5歳12月 東京大賞典

 チャンピオンズカップには出ないと言う。何の驚きもありゃしない。

 たかがGⅢを勝ったぐらいでさあGⅠだなんてそんな虫のいい話があるかい。もちろん出られないと言う事はないだろうけど、勝ち負けはまた別の話だ。




「ねえココロノダイチ」

「……」

「兄さん、ココロノダイチさんの目標は東京大賞典ですよ。まだ年末の話ですから。ソウヨウアイドルさんやグランデザートさんと一緒にやったらどうです」

「併せ馬ならボクがやりましょうかワンダープログラムさん、チャンピオンズカップの後はたぶん休養なんでその時目一杯に仕上げておかないと」

「おおわかったよ」


 あとひと月のうちに、ソウヨウアイドルとグランデザートはGⅠ馬になるかもしれない。そんな大きな可能性が、全てを大きく飾り立てている。虚飾になるもならぬもこれから次第だが、少なくとも今ははっきりとした装飾である。

 アクセサリーってのは付けてる存在を輝かせる。ブリンカーだのシャドーロールだのチークピースーズだのの矯正用具だって存在感を高める事に変わりはない。うちの厩舎は覆面をさせないけど、しているとやっぱり目立つ。オーナーさんの意向で付けてる場合もあるけど、ぼくも含めこの厩舎にはほとんどいない。

 もしそういうのがあればもう少しとか、要らない事を考えてしまってはいけない。ぼくはただ、走るしかないのだ。無理矢理にでも走って走って走りまくって、勝利をつかみ取る事でしか幸せになれない。それが競走馬なのだ。




 例えば、ワンダープログラムのように。




 ワンダープログラムはジャパンカップも簡単に勝利した。ホームグラウンドと言うべき日本で、海外の強豪たちを子供扱いしていた。最近では遠征に来る馬のメンツが弱いとか言うけど、ソウヨウアイドルがマイルチャンピオンシップで海外馬に先着を許したのと比べると改めて恐ろしさが引き立つ。


「併せ馬でも歯が立ちませんでしたもん」

「グランデザートとソウヨウアイドル、三頭でやったんだろ」

「ええ、お互いそれなりに気合い入れてたんですけどねー」

「ボクらを簡単に引き離して行きましたよ、ったくあれこそまさに名馬ですよね」


 調教のタイムだけ良くて本番はさっぱりである事ほどかっこ悪いのもそうそうない。実際にそれをやってしまった以上、調教でいいタイムを出すと背中が重くなる。ワンダープログラムは阪神大賞典の時のようにまだ仕上がり途上だと言われた時はきっちりと負け、絶好のタイムを出したとされる春の天皇賞の時は簡単に勝っている。実に分かりやすい。

 で、そのワンダープログラムになついているグランデザートはチャンピオンズカップに出た。去年のぼくと同じ四番人気でパドックを回っている姿と来たら、まったくいい笑顔をしていた。

 結果は三着。よくやったなとも残念だったなとも言えない。一、二着馬が共に六歳だったように熟練が物を言うダート路線で三歳にしてGⅠ三着とは、それこそ一流馬になると言う約束を取り付けたも同然だ。

 何より、去年のぼくが四着だったんだから。


「グランデザートは来年以降ダート路線の中核を担うかも」


 そんな世評に対し八つ当たりなどできはしない。正しくないから。

 そんな事より、目の前の東京大賞典を取りに行くしかない。




「併せ馬お願いできるかな」

「わかりました」


 職権乱用と言いたければ言えばいい。ランザプログラムの視線など気にする事なく、GⅠがこの前に終わったばかりのソウヨウアイドルを併せ馬に誘った。貫録を見せてやるべく初っ端から一気に飛び出してやったけど、この後輩は幼気にも付いてくる。

 で、大人気なくムキになって走ってやっと半馬身だけ先着した。


「ずいぶん気合入ってるな、有馬記念の裏の阪神カップでも行くのか?」

「いや、今週のカペラステークスですよ」


 カペラステークス!中山ダートの重賞じゃないか!ソウヨウアイドルまでぼくの前に立ちはだかってくるかもしれないとなると、いよいよ逃げ場などなくなる。本人はマイルまでが限界だと言っているけど、それはフェブラリーステークスや南部杯では戦う可能性があると言う事でしかない。


「じゃぼくは再来週頑張るから」


 ソウヨウアイドルも、結局はライバルに過ぎない。同じレースに出ればその瞬間敵味方でしかない。かつての三歳上一勝クラスで出会った、そこでくすぶっていた存在からすれば雲の上にいるはずのぼくは、今やその時の馬たちより弱くなっていた。

 あげくにそのソウヨウアイドルにカペラステークスを勝たれたと来たもんだから、もう何も言える気がしない。




 二週間後、東京大賞典へ向けての追い切り。単走とは言え、後先考えずにかっ飛ばした。ああ、タイムだけならば一番だ。

 何とかして勝たねばならない、そのために何とかして強くならねばならない。目を見開きながら、ぼくは調教馬場を駆け抜けた。





「ワンダープログラム!最後のレースでヒガシノゲンブに追い付いた!さあこの後は種牡馬としての戦いが待っています!」


 まったく素晴らしい口上だ。逃げ込もうとした十番人気馬を差し切り、単勝一倍台の支持に応えるその姿はどこまでも美しい。


「あーあ、もう競馬やめようかな。この二頭の激闘に伍する存在が今後見られるのかね」

「バカ、数年も経てば二世対決が待ってるんだぞ」

「せいぜいその時までは続けることにするか、しかしあの小川さんってのも」

「馬で金儲けする奴もいるんだな、浅野調教師と言いこいつといいさ」


 最後の最後まで、ワンダープログラムはファンの人を笑ったり泣かせたりさせる。そして今後は父として同じようにするだろう、おそらくはそれこそが本人の望みであり世間の望みでもある。


 そして、ぼくの望みでもあるはずだ。







「兄は」

「わかってるよ」


 ぼくはそのワンダープログラムに応えねばならなかった。ランザプログラムを置き去りにして、遠い大井競馬場への馬運車に乗り込む。


 先行集団から抜け出す、そして一番にゴールを駆ける。その絵図をずっと頭に思い浮かべた。イメージトレーニング、それ以外にできる事もない。今どの辺りとか、どんな相手が待っているのかとかはどうでも良かった。




 それで、東京大賞典。枠順も絶好の二番。人気も五番人気と、ある程度楽に行けそうな数字。背中は軽い。心も落ち着いていた。今度こそいける!


 ゲートが開いた。いい具合だ、四番手ぐらいに付けられた。よしよし。自分なりに威圧感と迫力を持った作り笑顔をしながら走る事ができている。そうだ、このままなら。


 直線だ、前が開いた!鞭が飛ぶ、気合は十分だ、ゴール板が見えた!走れ、走れ、走れ、ココロノダイチ!ただひたすらに走ればいい、それがお前の本業なんだよ!自分に言い聞かせながら、四肢を必死に動かした。










 だが、勝てなかった。それもアタマ差で。目一杯の事をやったつもりなのに。たったのアタマ差でぼくの前脚からGⅠの座はすり抜けた。


 暮れの大井競馬場に小さな小さな染みを作りながら、ぼくは声にならない泣き声を垂れ流した。


「まだ来年があるから」

「うるさい!」

「その調子ならお前は大丈夫だ、来年は頼むぞ」


 何が大丈夫だよ、何が!戸柱さんの笑顔はどこまでも真摯で、その分だけ八つ当たりさえも届かない自分が嫌いになった。


 五歳にもなって、一人っきりで戦えない自分が。

 こんな奴に、ワンダープログラムなどと話す資格があるかい!


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