誤った工員が何人か、防護服を着たまま外に出ようとして、再び爆発を起こした。

 倒れ込む人、失禁する人、泣きわめく人、バラバラになった体に縋りつく人。血と汚物と蛋白質の焦げるにおい。

「ハルっ!」

 工場の入り口からナナが出てきて、ぼくに走り寄った。膝が擦り剝けて、黒色の人口筋肉が一部むき出しになっていた。

 彼女はぼくに飛び掛かるように抱き着いてきた。勢いあまって地面に押し倒された時、ぼくの視界の奥で、工場が建物ごと大きな爆炎をあげた。

 地面が揺れるほどの衝撃だった。彼女の身体を受け止めたまま、動くことができなかった。

 崩れかけた工場はもうもうと煙をあげていた。ぼくたちが最初に入った圧縮炉の辺りは、部屋があったこともわからないくらい、跡形もなく吹き飛んでいた。

『そっちで何が起こってるの?』

「わからない、工場が急に――」

 答えようとした狭間で、再び爆音が轟いた。金属板のかけらが顔すれすれを掠めて飛んでいく。

 何が起こっているのか。もうもうと上がる灰色の煙を見ながら、状況整理を試みていたときだった。

『やあハル、ご無沙汰だったね。元気にしていたかい』

 聞きなれた声が身体を貫いた。

 二発の銃声。あれだけの爆発が起こってもなお、質問どころか返答一つない、東郷の回線。

 ――まさか、

『不法侵入とデータ奪取。随分豪胆なことをしたものだね』

 父親の囁くような声が、騒ぎの中にいるにも関わらず、いやにはっきりと聞こえた。

 発信元を確認する。東郷のものだ。間違いなく。

『しばらくは様子を見ていたけれど、さすがに詰めが甘かったかな。こうも強い電波でやりとりしていれば、見つけてくださいと言っているようなものだ』

「パパに何をしたの!」

 ナナがぼくと父親の間に割って入った。興奮状態にあるらしく、握りしめた手のひらが震えていた。

『おや。君は東郷晃のお人形さんかい。安心しなさい。眉間と心臓に一発ずつ。苦しまずに逝けたはずだ』

 ナナは息を呑み、そのまま口をつぐんだ。血は流れていないはずなのに、顔から血の気が引いたように見えた。

 落ち着き払った父親の声音が、耳を蹂躙していく。

「どうして」

『逃亡ごっこも調査ごっこも終わりにしよう、ハル。真実を知りたいなら、一日の朝にに来なさい。君は事実を知る価値がある人間だ。そうだろう』

「質問に答えて」

 父親に対してこんな口をきいたのは初めてだった。

 彼は怯んだようだったが、『あれは僕の所有物だよ、ハル』と諭すように言った。

『工場も、従業員も、東京も。どうしようと僕の勝手だし、土足で踏み込まれるのは虫がよくない。ハルは馬鹿じゃないから、わかるね? あまり僕を失望させないで』

 あの頃からまるで変わらない口調だ、と思った。

 叱ることの代替品。逃げ道を塞ぎながら、甘ったるいほど優しく、繰り返し言い聞かせるのだ。調教のように。

『なんて、少し言い過ぎたかな。お詫びに、帰りにいいものを見せてあげるよ。じゃあ、元日。待ってるからね』

 ぼくの返事を待たずして通話が切れた。

 言いようのない焦燥感が広がるのを感じた。

「何やってんだガキども! 早く乗れ!」

 聞きなれた声で我に返る。トラックの窓からサガミが顔をのぞかせていた。爆音のせいなのか、乗り付けるトラックの音にも気付かなかった。

 引っ張り上げられるようにして、トラックに乗り込む。


 旧式エンジンの揺れの中。窓ガラスの向こうに、ぼくは信じられないものを見た。

 ひとたび大きな光のドームのようなものにおおわれた工場は、一階の瞬きの間に、姿を消したように見えた。

 白い砂嵐がトラックを襲った。「くそっ、なんだよこれ」運転席でサガミが悪態をついた。

 白い砂漠。病院跡にあったものと同じ。

 工場の焼け跡も、工員の死体も、見る影もなくなっているのだろう。ガラスに額を告げたまま、遠ざかっていく砂地を眺めていた。病院や工場の砂地化は、まるで仮想実験のようだ、と思った。

 その時。不意に、ぼくは気が付いてしまったのだ。

 都市再生化計画。

 父親はこの砂漠化を、東京全土でやるつもりなのではないか、ということに。


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