廃工場(2)

 奥まで進むついでに、宿舎の部屋をいくつか覗いた。ほとんどが施錠されていたが、部屋の主がルーズなのか、何部屋かは鍵がかかっていなかった。

 家具は二段ベッドくらいで、どこも荷物が極端に少なかった。広さは六畳に満たない程度。嵌め殺しの窓が一つついているが、全体的に薄暗かった。まるで監獄だ。

 全体をぐるりと探索したが、特にめぼしいものはなく、残っている人間もいないようだった。わかったのは、宿舎の生活環境がそれなりに劣悪だということだけだ。あちこちに雨漏りの染みがあり、黒黴が根を張っていた。

 アルミ製のドアを開け、裏口から外に出た。工場の入り口は目と鼻の先だが、正面突破はさすがに強引すぎる。立ち止まったまま考え込んでいると、ナナが最適解を見つけた。

「見て、あそこにダクトがある」

 彼女の指の先、二階の窓ほどの高さに、四角い通気口があった。遠目に見た限りでは、人がなんとか通れる程度の大きさだ。積まれたドラム缶をうまく踏み台にして、ごちゃごちゃと張り出たトタン屋根を伝っていけば、なんとか登れるだろうか。

 ルートを模索する間もなく、ナナが助走をつけてドラム缶に飛び乗り、簡単そうに屋根から屋根へと渡った。ダクトの近くまで登った彼女は、屋根の上から「早く」とぼくを見下ろす。

 そうは言われても、ぼくはナナほど身軽なわけじゃない。よじ登るようにしてドラム缶から屋根に乗り上げ、最後はナナの手で引っ張り上げられた。ナナはあれほど華麗に上って見せたけれど、ぼくはそれより数倍無様な気がした。

 薄い板一枚の足元は、想像よりずっと不安定だ。簡素な蓋をこじあけ、ダクトに侵入するまでの間も、変な緊張はずっと収まらなかった。

 ダクトはざらざらした埃で満ちていた。それほど長さはなかったが、通り抜け終わる頃には手と膝が真っ黒になっていた。

 天井部の蓋を蹴り飛ばし、ナナが工場内へと降り立った。ぼくも続けて飛び降りる。足に痺れるような衝撃。空咳がいつまでも止まらなかった。

 降りた先は小部屋のようだった。野菜くずや果物や白い粉末の詰まった袋がそこかしこに置かれており、真ん中に大きな長方形の空洞がある。床はしおれた葉のかけらや白いざらざらしたものが散らかり放題になっている。白いものは病院跡の砂とよく似ていた。

 工員は一人。ぼくより背が低く、宇宙服にも似た防護服らしきものを着ていた。

「な、な、何なんです? あなたたちは何者? どうして警報が鳴らないんだ?」

「しーっ」

 ナナが工員の口元に指をあてる。工員はびくりと身体を硬直させ、それからぼくたちを交互に眺めた。

「あたしたちはあなたの敵じゃないわ」

「敵じゃない? それって、その……味方ってこと? ボクらを解放してくれるんですか?」

「ええ。そのために情報が欲しいの。この工場のこと、なんでもいいから、知っていることを話してくれない?」

 ナナは愛想のいい笑みを浮かべた。ゴーグルの奥に見えた工員の目は、想像よりずっと幼かった。声もまだあどけなさが残る。もしかしたら、ぼくより年下の子供かもしれない。

「で、でも……ええと、……チーフに見つかったらきっとすごく酷い目に遭います。それに、ここの空気はあまり肺に良くないんです。マスクがないと……細かい粉塵が混ざっているから……」

 工員は躊躇いがちにぼくたちを見ていた。「やっぱり早く出た方がいいんじゃないかな……」と、怯えているように身体を縮めながら、彼が告げる。

 じれったい。ぼくはゆっくりと彼に歩み寄った。

「君がそうやって渋る気なら、ぼくたちもやり方を変えなきゃいけないんだけど」

 後ずさる工員の肩に手を置き、耳元に口を寄せた。

「これはSECTを用いた圧縮炉だ。そうだろ? 今までここで何人も処分されたはずだ」

 片手で光子銃を引き抜き、彼の背中に当てた。彼が小さくうわずった声をあげる。

「ぼくとしては、君を白いさらさらにはしたくはないのだけど。……話してくれる?」

 息を荒げていた工員は、ぼくと炉の中の闇を交互に見て、何度も頭を縦に振った。懇願するように。

「ありがとう。助かるよ」

 ぼくは身体を離した。工員の少年はその場にへたり込み、肩を激しく上下させながら呼吸を整えていた。

「意地悪がすぎるわよ」

「手段を選んでいる場合じゃない」

 彼女のねめつけるような視線にも、大きな溜息にも、ぼくは無視を決め込んだ。

 やがて彼は、きょろきょろと目線を動かしながら、ぼくらを見上げた。焦点の合わない目だった。

「あ、でも、あの……もうすぐ休憩時間に入るので、それからでもいいですか。勝手に作業を止めると怒られるし、それに、たくさんのことを同時にするの、苦手なんです、ボク」

 その言葉を待っていたように、ものものしいベルの音が鳴った。

『これより十分間の小休止に入ります』


 ――ここは、キューブの東京工場です。皆さんがいつも食べているキューブのうち、東京で流通しているものを生産しています。従業員は、数はわからないけど、たくさんいます。だって、ボクらの宿舎はいつもぎゅうぎゅうなんです。二段ベッドでは一段に三人も四人も詰め込まれて寝ています。

 だけど、不満はありません。もともといた施設でも同じような環境でしたし、出来損なったボクたちに、仕事や、食べ物や、住む場所を与えてくれる場所は、きっと東京中でここしかありません。もしこの施設がなかったら、ボクらは残さず飢えて野垂れ死ぬか、誘拐されて売春をさせられるか、内臓をバラバラにされて売られてしまうでしょう。

 ボクがこの工場に来たのは二ヶ月ほど前です。それまでボクは、東京のずっと外れの方にある、障害児の養護施設にいました。親に愛想をつかされたり、育てきれなくなったりして、東京に捨てられた子が過ごす場所です。

 職員の人は優しかったです。物覚えのよくないボクたちを、棒やほうきで叩きながら、色々なことを教えてくれました。ご飯を食べさせてもらって、ことばや計算を教えてもらって、身の回りの世話をしてもらうのは、とてもありがたいことなんだそうです。本当なら、マヌケで、とろくて、親に見捨てられたボクたちは、とっくに死んでいるはずの存在なのに、何かの間違いで生き延びてしまった。だから、ボクたちは感謝をしながら生きていかなければいけないんだそうです。毎日そうやって色んなことを教えてくれました。職員さんたちはいい人です。

 十五歳になった日、ボクはバンの後ろに乗せられて、車で一時間以上かけてこの工場に連れてこられました。施設にいた子供の間には、大きくなった子供は邪魔になって処分されるんだ、という噂がありました。噂が本当かもしれないと思うと怖かったし、運転席にいる職員さんに尋ねてみたかったけれど、生意気なことを言うと捨てるぞ、と強く言い聞かせられていたので、我慢しました。施設のあった山の中を抜けて、だんだんと緑が少なくなってくると、代わりに古くなったコンクリートがにょきにょきと生えていました。

 工場には、ボクと同じくらいの年の子や、少し年上の人がたくさん働いていました。麻痺でうまく半身が動かせない人や、言葉がうまく出ない人や、耳の潰れている人や、生まれつき上唇の裂けている人や、色々な人がいました。皆がおそろいの白い服を着て、それぞれの能力に応じて仕事を与えられていました。

 ボクのような新人の仕事は、圧縮炉にキューブの材料を入れることです。ここには毎日、穀物や野菜や果物といったたくさんの材料が運び込まれてきて、専用の倉庫に保管されています。それを運んできて圧縮にかけると、白くてさらさらした粉に変わります。そこに、砕いた胡桃や油を入れて、型でぎゅっと成型して、高温で乾燥させると、ボクたちの食べているキューブになるんです。

 炉の秘密はそれだけではありません。ここにはたまに、盗みや暴力で工場の規律を乱した人や、働けなくなってしまった人が連れてこられます。チーフに引きずられながらやってきた彼らは、チーフに「私は生きる価値のない役立たずです」と三回唱えさせられ、炉の中に蹴り落されて、キューブの材料と同じ、お砂糖みたいな粉に変わります。

 工場に来て最初のうちは、キューブを食べることができなくなりました。この中に、人間が、入っている! すごく恐ろしいことだと思いました。口の中に無理に入れようとしても、吐き出してしまうほどでした。けれど、同じ施設の出身だった先輩が、「無理にでも食べとかないとぶっ倒れて炉にぶち込まれるよ!」と言ったので、ぼくは仕方なく食事をするようになりました。

「食べてるうちになんでもなくなるって」

 先輩はつまらなそうにぼそぼそしたキューブを噛んでいました。縦に裂けた唇の間から、食べかすがぼろぼろとこぼれていました。

「ただ牛とか豚とか食べるのと一緒でしょ」と先輩は言いました。そうは言っても、ぼくも先輩も、本物の牛や豚など口にしたこともないはずでした。施設で出る食事も、やっぱり、どろどろした飲み物とキューブだけでしたから。

 その先輩も、一週間前、ボクの目の前で炉の中に落とされていきました。

 先輩の言っていた通り、日が経つにつれて、キューブを食べるのも慣れっこになりました。チーフの言うことに逆らわずに、サボらずに、まじめに仕事をして、炉に足を滑らせることさえ気を付けていれば、毎日は平和に過ぎていくんです。労働はとっても尊いことだって、皆言っています。だからきっと、そうなんだと思います。

 いくらたくさんの人が、動けなくなって、死んでしまっても。


 不意に工員の言葉が止まった。ゴーグルのレンズの反射で、目元は見えない。

 用済みになった人間の処分は、ある種の新人教育も兼ねているのだろう。見せしめのように「私は生きる価値のない役立たずです」と復唱させるのは、その上目の前で圧縮炉に落として殺してしまうのは、随分と歪んだ趣向だ。ぼくとしてはあまり好ましいとは思えない。

「逃げてみる?」

 びくりと肩を震わせながら、工員の少年が顔をあげた。

「え、ええと、なんでですか……?」

「解放してくれるんですか、って最初に言ってた。逃げたいんでしょう?」

「でも、い、一体どこに……? ボク、どこにも頼れる人なんかいないし、外に出たらブザーが鳴って連れ戻されちゃう。ボクもお砂糖みたいにさらさらになっちゃう」

 憔悴しきった様子の彼に、ナナが「落ち着いてよ」と背中をさすった。

「ぼくの仲間がセキュリティシステムの一部を落としてる。入り口から出てもバレないよ。今なら」

 このまま工員としてこき使われて、倒れるまで働かされて、いずれ圧縮炉に放り込まれて処分されるか。

 危険は伴うけれど、自分の足で外に出て自由になるか。

 どちらか好きな方を選びなよ、とぼくは言った。

「ボクなんかが、自由になって、いいのかな、本当に……」

 工員は目をきょろきょろと動かしながら呟いた。か細い声だった。

「決定するのは君だよ。ぼくらじゃない。ましてや君の上司でもない」

 少年はおずおずと立ち上がった。彼はダクトの奥を見つめながら、しばらくの間、じっと考え込んでいた。

「行ってみます、ボク……自由って、どういうものかわからないし、なんだか少し怖いけど」

「そう。なら、それは置いて行った方がいいかもね」

 ぼくは自分の襟元を軽く引っ張った。「あ、そうか」と彼は頷き、手袋を外した。ゴーグルとマスクの留め具に手をかけ、分厚い防護服を脱いでいく。身軽になった彼は、さながら脱皮を終えた蝶のようだった。不安を帯びてはいたが、晴れ晴れとした表情だった。

 彼は業務用の脚立を組み立てると、ぎこちない所作でダクトへと登った。薄黄色のつなぎは着古しなのだろう、ほつれや汚れが目立つ。

 ぼくらに一度礼をして、彼の姿はどんどん遠くなっていった。

 モーターの鈍い音が絶えず響いていた。銀色の受け口からこぼれたさらさらとした粒が、振動に合わせて小刻みに震えている。

 ぼくは圧縮炉の奥の闇を見た。これが死体処理の灰の行き場だったことはもはや言うまでもないが、その上生きた人間まで投棄されていたとは。

「たまには殊勝なことするじゃない」

 感心と揶揄が半々の口調。「これが欲しかったんだ」と、ぼくは防護服をつまみ上げる。これを着て、ゴーグルとマスクで覆ってしまえば人相はわからない。工場の潜入には有利に働くはずだ。

「そんなことだろうと思った」

 長い吐息が聞こえた。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る