5歳11月 みやこステークス

「次走はみやこステークスだな」


 本当ならばJBCクラシックだったのに、実際に走る事になったのはその裏番組と言うべきGⅢ競走。格下げ以外の何でもない。

 ひどい仕打ちとか言う言葉を使うのは尊大と言うべきだろう、だってそれにふさわしい結果しか残せなかったんだから。










 ――――それでワンダープログラムは凱旋門賞を勝つことができなかった。ヒガシノゲンブに続いての日本馬の制覇が期待されたおかげか、ステップレースを勝ったせいかヒガシノゲンブが取れなかった一番人気になったが、一着は取れなかった。

 しょせんはヒガシノゲンブに一勝四敗の馬だとか現地で言われたらしいけど、ワンダープログラムはきっとそんな事気にしないだろう。



「私はアルテミスステークスに集中したいので。ああソウヨウアイドルさんも次はマイルチャンピオンシップになったそうですから、何せGⅠですから気合が入っているでしょう、人気にもなりそうですし。ああ兄は日本でしたようにすべきことをしたと思います、後はもう展開と運の問題でしょう。誇るべき立派な兄ですよ」


 ランザプログラムはまったく表情を変える事もない。兄を威張る道具に使う事もなければ、けっして無関係な存在であるとも言わない。

 淡々と自分のことをしつつ、兄の事をちゃんと評価し、そしてぼくへの必要そうな情報もよこす。


「帰国はいつだっけ」

「今月の中頃です。それで問題がなければジャパンカップと有馬記念を使って引退となるようです。このふたつを勝てばヒガシノゲンブさんに並べますからね、あのヒガシノゲンブさんに」



 GⅠ五勝、まったくケタが違う話だ。一勝だけでも永遠に名が残るのがGⅠなのにそれを五勝、そんな事をすればそれこそその名前は世界中に広まる。


 夏ごろから、ヒガシノゲンブが来年にも殿堂入りすると言う噂話が上がっていた。殿堂入りと言うのは抜群の競走成績を上げた馬の名前を永遠に評価するための特別に残すという事だ。引退後一年以上経たねば審査の対象にはならないけど、逆に言えばほどなくして対象になるという事でもある。かつてのヒガシノゲンブに火を点けたのは誰だと言う事件とは違い、プラスの噂であるためか誰も罪悪感を持つことなく好き勝手に言いふらしていた。まあ凱旋門賞などと言う日本競馬界の悲願を達成したような存在だ、まず間違いないだろう。その存在がいかに子どもっぽく泣きじゃくっていたかだなんて知っていて何になると言うのか、はるか遠く雲の上の存在を自分と同じ高さまで引きずり下ろす意味は何なのか。


「ヒガシノゲンブに並ぶ、かぁ」

「あなただってできますよ」

「可能性は……あるよね」


 ヒガシノゲンブとワンダープログラムが特別な存在なのは分かり切ってるけど、ぼくにとってはまた違う意味で特別だった。同じ高さの目線でいられる存在だった。それと同じ事ができるのか、できると言うのか。

 古馬にもなって一勝もできないくせに俺はGⅠを勝つだなんて言うような奴は、世間の大半の馬から笑われる。笑えないのは、かつて四歳五月に初勝利を挙げてからGⅠを勝った馬を知っている存在だけ。博識そうなランザプログラムがそのダイユウサクと言う存在を知らない訳でもないだろうけど、その存在がぼくに何をもたらすと言うのか。答えを求めなかったぼくに、ランザプログラムもこれ以上何も言わなかった。







 検疫やその他で手間がかかったとか言う理由で、ワンダープログラムの帰厩は予定より遅れ、秋の天皇賞の週になった。


「やあココロノダイチ」

「ワンダープログラム」

「凱旋門賞は残念だったよ、でもまだあと二戦、頑張ってみせるからさ」

「ああ、ぼくも負けないからさ」


 我ながらここまでと思うぐらいひどい棒読みだ。帰国して厩舎に戻るや一番に声をかけてくれたワンダープログラムを、ぼくは初っ端から目一杯裏切っていた。

 何が負けないだ、一年以上負けて来たくせに。ワンダープログラムとぼくがこの一年で何をなしたか、その事は誰もが知っている。自分が急に厚顔無恥なナルシストに思え、その数十倍の羞恥心が覆いかぶさった。GⅠの一つも勝たずに何様のつもりか!


 羞恥心はぼくの気力をそぎ落とし、ウソをつく事を覚えさせていく。そのウソは重たい負担重量になって更にやる気をむしり取って行く。残ったのは、ただの張り子の馬でしかない。







 その張り子の肉体を引きずりながら、ぼくは京都競馬場までやって来た、たかだかGⅢのために。

 レースの前だと言うのに、ここまでやる気が湧かなかったのも初めてだった。馬運車から降りてただただ適当に歩き、マイナス十二キロと言われて戸柱さんが驚きの声を上げても何の反応もしなかった。面倒くさいから。


「おいシャキッとしろ!」


 適当にパドックに入り、適当に返し馬をして、適当にゲートを出た。戸柱さんの言葉なんか耳に入らないかのように、やる気なんか出さないで走った。

 一応、鞭が飛べばそれなりの反応はした。前に誰もいない事に気が付いても、ああまた後ろから差し返して来る奴がいないとも限らないからなと言う事を考えもせず、ただただ漫然と走った。




 それなのに。


「ココロノダイチ復活、去年のシリウスステークス以来の勝利です!」







 何にもうれしくない。一年一ヵ月ぶりの勝利だと言うのに。


 復活だって?ぼく自身あのシリウスステークスと何かが変わったと言う自覚はなかった。ただあの時と同じように走り、その結果こうなっただけ。

 何が変わった?枠順か?馬場か?いいや違う、相手だ。

 シリウスステークスと同じ馬番、同じ良馬場。京都に比べ阪神は前残りがしにくいけど去年ぼくは同じように前残りして勝った。そんな事が今回できたのは相手が弱いからだ。


 シリウスステークスの重賞勝ち馬がぼくを含め十八頭中七頭、一方みやこステークスの重賞勝ち馬はぼくを含めて三頭、格上挑戦して来た馬までいたぐらいだ。JBCもさることながら翌週似たような条件の武蔵野ステークスと言うレースに回る馬もいると言う事が大きいのだろう、このレースはあくまでもそういうレースなのだ。


「何をやっているんです?」

「ランザプログラム?」

「一勝は一勝でしょう、もう少し喜ぶ姿勢を見せて下さい」

「やったやった、勝った勝ったー!」


 ランザプログラムの無茶ぶりに応えてやったのは、勝った喜びを表したいからでも大人の余裕でもない。ただの自己満足だ。その自己満足で笑ってくれるのならば安い物でもあるが、実際にランザプログラムは笑ってくれた。


「あのなあランザプログラム」

「ソウヨウアイドルさんは再来週GⅠなんでしょう?その事に集中してください、私だってこの前のレースでやらかしてしまって再来週の自己条件を取らねばなりませんから、その時はご同道させてもらいますので」

「そうかい」

「ああ申し遅れましたがサマーマイルシリーズチャンピオンおめでとうございます」

「前走やっちゃってねえ」

「でもそれは東京競馬場だったからでしょう、京都ならば大丈夫ですよ」


 目が笑っていないとかよく言うけれど、今のランザプログラムは逆に目だけが笑っていた。口調と字面だけは棒読みのおべんちゃらを並べ立てているけど、それがどうしてもおべんちゃらに聞こえて来ない。ソウヨウアイドルが苦笑いを浮かべているのは、たぶん同じ事を考えているからだろう。




 もっともそれで、気分が本当に浮かれ上がる訳でもない。グランデザートは武蔵野ステークスを、重賞初挑戦にして軽々と勝ってしまった。依然として、勢いがあるのはあちらなのだ。


「グランデザートは地方には向かなそうだからチャンピオンズカップは使うけど東京大賞典は回避、東海ステークスからフェブラリー。それでココロノダイチは現時点だと地方の方がよさそうだからチャンピオンズカップは回避。東京大賞典から川崎記念だな、フェブラリーはその二戦次第かな……」



 で、ぼくはチャンピオンズカップには出ないと言う。

 何の驚きもありゃしない。驚く事すらできなくなった。

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