廃品(2)
夕方の空は相変わらず寒々しかった。昨日に比べて晴れ間が少なく、どんよりと曇った空だった。
心もとない街灯の下、夜の闇はどんどん深くなっていく。時折、重力に耐えきれず落ちてきた小さな雨粒が、アスファルトの路面に染み込んでいった。
キャップを被ったまま、フードを深く被りなおす。生憎傘は持ってきていない。
「なーんか怪しい天気になってきたわね」
ナナは頭の後ろで手を組み、誰ともなく言った。「面倒だからちょっと近道しようか」と告げた表情は、いたずらを企む子供みたいだった。
ガラクタだらけの道を歩いてしばらく。光を発していない壊れかけの電光看板と、エスカレーターのようなものが見えた。看板を見るに、駅へと続く入り口のようだった。入り口にはチェーンが張られて封鎖されている。ナナの話によれば、とっくに廃線になった私鉄らしい。
「駅構内は立ち入り禁止だけど、まあ、濡れていくよりはいいでしょ。線路を歩いていけばすぐよ。バッカスは駅の近くだから、こっちの方が近道なの」
ナナは躊躇いなくチェーンをまたいだ。光源のない地下への道は暗闇そのものだ。彼女の視線に追い立てられるまま、ぼくもチェーンをまたぐ。
階下で何かが動くような気配がして、一筋の光がちらりと見えて、消えた。ホームレスが住み着かないよう、巡回がいるのかもしれない。
念のためと、ベルトに固定しておいた光子銃に触れる。使う機会がなければいいが。
「……暗いね」
手すりを頼りに、恐る恐るエスカレーターを降りていく。稼働はしておらず、勝手は単なる階段と変わらない。顔に蜘蛛の巣がふわりと触れ、手で振り払う。
手さぐりに進むぼくに比べて、ナナの歩調はずっと速かった。煩わしそうにぼくを待つ彼女は、追いつくと同時に、「あたしは多少視界がきくから」とぼくの手首を掴んだ。
人の手と変わらない温度。咄嗟に手を放そうとしたが、彼女の力は強かった。
ナナの手に引かれるまま、止まったエスカレーターを下り続けた。広いフロアに出るまでに、随分と長い時間がかかったような気がした。
エスカレーターを下りきった頃には、多少闇に眼が慣れてきていた。時折視界に入るまっすぐな光は、どうやら巡回のモーターロボットらしい。柱の陰に隠れながら、周囲を確認する。円筒形の体に半球を載せたような原始的なロボットが三体。大きさは子供の背丈ほど。目からまっすぐに光を出しながら、規則的に動いている。
ホームレス除けだろうか。こんな場所に来るような人なんてほとんどいないだろうに、ご苦労なことだ。
「今時お粗末なデザインね」
ナナが小声で言った。声には多少の緊張が混ざっていた。見つかればそれなりに面倒なことになる。
腰の光子銃に手をかけ、ベルトから外した。がちゃり、という金具の音が、思っていたよりもずっと大きく聞こえた。
「あんたそんな物騒なもの持ってたの」
「単なる貰いものだけど」
安全装置を外し、引き金に手をかける。対象が動き続けているのと、思っていた以上の重さになかなか照準が定まらない。銃身の先にモーターロボットの丸い頭。両手で抱え込むようにしながら、息を止めたまま引き金を引いた。
途端、光の弾が風を切る音がした。
ロボットの首の付け根辺りに、派手な衝撃音と共に穴が開く。同時に稲光のような白い筋が走り、小さな爆発を起こしたロボットは、周囲に破片をまき散らして動かなくなった。
「こっち」
ナナの手に導かれるまま、別の柱へと走って移動する。改札口が近くなったのがわかった。すぐそばに、小さなコンビニエンスストアがシャッターを下ろしていた。長いこと使われていないらしく、錆びだらけなのが遠目にもわかるほどだった。
二体目に照準を合わせる。慎重に引き金を引いたつもりが、弾は側面に当たっただけで、はじかれた。
体の向きはそのままに、ロボットの頭がぐるりとこちらを向く。顔を引くタイミングが一瞬遅れた。
『進ニュウ禁、止。ケイ、告し、マス』
ちぐはぐな機械音声がこだまする。銃口を向けていない方のロボットが、方向を変え勢いよくこちらに迫ってくる。
ばか、というナナの声が耳元で聞こえた。
咄嗟に光子銃を向けると、ロボットもごつごつとしたアームをこちらに向けていた。ぼくが撃った弾が、運よくロボットの中心に当たると同時に、何かが頬のぎりぎりを掠めてとんだ。
背後で何かが弾ける音がした。
「息を止めて!」
ナナが必死に叫んだが、遅かった。嗅いだことのない刺激臭が鼻に抜け、銃が手の中から落ちた。
ぐらりと体が傾き、床に膝を付いた。口元に手を当てる。筋弛緩ガスか。少し吸っただけだから大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
銃を拾い上げ顔を上げると、目の前にロボットの体があった。
にぶい銀色の体が、丸い目が、錆びたネジが、剥げかけの塗装が、やけにはっきりと見えた。ロボットの腕が上がる。筒のような空洞の先に光が見える。
身を固くすると同時に、重たいもの同士がぶつかる音がした。
ナナの足に蹴り飛ばされたロボットは、それとわかるほど大きなへこみをつくり、短い放物線を描いた。金属の塊が床に打ち付けられる派手な音。衝撃でとれた頭が転がっていく。
ぶすん、とショートしたような音と共に、わずかな火花を出して、それは動かなくなった。
「はー、痛あ」
ナナが足首をぶらぶらと動かした。ぼくの腕の根元を持って、彼女はぼくを強引に立たせる。さっきよりも眩暈がひどい。
ただの置物となった改札を抜け、少し歩いたところで休んだ。気分が悪く、外はあんなに寒かったのに、汗ばむほど体が熱かった。
「もぉー、大丈夫?」
無造作に横たわるぼくのそばで、ナナはぱたぱたとぼくの首筋を仰いだ。風はほとんど感じない。浅い呼吸を繰り返して、こんなことをしている場合じゃないのに、とぼんやりとした焦燥感に襲われる。
ぺたり、と何かが首に触れた。少し考えて、ナナの手だとわかった。手首を握られた時は温かく感じたその温度が、今度はひやりと気持ちよかった。
十分ほど休むと体調はかなりよくなった。もういいの、と一言だけ確認をした後、ナナはまたぼくの手首を握った。視界はまだ少し霞んでいたから、ぼくも黙って手を握られていた。
駅構内の景色は東京の駅地下とよく似ていたが、人影はどこにもなかった。丸まった毛布も、人の生活臭も、喧騒も、何もない。
ホームに降りる。二車線しかない小さな空間。終着駅らしく、看板からのびる矢印は片方だけだった。
ナナは軽々とホームドアを超え、線路に降り立った。「ほら、早く」急かすのを隠しもせず彼女が言った。
ぼくもおぼつかない所作でホームドアを乗り越えた。まだ微妙に体が言うことをきかない。レールの段差に躓きかけたが、なんとか体制を立て直す。
懇々と続く闇の中、ナナに手を引かれながらレールの上を歩いた。空洞音だけがあたりに響く。
東京の地下でも線路の上を歩いたことを思い出した。あの後、妊婦の死体を見たことも。ずっと忘れかけていたキーホルダーの重さを、ふとジーンズのポケットに感じた。
最初は平坦だった線路は、途中から上り坂が続いた。急勾配ではなかったが、ずっと登っていると軽く息が上がった。どこまで続くのだろう。嫌気が差してきたと同時に、視界の先にうっすらと光が見えた。地下鉄だとばかり思っていたが、どうやら地上に出るらしい。
「ここまで来ればすぐかな」
地上に踏み出すとほぼ同時に、ナナが言った。雨は廃校を出た時よりも強まっている。屋根はなかったが、騒音壁の小さな出っ張りを頼れば、どうにか濡れずに進むことができそうだった。
線路沿いの明かりのおかげなのか、夜の闇の中ではあったが、地上では線路がはっきりと見えた。線路は一点に集結していくように、細くまっすぐと続いている。
レールの上、とナナがぽつりと呟いた。雨音とぼくたちの靴音だけが、あたりに響いていた。
「ん?」
ぼくがそちらを伺うと、ナナは遠くを見据えたまま言葉を続ける。
「敷かれたレールには乗りたくない、って歌がしきりに流行った時期があるのよ。大人に支配されるな。自分の道は自分で拓け。俺たちは自由だ。そんな具合」
学校がなくなった後は、暇だったからラジオばかり聞いてたのだと、照れくさそうに彼女が弁明する。
「よくよく聞いてみたらね、ある年代から、そういうカウンター・カルチャーじみた歌はぱったりなくなったんだって。樹化病が流行り出した頃、ジリ貧状態だった不景気に一気に飛び込んで、レールの上を進むことさえ限られた人のものになって。それから先は音楽そのものも激しく衰えてしまった」
なんだか勿体ないよね。人はあんなに素敵なものを生み出せるのに。
どこか寂しげな彼女の声は、静かな雨音に攫われるように消えた。
「経済活動の規模と文化の規模は比例する。よくある話だよ」
雨水の溜まり始めた線路の上で、足を踏み出した拍子に、ぴしゃり、と水がはねた。
皮肉のひとつでも言われるかと思ったが、彼女は「そうね」と小さく笑っただけだった。
「ハルは何か好きなものはないの?」
話題を逸らすみたいにナナが言う。写真、と端的に答えた。そう言えば、ここ二日ほど、全くカメラを触っていない。こんな時に限って、家に置きっぱなしだった。
心のどこかがずっと麻痺していたけれど、思い出してみると、東京にも筑波にもたくさん撮りたいものがあった。思い出したくもないものも多かったが、全部忘れてはいけないような気がした。
「写真って、撮るの?」
ナナが珍しいものを見るような目でこちらを見た。
「どんなの?」
黙ったままのぼくに、ナナが畳みかける。。「色々」とだけ答えると、彼女はあからさまに不満げな顔をした。彼女はよく表情が変わる。
「写真のどこが好きなの?」
改めて聞かれると困るが、ナナは平然としている。
なんでだろう。自分の中に問いただしてみるけれど、すぐに答えは浮かんでこない。
「月並みだけど」
そう前置きをして、本当か嘘かもわからない言葉を、思いついたまま口にする。
「いつかなくなってしまうものでも、一瞬しか存在しないものでも、切り取ることができるから」
意外とロマンチストなのね、というナナの声を聴きながら、ぼくは博士を一度も撮ったことがなかったな、と思った。
他愛もない話ばかりしながら、線路沿いを歩いた。といっても、喋っているのはほとんどナナばかりで、ぼくは聞かれたことに簡単に答えるくらいだった。
廃校に住んでいたナナは、ゴミ捨て場でアンドロイドのパーツを拾ってお金にすることもあったようだ。同情はしないのと尋ねると、彼女は「人間だって他人の臓器を売ったりするでしょ」と平然と言った。胎児ビジネスの話を思い出して、曖昧に返事をしながら苦々しさを誤魔化した。
隣の駅は、終着駅だったところと比べて小ざっぱりとしていた。日に焼けた看板に、研究学園、という文字がうっすら残っていた。変な名前の駅だ。
ホーム脇の階段を上り、アルミの柵を強引にまたいだ。巡回ロボはいないようで、動くものの気配もまるでなかった。
改札口を抜け、ロータリーを歩く。古いコンクリート造りばかりの建物の中、『バッカス』という看板はあっさりと見つかった。いかにも個人商店らしい小さな店だった。ひとつ妙なのは、外見も内装もただの喫茶店にしか見えないことだ。電子部品を買いに来たはずなのに、店にはそれらしき商品はまったく並んでいなかった。
暖房のきいた店内に、身体の緊張がほぐれるのがわかる。「注文はどうしますか」と、マスターらしい老人がぼくたちを見ながら尋ねた。
「加圧ポンプとコンプレッサー。東郷晃でツケてくれる?」
ナナが手馴れた口調で告げた。老人はにこやかな表情を変えないまま、「ちょっと待っててね」と店の奥に消えていった。
老人はいくらもせず店頭に戻ってきた。手には小さな段ボール箱が二つ。彼はカウンターの下から紙袋を出して、丁寧な所作で商品を詰めた。
「いつもありがとうね。今日はお出かけですか」
「パパのとこに行くの。ここで落ち合う予定だから、少しそこで座っててもいい?」
商品を受け取りながら、ナナが微笑した。老人は盗み見るようにぼくを一瞥し、そのまま目をそらした。
迎えがやってきたのは、窓に当たる雨が強くなりだした頃だった。老人が入れてくれたココアも残り少なくなり、カップの底に黒い粉が沈殿していた。ぼくは手の中でカップを弄びながら、昼に読んでいた電子ジャーナルの内容をぼんやりと思い返していた。
思えば、ぼくと博士の研究の対象は桜だったはずなのに、あのジャーナルの内容は樹化病についてのものばかりだった。博士はぼくの知らないところで、何か別のものも追いかけていたのだろうか。
そんな思考をかき消すように、どこかでひとつ雷が鳴った。
「あ」と、店内のジャズに耳を傾けていたナナが、不意に声を上げた。それに合わせて顔を上げる。窓の向こうに、流線型のつやつやした車体が見えた。
車は音もなく止まり、中からスーツを着た男性が出てきた。大柄で、あまり年老いてもいなければ、若くもない人だった。体と同じように、彼の差している傘も大きかった。
大股で店内に足を踏み入れた男性は、几帳面に傘をたたみ、店主を呼んだ。腰をまげたままゆっくりとカウンターに戻ってきた店主に、男は一万円札を二枚出して、それからこちらを見た。
東郷、ではなかった。ぼくの知っている東郷は、足が悪かったのか、車椅子を使っていたはずだ。こんなに大柄でもなかった。
「お迎えにあがりました。こちらへ」
淡々とした低い声だった。襟の隙間から見える、青白く光るロゴ。この人もアンドロイドらしい。
男に差し出された傘に入り、店を出た。ぱらぱらと雨粒のはじかれる音が大きかった。
車のドアがゆっくりとスライドする。促されるまま乗車すると、椅子の中に深く体が沈んだ。芳香剤なのか、柑橘系のような微かな香りが車内に充満している。
静かにドアが閉まり、男は運転席に乗った。操作パネルを慣れた所作でタッチしている間も、男は何も喋らない。ゆっくりと車が動き出す。あれはパパの秘書なの、と横でナナが耳打ちする。
フロントガラスには気温と湿度が映し出されていた。天気予報で目にするような傘のマークの向こうで、ワイパーが何度も雨を拭った。
エンジン音よりも、車体に雨が当たる音の方がよく聞こえる。
「お変わりありませんか」
秘書だという男はそう言って、ナナにちらりと目配せをした。
「ぜーんぜん。ちょっとメンテナンスは必要かもね」
「そうですか」
さらりとした口調。車内にまた沈黙が下りた。
手持無沙汰に任せて電子パッドを起動させた。ジャーナルの続きを目で追うが、内容があまり頭に入ってこない。
音も振動も少ないのに、スピードはやたら出ているようで、トラックに乗っていた時よりも流れていく景色が速かった。すれ違っていく車は時間が経つごとに少なくなった。人もまばらな寂しい街並みは、いつか見たような畑と雑木林に変わっていく。
窓に頭をぴったりとつけると、低い唸りのような音が、耳のすぐそばで鳴る。それが妙に心地よかった。
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