6歳 ドバイから日本を巡る
海外遠征。それもワンダープログラムと同じドバイ。しかもドバイシーマクラシックではなく、ドバイワールドカップ。格としては同じ国際GⅠだが、賞金のケタが違う。そして何より、名誉が違う。
「ココロノダイチ、ここを勝てばヒガシノゲンブに比肩する存在になれるぞ」
浅野先生は真顔でそんな事を言って来る。でもヒガシノゲンブの時のようにできるとはびた一文思っていない、ただ自分の出来る事をするだけだ。
声援だか歓声だかが聞こえるけど、何を言っているのかはわからない。歓迎されているのか、いないのかさえもわからない。戸柱さんは歓迎してると言ってるけど、ブーイングをしているのかもしれない。いずれにせよ、そんなのは日本だって同じだ。
(「何やってんだ仕掛けが早すぎるんだよ!」
「金返せ!」
「ゲート練習からやり直せ!」
「何でこの前のようにならなかったんだよ!」)
負けた時に飛ぶのは当たり前だけど、勝っても聞こえて来る。他の馬に賭けたのにとか、この前買った時は負けたくせになんで今回は勝つんだとかいう理不尽な怒りもしばしばだったから慣れっこではある。
でも、暑い。三月のはずなのに暑い。ジメジメしていないかわりに、空気の温度は高い。それから水の値段も高いと言う。思わずがぶ飲みしたくなったけど、どうにもその気になれない。一リットルほど残して顔上げると、一粒の砂粒と空っぽの水桶がぼくの目に入り込んだ。
「あっれー、ココロノダイチさん水残しちまったんスか?」
「いやあ暑いね」
「まあよろしく頼んますよ、俺っちが引き立て役やってもいいんスから」
「ドバイワールドカップ出るの?」
「いや俺っちはデューティーフリーッスよハハハハ!こちとら最高の勲章ってこの前の中山記念ッスから。クラシックでは全然活躍できなくって、そんでたまたままぐれ当たりしちまったもんでねえ、大将どうかおねげえしますよ!」
そんな風に笑いながらすり寄って来た黒鹿毛の牡馬が、今年に入ってから重賞を二連勝した馬だと言う事を知ったのは日本に戻ってからだった。大将と言う単語には大した意味もないのだろうけど、それでもワンダープログラムやヒガシノゲンブとは全然違う。
六歳にもなれば世間もそれなりに広くなるつもりなのに、こんな存在にあたって来なかったのは正直ショックだった。彼の性格の問題じゃなく、大将と呼ぶような存在がいたと言う事だ。良くも悪くも深い意味などないのだろうけど、それにしたってそんな扱いをされる事は一度もなかった。
そのせいでない事は分かっているが、結果は四着。ぼくの方が彼の引き立て役になってしまった。ドバイって言う場所にふさわしい乾いた笑みを浮かべながら、ぼくは日本へと帰る。赤と白の大地と馬場は何も語ろうとしない。あるのは、来る時の三分の二ぐらいに減った記者さんたちの声だけだった。
「お疲れ様でした、いやあ残念でしたね」
「まあそうだね、でキミの方は」
「高松宮記念ですか、フェブラリーステークスと同じく二着ですよ。今回は半馬身差でしたからなおさら悔しいですけどね」
日本に帰って来たぼくが厩舎に戻ったのは二週間後だ。三歳馬たちはクラシックレースに臨み、古馬たちはそれぞれの目標に向けて進んで行く。そんな中ダート路線だけはとっくに始まっているとも言えるし、終わっているとも言える。
春の高松宮記念~宝塚記念までの間、ダート路線を行くぼくらは傍観者に近い。日向とか日蔭とか言うのとは違うけど、リズムが違ってしまうのはある程度仕方がない。ソウヨウアイドルのように芝でなんとかできるのならばいいけど、ぼくにはそれはできない。
「えっ帝王賞ですか」
「検疫もあるし何せその前もほぼ三連戦だったからね、かしわ記念とか平安ステークスとかはちょっと忙しすぎやしないかなって」
「はい……」
だからこそ、この先生の次は帝王賞だと言う言葉に戸柱さん同様納得は行っていない。走りたい。ただただ走りたい。力を示したいとかGⅠを勝ちたいとか言う訳ではない。他の事に興味が湧かない。かつてのワンダープログラムやヒガシノゲンブもまたこんな気持ちだったんだろうか。
「これならいけそうな気がするんですけどね」
「まだひと月だろ、ここで無理やってまた五歳の時のようになったらどうするんだ、用心用心」
ランザプログラムがGⅠを取ったらその質問をしようと思いながら時が経ち、それがかなわないままぼくは調教と休養の日々を送っていた。空はだんだんと温かくなり、やがて湿気を増してくる。フェルスラヴァーとグランデザートが併せ馬をやっていたけど、二頭ともぼくの方を見ようともしない。当たり前だ、彼らには彼らのレースがあるんだから。
しかし休養十分だったはずの帝王賞は、直線で前にいた馬と脚色が同じになってしまい差を詰めただけの五着に終わった。
「お前って意外にタフなんだな……」
浅野先生のため息が重く響く。おととしから去年にかけてGⅠ連戦の後マーチステークスで惨敗、その後あんな有様になってしまったぼくをみれば二の舞を演じまいとするのは当たり前のはずだ。その結果がこれであり、またぼくは浅野先生に恥をかかせてしまった。
で、夏秋に適当なステップレースがなく休んで一〇〇%のはずの状態で臨んだ南部杯はと言うと、また三着だった。
ため息と涙を飲み込んだ結果出たのはボロだけ。ぼくは自分の発言によってふくらんだ背中の重さをごまかすように右前脚を鳴らしながら、頭を船橋競馬場の方へと投げ付けた。そう次はJBCクラシックだ。
二年ぶりに戻って来た舞台。まあ正確に言えばおととしは盛岡で今年は船橋と開催地が違うので戻って来たとは言えないけど、ぼくはこのレースを勝たねばならなかった。
「気合い入ってますね、もしかしてクイーンカップの時のブーメランを」
「ああそうだよ、って言うかよく知ってるねグランデザート君も」
「ばっちり聞いてましたから」
ここまで広まっているとは思わなかったけど、いずれにせよ好都合だ。大勢がぼくの動向に注目している以上、責任は重くなるけど気持ちも大きくなる。それと反比例するかのように、戸柱さんが急に軽く思えた。
そのおかげか、ぼくは戸柱さんに三度ガッツポーズをさせながらコースを回り歓声を浴びる事に成功した。
でもその喜びもまたブーメランと重荷になる事を忘れてはしゃいだ結果、チャンピオンズカップと東京大賞典は共に惜敗した。
「川崎記念を……」
「もう少し休みましょうよ、もう七歳なんでしょ、引退してもおかしくないんじゃ……ああ僕も来年こそは勝たなきゃなぁ……」
「まあ相談には乗れるよ、乗れる範囲なら」
で、六歳の年末もまた大晦日は厩舎だった。ソウヨウアイドルとグランデザートと適当にしゃべりながら、今年のことを思い返す。二人もまた、来年五歳になる。ぼくの五歳が最低のそれであった以上、彼らもまた苦難の時を迎えるかもしれない。その時は自分なりにアドバイスをしてやるつもりだと、レースと同じぐらい張り切っていた。
だけど、年が明けてもふたりがぼくに話を持ち掛けて来る事はなかった。間がいいのか悪いのか川崎記念を回避したぼくには時間も暇もあったのに。
こうなってみると、ぼくには話し相手がほとんどいない。ヒガシノゲンブやワンダープログラムはとっくに引退したし、かつてぼくを慕っていた後輩たちはほとんどが巣立って行った。その後続が埋まる事はない。
「坂路へ行くか……」
他にする事はない。
去年もらった最優秀ダートホースと言う勲章。年度代表馬に比べれば軽いけど、最優秀三歳牡馬や最優秀四歳上牡馬と比べれば大差ないはずの肩書き。それに負けたくはない。もらった所がピークでしただなんてあってたまるかい。
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