8歳9月 父親として?

 六歳馬のソウヨウアイドルが笑いながらぼくから離れて行くと、ぼくはひとりぼっちになった。

 別に死んだわけでもないが、みんなほとんどいなくなってしまった。




(ねえヒガシノゲンブ、今のぼくはキミやワンダープログラムと互角の存在かい?)








 二歳の頃はそんな事を考える暇もなかった。

 三歳になり、ふたりの英雄級の存在と急に仲良くなれた気がした。

 四歳になり、親友気取りになって愚痴を聞いてやったり火をつけてやったりした。

 五歳になり、親友は雲の上に登って行き自分の方が勝手に離れてしまった。

 そして六歳になってから今までずっと、そういう事を大して顧みる事もなく戦って栄光を掴んで来た。

 その栄光を見せびらかす相手はもうここにはいない。




 そんな事のために戦って来たんじゃないと言うには、少し勝ちすぎたのかもしれない。




 帝王賞の時だって、ぼくは孤独だった。レース中に孤独という名の圧勝を演じるのはいいとしても、調教中まで孤独なのは困る。

 五歳牡馬と三歳牝馬と三頭で行った追い切りの際、ふたりともぼくに遠慮してなかなか馬場に入ろうとしなかった。でいざ追い切りとなると、まったく並ぼうとしないで外へ外へと逃げて行く。

 こっちがどうせ当分レースはないしとばかりにほんの少し気合を入れただけなのに、無駄に距離を走ったせいで三馬身以上も遅れてしまっていた。


「しっかりしろ!そんなまっすぐ走れないでレースに勝てるのか!」


 当たり前の事を言っただけでふたりとも顔面蒼白になった。そんなふたりが次のレースで惨敗したのはまったく驚くに値しない。


「ランザプログラムさんってすげえよな」

「そうだよな、あのココロノダイチさんにウエメセでモノが言えるんだから」

「ウエメセじゃないでしょ、同じ高さで言ってるだけでしょ、まあすごいんだけど」


 そしてごく普通に接するだけで、ランザプログラムの評価は上がって行く。みんなも真似をすればいいのに、なぜしないんだろう。

 宝塚記念の後北海道に行ったランザプログラム。彼女が当地でどう思われているのか、栗東から出る事のないぼくには知るすべはなかった。







 それで南部杯への調整が始まり出した九月、ランザプログラムは栗東に帰って来た。


「意外に早かったね」

「もう少しいる予定だったんですけど、予想外に暑くて。まあ成績は良かったからいいんですけど」


 異常気象とか言うけど、札幌だろうが栗東だろうが暑い所は暑い。最近では体調管理のために冷房が入った馬房もあるぐらいで、実際ぼくの馬房にも四歳になってから取り付けられた。


「北海道であの仔に会いました」

「ノーザンスザクかい」

「ええ。聞かれましたよ、なぜ私があなたにこだわるのかと。他にもうちから二頭ほど三歳馬が付いてましたけどね、とてもあなたのことを口にするような雰囲気じゃありませんでした」

「キミについてはどうだったんだい、若い仔たちはキミ自身の事をどう思ってるのかと」

「二頭の三歳馬はご機嫌取りに懸命でしたよ。うっかりすると私に取って食われるかもしれないと思い込んでて、何の得にもならないのに」


 ランザプログラムが恐れられているのは間違いない。それにぼくどの程度関与しているのかはわからないが、少なくとも今の彼女は恐れられている。そうやって恐れられながら、何事もないように走っている。


「それでノーザンスザクはどうしてキミがぼくにこだわっているように見えたって言うんだい」

「初めて触れたその時に、お父さんの臭いを感じたそうです。あの仔はヒガシノゲンブさんのいる牧場の出身で、ほとんど顔を合わせる事はない物のヒガシノゲンブさんの噂を四六時中聞いて過ごしてきましたから」



 で、ノーザンスザクは新馬戦を制したように、次のオープン特別も制した。まるで桁違い、手合い違いのレースだったと言う。だが今回もまたかなり乱暴な逃げ込みと言うレースで、良くも悪くもヒガシノゲンブの娘らしいそれだったと言う。

 期待を与えると同時に、今度こそヒガシノゲンブのようにはうまくいかないだろうと言う懸念も与えるそれだったらしい。当然だけど、浅野先生も滝原さんも不満だったと言う。



「彼女はまだ子どもです。才能だけで戦っています、私もその事について注意したのですが、あなたにはわからないと一蹴されてしまいまして。まあ昔から私は言われて来ましたよ、ワンダープログラムの妹だと。そんな肩書きに縛られまいと思いながら結局それにふさわしい存在として生き続け、今の今まで来てしまいました」

「キミは昔からそうだったね」

「ですから彼女はあなたが必要なんです、父親として」

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