外伝-4 競馬記者と鉄の馬

 どんなに戦っても、まったく傷付く様子もなくただただ走っている。中央でも地方でも、ただ目の前のレースを正確にこなし、そして優秀な成績をあげて去って行く。


 ココロノダイチは、いつのまにか私の天敵になっていた。







 走るように見えない。文字通り何事もなかったかのように馬場にやって来て、まるで気合を出さないで勝って行く。ココロノダイチはそんなとんでもなく異質な存在になっていた。

 幾度も取材に出て、浅野調教師からもいろいろ聞いた。川崎記念の時競馬場でヒガシノゲンブのように唸り声を上げ、戻って来た厩舎でワンダープログラムの不在を知って泣きわめいて眠ってしまった馬の事を。


「次走はやっぱりフェブラリーステークスですか」

「そのつもりだけどね、川崎記念に相当本腰を入れたからね。元々タフな馬だけどこれで糸がプツリと切れてなければいいんだけど。グランデザートにソウヨウアイドルとの三頭出しだけど、もうちょい調子を見ないと何とも言えないね」


 晩成型の馬であれば、六歳にピークが来てもまったくおかしくはない。

 とは言え川崎記念で見せた態度は正直闘志と言うより情緒不安定と言う言葉が似つかわしい物であり、そしてその後一夜号泣してしまう事を見ても精神的に成熟している感はなかった。

 その上今度は後輩二頭を引き連れてである、すなわち自分の弱点をよーく知っている存在二頭とご一緒という訳だ。六歳にもなれば対戦相手が増えるのも当たり前だが、それでも身内と言うべき同厩の後輩は他の馬が知らない物をいろいろ知っている。私だって去年、大学時代の同級生に同僚の前で二十歳になるや否や馬券を買いに行ったエピソードを暴露されて赤面したのだから。


 その両頭、取り分け絶好調のグランデザートには勝てるとは思えない。そのつもりで調教を見て予感が正しかったことをうっかり確信し、そして自信をへし折られた。




 ココロノダイチは笑っていなかった。

 ヒガシノゲンブほど豪快な話はないにせよ、馬だって自分が勝ったのだと言う事を認識しているのかウイナーズサークルにおいて笑う事はしょっちゅうある。ましてやGⅠにおいては、こんなに笑わない馬はココロノダイチが初めてなぐらいだった。

 翌朝さすがに休養だよと苦笑いを浮かべる先生と一緒に会いに行ったものの、かけらも笑顔を見せる事はない。先生さえも戸惑うばかりだった。


「まあここまで来るとね、もうやるしかないのかもしれないけどね。今がピークかもしれない以上」

「かもしれない以上?」

「次ドバイワールドカップ行こうかなって」


 ドバイワールドカップ――――なるほど。それこそ日本競走馬にとって凱旋門賞とならぶ最大の目標の一つだ。その事を既に考えているとすれば笑う事がないのも当たり前だろう、とんでもない深慮遠謀だ。

 ましてや凱旋門賞は僚馬であるヒガシノゲンブが取ってしまった、その上でドバイワールドカップとなればそれこそ浅野治郎という人物は天下に名を残すだろうしココロノダイチなんてなおさらだ。


 結果的にその挑戦は失敗に終わったものの、それでもヒガシノゲンブやワンダープログラムに比べれば購買額がケタが二つ違う馬がこうして世界で戦えている姿は私たち庶民には非常に大きく映り、あるいは両者に次ぐスターになっていくのかもしれない。


 と言うか、そのはずだった。もちろん当てている人間がいる以上自分勝手な事も言えないが、自分は絡めば絡むだけ損をして行く。


 何と言うか、常識が通じないのだ。












「ずいぶんと暗い顔しちゃって、有馬記念どころか最終週のホープフルステークスまで仕事だったんでしょ、その上に東京大賞典まで予想してそれで結果がこれだもんね。ささ、一杯と言わず」

「はい……」


 なんとかクイーンカップや秋華賞などランザプログラムで的中させて面子だけは保ったが、それでも一年間ココロノダイチに関する予想はまったく当たらなかった。いくら穴党と上位人気常連と言う水と油の組み合わせとは言え、ここまでうまく行かないと何がどうなってるのかとぼやきたくなる。

 帝王賞や南部杯など買うと来ず、JBCクラシックの時のように買わないと来る。チャンピオンズカップと東京大賞典は共にヒモにして当てたものの、トータルで考えれば大損だ。


 どうにも走るタイミングが分からない。中央競馬担当で地方競馬はオマケである自分の立場が実にありがたく、地方競馬担当の先輩に一年間でどれほど愚痴を聞かされたり酒をおごらせたりして過ごしたかわからないまま、今年も除夜の鐘までのカウントダウンが始まろうとしていた。


「私はまだギリギリバブルの残滓をかぶって成長できたけど、太田さんはもう」

「いやぁ私が小学校に入るぐらいまではまだ」

「それはかぶっている内に入らないから。まあでもさすがにいい加減焦って来ちゃったのも事実なのよね。今年は例年になく景気がいいから、私だけね」

「最強世代ってあるんですかね」


 どうしても世代間格差と言うのは存在する。野上さんはバブル世代の末期に大学を出て簡単に就職し、私は氷河期世代で十五社の入社試験を受けて受かったのがわずか二社だった。

 そしてそれは競馬でも同じだ。ひとつ上の世代が最強世代と言う事は、その世代に古馬混合GⅠを根こそぎ持って行かれると言う事と同義語である。実際今年の五歳世代は、主要古馬中長距離戦線をほとんどヒガシノゲンブとワンダープログラムだけに奪われた世代である。

 ダートに活路を求めていた馬たちも、今年ココロノダイチに最優秀ダートホースの座をもぎ取られそうだ。短距離だけはと思いきや、ここは四歳世代が強い。浅野厩舎にも今年はダメだったが来年はGⅠを勝てそうな馬が一頭おり、その彼が二・三着したGⅠレースの勝ち馬も共に四歳世代だった。このサイクルを今までの競馬記者生活でもう三度は見ている。


「ないと思うわよそんなの、たまたまよたまたま。こういう場でしか役に立たない与太話だと思ってるから」

「でも」

「ココロノダイチはたぶん一生懸命なだけよ。ただ前を見て走ってるだけ。今までのは本気じゃなかったのよ」

「本気じゃなかったって!」

「少なくともGⅠを走れるようになってからはずっとお客様だったの。四歳の秋から五歳のフェブラリーステークスまでのレース見た?緊張感ないんじゃなくて他人事状態だったのよ。それでようやく目を覚ましたって所」


 ココロノダイチの二~四歳春までの成績は、決して名馬のそれではない。初勝利こそかなり遅れたが後はとくに挫折らしき挫折もないまま、単純に勝ったり負けたりを繰り返しながらクラスを上げて行っただけ。なるほど漫然としていたと言えばその通りなのかもしれない。ヒガシノゲンブやワンダープログラムのようにその漫然としていた流れが急に断ち切られ、急に斜め上に向かって一直線になったと言うのか。


「きっかけはやっぱりワンダープログラムの引退だと」

「例えばだけど私が異星人だと言ったらどうする?」


 酔っ払いのギャグと言うには、急に声色が重たくなった。私がその声につられるように手を止めて背筋を伸ばすと野上さんはまた日本酒を口に流し込んだ。


「本当にもうこのサラリーマンは!まあそういうタイプもいいかもしれないと思ってるのもまた事実だけどねー」

「えっ」

「いやねえ、あるいは年貢の納め時かもしれないとか勝手に思ってるのよ。まあ死ぬまで馬券を買うのはやめないだろうけどその量も減らして、溶けるように死んでいくのもいいのかなーって」

「幸せそうですね。それで、ココロノダイチって幸せなんですかね」

「幸せ?そんなのわかんないじゃない。本人は必死なんだから。私がここ十数年そうだったように」


 競馬なんてプロが何十年以上かけてどうデータをまとめて目を磨いた所で、サイコロを振って出た目の通りに買った馬券が当たらない保証がない世界だ。当たらない当たらないと言われ続けている評論家が大御所でいられる緩さもあるが、その分だけ土台は弱い。必死になって地位を掴もうとした所で、ギャンブルと言う文字だけで軽蔑する人間の視線からは逃れようがない。

 でも新聞だって、一般紙の一面はたいてい死傷者何人とか言う事件の一報か、政治問題だ。スポーツ新聞だって一面に野球の主力選手の故障や芸能人のスキャンダルなどのニュースが載る事は多々あり、いずれにせよあまり気持ちのいい物ではない。新聞記者と名乗ったら名乗ったでそうやって絡んで来る人間もいる。


「子どもって今更だけどどっちだったっけ」

「息子が一人、小四ですよ」

「気を付けてね、意識高い系ってのは本当に面倒くさいから。私が何様か知るや本当嫌らしいぐらい喰いついて来てね、耳障りのいい事ばっかり言って来るのよ。で私が今の境遇に不満を持ってない事を知るともうボロクソもボロクソにね、私の人生経験上こういう人間って年に一度は現れるのよ」


 自分に取っての理想の世界をコピー&ペーストした所で誰にも当てはまるとは限らない。自分が高尚ぶりたい人間にとって、ギャンブルと言うのはある意味絶好の題材である。決して懐を崩さずに楽しむ姿勢を見せるだけで大人ぶれるし、それができずに没落していく存在が多数いる事を盾に非難するのもまたさほど難しくない。


「理屈のない予想はしないんでしょ、それならあなたは大丈夫!大丈夫だから、ハハハハ!」


 笑い上戸のものまねをしながら、大きな音で肩を叩く。野上さんの真っ赤なコートにいやらしさはなく、叩かれた感触は実に心地いい。私も取材がてら何頭かサラブレッドを触らせてもらった事もあるが、みな一様に堅い。その堅さが速さを生み出し、持久力を生み出す。ヒガシノゲンブやワンダープログラムだってそうだったし、ココロノダイチだってそのはずだ。




 それなのにココロノダイチの中肉中背のはずの馬体は、二歳の時から変わっていない。五歳の時は惨敗続きのせいか少ししぼんで見えたものの、六歳になってみるとまた四歳の頃に戻っていた。

 そして七歳馬としてフェブラリーステークスで大穴馬に負けた時も、アンタレスステークスを勝った時も、帝王賞を負けた時も、全く同じだった。




「ヒガシノゲンブとワンダープログラムの現役時代から含め四年以上ココロノダイチを追っているが、この一年間彼の表情が変わった所を見た人間は浅野先生以下ほとんどいないと言う。フェブラリーステークスのパドックでわずかに笑うような顔になったのを最後に、ココロノダイチの顔はほとんどコピー&ペーストで終わる。

 フェブラリーステークスで後輩記者が言ったように、まさしく鉄の馬だと言える。その鉄の馬は今年もまた、この芝よりスピードの出ない「悪路」を力強くたくましく走っている。

 紛れもなくダート最強馬候補となったこのココロノダイチ、願わくは無事に種牡馬入りして血統をつないでほしい物だが、もしヒガシノゲンブやワンダープログラムのGⅠ五勝を越えるとなればこの世代が史上最強世代と言われるようになるかもしれない。

 宿命のライバルと言うべき二頭の引退に伴ってか、売り上げが前回より五%減・前々回より十二%減になってしまった今年の春の天皇賞を思うにつけ、競馬関係者としてはそういう風にファンを引き付ける存在がダート路線、取り分け地方には必要だと思う次第である。」




 穴党のくせにそんな記事を書いて一番人気馬を持ち上げた結果、帝王賞でまた損をした。

 そして盛岡でも大井でも、いや浦和でも中京でも私たちを振り回しまったく悪びれないあの鉄の馬。言うまでもなく、その全てで私は敗北した。


「嫉妬しちゃいけないよ」

「そんなことはありませんよ、ありまと言えば有馬記念もやっちゃいまして」

「その前は良かったじゃないか」


 大井での戦いの前に取材に行って浅野先生からそう言われた時には、取り繕うのに必死だった。単純な話として数万円単位の現金をむしり取られたのもあるし、仕事に必要な信用をなくしていくのもまた事実だった。ヒガシノゲンブやワンダープログラムの時には、二、三着を予想するヒモ荒れを的中してそれなりに面目も躍如できた。だがココロノダイチの時はそれができない。


「ライバルクラッシャーとか言われてますけど」

「そうかねえ、この年になっちゃうとライバルたちの方が先にやめちゃうからね。うちの厩舎にももうココロノダイチより年上の馬はいなくなっちゃったよ、誕生日的な意味で言うとそれこそもうゼロだね。最後に勝った奴が世の中一番偉いんだよ、僕だってそうなりたいもんだね」


 ああその通りだ、全くその通りだ。でもそんな理屈だけで動いていたら競馬には何の意味もない。いい年をして夢とかロマンとか語るなと言うなら止める気はない。でも今のココロノダイチにはあまりにも変化がない。いつも同じレベルの走りを繰り返し、勝つか惜敗かの二通りしかない。もちろんそれは一流の証のはずなのだが、それもまただからこそ鉄の馬なんだろうなと言う論旨を補強する材料になっていた。



 そして八歳になっても、ココロノダイチは変わらなかった。

 川崎記念も負けたとは言え、戸柱騎手の早仕掛けのせいにできる程度には走りはさび付いていなかった。それでフェブラリーステークス。二番人気になった彼には印がずらりと並んでいた。後輩記者からも諫言されたが、それでも自分は三角にした。


「ココロノダイチは前が開かない!ココロノダイチは苦しい!残り100!ようやく前が開いた、だが先頭は」


 それで結果としてはココロノダイチを買っていた人間が前が塞がって泣く中、私は馬券を的中させ万馬券担当記者の名を存分に示す事ができた。


「ああうん、やっぱり川崎と東京は違うから、それから今回は逃げ馬がいないからスローペースになると思ってね、いつものやり方で行くと必ずこうなると思ったんだよ。今のココロノダイチには1600は少し短いと思うんだよね」

「さすがですねー」




 後輩のおべんちゃらと違うそれを聞かされても気分は上がらない。

 こんな上っ面の文句を並べた所で、三角にした最大の理由はココロノダイチに対するアンチテーゼだからだ。


「こんな枯れた酒浸りの女でも拾ってくれる物好きもいてね、結婚式なんかやらないでそのまんま籍入れちゃおうかなって。にしてもずいぶん豪快な呑みっぷりね」

「祝い酒ですよ祝い酒」

「そんな調子で大丈夫なの」

「まだまだ私は行けますから」

「そうじゃなくて仕事。ココロノダイチアンチもほどほどにしたら」


 もうすぐ「野上さん」をやめると言う野上さんからフェブラリーステークスの後呼び出された際にその事を指摘され、テーブルを唾液と日本酒で濡らしてしまったことについては平身低頭するより他ない。


「お金が惜しいのはわかるけどね」

「そうじゃないんですよ、断じてそうじゃ!」

「ムキにならなくてもいいじゃない、ココロノダイチになりたかったんでしょ?」


 ココロノダイチになりたい――そう言われた瞬間、酔いがいっぺんに醒めた。

 ワンダープログラムやヒガシノゲンブのような生まれながらのエリートには、絶対になれない。でもココロノダイチは庶民上がりと言うべき存在であり、その分だけ私に近い。自分でもそうなれるかもしれない存在だ。


「ココロノダイチは変身ヒーローみたいなもんですか」

「ヒーローじゃないわよ、スターよ」

「スターですか、なるほど参考になりましたよ」

「ったくもう、お勘定配当から払ってちょうだいね」

「申し訳ありません料理を台無しにして」

「そうじゃないでしょ、ったくどこまでもサラリーマンなんだから。まあようやくつかんだ旦那様も似たようなお人なんだけどね」


 七つ年下で一流企業所属のサラリーマンで、バツ一となってから六年が経ちそろそろ再婚をと考えていた際に結婚相談所に登録していた野上さんと出会ったと言うその男性は、確かにサラリーマン然としていた。でも決してお堅いわけでもなく、適当に遊んでいそうなぐらいには擦れていそうな顔をしている。


「まあ太田さんたちの前では野上さんでもいいけどね、籍入れたらLINEするから。その時はまたよろしくね」

「はい……」


 真っ白な顔に向けて温かく微笑みながら、野上さんはあとわずかとなった「野上さん」で要られる時を楽しむかのようにテーブルも店員さんも私も気にする事なくお酒を流し込んだ。私が恐る恐るコップを差し出すと、快く最後の一杯を注いでくれた。そのお酒は自腹と分かっているのに実に美味であり、一挙に顔に血の気が戻った。







 で、スターであるココロノダイチはかしわ記念でついにヒガシノゲンブとワンダープログラムを越えた。中央と地方を一緒にするなとか言われようが、GⅠ級レース六勝と言うのは超一流馬にしか出せない数字だ。もはや誰も彼を軽視する事は出来なかった。

 ヒガシノゲンブやワンダープログラムよりグッズの売れ行きも良いらしく、故障もなく長く活躍できると言う事で縁起物にしている人もいると言う。


「しょせんは代替品なんでしょうけどね」

「代替品って」

「小川さんですよ、ほらこれ」


 そしてあの小川さんもまた、ココロノダイチに恩恵を受けたらしい。後輩記者のスマホに入っていた小川さんは、ベレー帽に灰色のコートを着て黒縁眼鏡をかけた人のよさそうな老紳士と言った風情だった。

 まあツイッターで見かけたのを許可をもらって転載したからどれだけ効果があるかわかりませんですけどねと笑いながら、笑顔を共に懐にしまった。

 その小川さんの笑顔の周りには、不思議なほどに後ろ暗さがない。何十万単位の馬券を買ってそれを当てている、つまり相当のお金持ちのはずなのに全く誰も気にしていない。どちらかと言うと、この人を気にする方が間違っているようにさえ思える。


「で今度は来ると思ったんですよね」

「まあな」


 そして今度はちゃんとココロノダイチを本命にして馬券も取った。それを許される程度にはココロノダイチもまた慈悲深きスターなのだろう。




 それで帝王賞。またココロノダイチは一番人気だった。ココロノダイチはもはや、紛れもない大スターとしてここにいる。自分のようなプロ気取りや活発なアマチュアだけでなく、素人まで今や飛びついている。あの小川さんもいるのかもしれない。

 なるほど「野上さん」の言うように、ココロノダイチと言うのはスターなのかもしれない。なるほど、デビューから一年近く地を這い続け、そこから次の一年で一挙に出世し、そのまた次の一年間勝てずに苦悩し、そしてここに至ると言うのは実に見事な話だ。

 で、ゲートが開くや定位置にココロノダイチは構えた。

 ペースは平均ペース。そのペースに付き従うかのようにじっと構える。雑音などおそらくは耳に入っていない、あるいは皆同じと割り切るか他の馬が乱れてくれればいいなとか考えているのかもしれない。

 そして直線になるや先頭に向けて飛び出し、これまでと同じように押し切ろうとする。そこをもはやこれまでだと言わんばかりに他の馬が襲い掛かって来る。そこでわずかに表情が変わった。勝っても負けても何も変わらなかったココロノダイチの顔が歪み、首が激しく動く。


 それらのストーリーがもたらしたのは、七度目の栄光と大きな声援だった。その栄光をつかみ取って帰って来た存在は、やっぱりすぐさま元の表情に戻った。




「鉄の馬健在なりですか」

「まあね。まだ彼自身やる気だからね」


 どこまでも泥臭く、そして美しい。その泥臭さと美しさを兼ね備えた姿を、正直私は恐れていたのかもしれない。それで次の南部杯に向けて意気盛んだと言うからまったく恐れ入るしかない。


「おい落ち着けよ」

「すみません、彼女またいつもの通りでして」


 その隣には、仔馬がいた。尾っぽにリボンを付けられた彼女はまるでレース中のような目をして、見知らぬ存在である私をにらむ。ちなみにこのリボンは後ろ蹴りで相手を吹き飛ばす可能性があるぞと言う警告であり、その点からも彼女の扱いがわかる。


「ああすまないね、彼女はノーザンスザク。うちの厩舎の二歳馬でね、身のこなしとかは紛れもない一流なんだけど……」

「詳しく取材させてください」


 その仔馬が左目で睨んでいるのが私だとしたら、左目で睨んでいたのはココロノダイチだった。ココロノダイチを睨めるような存在、私はその単語に凄まじいほどの浪漫を感じ彼女を追いかけることを決めた。




 ――――そう、このヒガシノゲンブの初年度産駒を。


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