4歳12月~5歳2月 東京大賞典、川崎記念、フェブラリーステークス
「で次は東京大賞典だけど、夜にやるんでしょ」
「たいていの馬は初経験だ」
「だよねー」
ワンダープログラムに次のレースについて話すと、ニコニコしながら首を縦に振っていた。すっかりいい意味でのおぼっちゃんぶりを見せつけている彼を見ていると、いずれGⅠなんて勝てるんだろうと言う気分になって来る。
「有馬記念に東京大賞典かぁ」
「ああユアアクトレス」
「中日新聞杯であんたの仇取ってあげるから」
「楽しみにしてるよ、次はワンダープログラムで最後がぼくと」
「ああはいはい」
ユアアクトレスもいる。彼女だって紛れもない重賞二勝馬だ、その気になればGⅢぐらいどうとでもなるだろう。舌もよく回る。
思えば、ユアアクトレスがGⅡを勝った時ぼくはまだ未勝利馬だった。ワンダープログラムはGⅠこそ手が届かなったがずっと輝きっぱなしだ。こうして三頭で仲良く話をする機会など一度もなかった。ヒガシノゲンブもまたあのダービー以来まったく遠い関係になり、ぼくだけがかろうじてヒガシノゲンブとワンダープログラムの間に入れていたけど、三頭揃ってなんて事はなかった。
ほどなく五歳になる同士、子どもっぽく笑い合えた。これが一時の仲良し子良しに過ぎない事、そしてそれが絶対的な特効薬でない事もぼくらは既に知っている。ヒガシノゲンブがここにいたらもっと楽しいかもしれないし、それなりに話題にもなっただろう。
でも現実はそんなに簡単な話でもなく、まずユアアクトレスは牡馬相手の中日新聞杯で先行を図るが中京の直線と坂に捕まり十三着に終わった。
続いて有馬記念、ワンダープログラムは一番人気だった。そして天皇賞と同じように追い込みをかけたが前を行く馬にスローペースに落とされてしまい、半馬身届かなかった。
「直線から本気を出す展開で行ったら三着にも入れなかったと思うよ、来年には一着でゴールできるようにするだけだけどね、来年はね!キミも同じ思いをしないようにな」
ワンダープログラムは口ばっかりで笑っていた。昔に比べれば実に分かりやすい存在になったなと釣られるように内心で半笑いしたけど、最後の一言にワンダープログラムらしさをかもし出してくれて少し安堵した。
そしてぼくの東京大賞典だ。大井競馬場の照明は力強く客席を照らし、主役であるはずのぼくらに変なジェラシーを掻き立てさせる。ここにいる馬はいつもこんな所で戦っているのかと思うと、素直に尊敬するしかない。でも眠いとは思わない。夜のレースは勝手が違うとか言うけれど、何せ大井競馬場自体が初めてだから勝手も何もない。
で、負けた。JBCクラシック、チャンピオンズカップでは先着した馬に敗れて二着。一馬身届かなかった。
「前進したのかなあ」
「したんじゃないの?」
「ワンダープログラムは」
「しばらく放牧だって。年が明け次第牧場に帰って、フェブラリーステークスぐらいには帰って来るそうよ」
まだ来年がある。そのためにぼくもワンダープログラムも動いている。そう思うと年の瀬の敗北も味が良かった。去年の年末は二勝クラスだった馬だ。大晦日の夜空は気温一℃と言う天気予報がでたらめであるかのように温かく、そして広くて明るかった。
で、年明けの一戦目は川崎記念。新年最初のGⅠ級レース。
年が明けて五歳になった訳だけれど、正直な話大した感慨もない。あるいはレースを走ればその気になるかもしれないのだろうとか思いながら、ぼくはこれまでと同じように調教を流した。
「ほんっと変わらないのね」
「まあね」
「ソウヨウアイドルだってクラシックに挑むのよ。まああの仔の場合どうせ短距離路線でしょうけど」
「そうかあ、その分野もあるんだね」
「二勝目はダートだったのよ」
「その時はその時だろ」
ユアアクトレスとも親しくおしゃべりしながら、次の事を考える。ソウヨウアイドルってのはぼくが半年前に北海道へ行った時一緒に追い切りをした三歳馬だ。朝日杯フューチュリティステークスこそ十着だったけど、早い段階で二勝を挙げマイルまでならばそれなり以上に期待できると言われている素材だ。もし彼が自分の脅威になるのならば遠慮なくはたきおとすまでの話だ。ぼくにとっては毎回大半が未知の相手である以上、自分なりに走るしかない。
川崎記念の舞台である川崎競馬場も、やっぱり初めてだ。盛岡から中京、大井から川崎。そしてこの後は東京。日本中を引きずり回されているだけとも言えるかもしれないけれど、それもまたぼくらの運命なんだろう。
どこか同じようでどこか違うこの場所。対戦相手もまた同じだったり違ったりする。年上もいれば、同い年もいるし、年下もいる。追い越されるかもしれないし追い越すかもしれない。そんなのはいつものレースと同じだ。
結果はと言うとまたもや銀メダル、しかも今度は三馬身差。そしてやっぱり、ため息は出なかった。
続いてやって来た最後の舞台であるはずのフェブラリーステークスに、東京大賞典及び川崎記念でぼくを負かした相手の名前はなかった。拍子抜けと言う訳ではなかったものの、どこかすっきりしない。
「調子はピークの八五%ぐらいですね。あとは内枠が当たれば良かったんですけどね」
浅野先生の言う通りだ。ぼくはしょせんデビューから芝を使われて二戦連続シンガリに負けたような馬だ、芝の量の少ない内枠の方がいい。これまで東京ダートは三回走っているが未勝利戦の時は三番、二年半前の二勝クラスは二番、格上げ初戦のオアシスステークスは六番であったからこそそれなりの着順を上げる事ができたと思っている。
「よりによって一番かよと言いたくなりますね、芝でも勝ち鞍がありますし基本的に追い込み馬なのでこの枠順はねえ」
こんな事を言う騎手の人もいた。十四番のぼくと取り換えてもらいたいとか言うのはわがままなんだろう。ワンダープログラムならば、そうかそう来たかとだけ言ってゲートに入るはずだ。ぼくが駄々をこねてどうしようと言うんだろうか。厩舎に帰って来たワンダープログラムは、血筋にふさわしい笑顔を浮かべていた。
五歳になって王子様かよって言うケチを吹き飛ばす程度には、ワンダープログラムは王子様だ。その王子様のやわらかい笑顔を見ていると、枠順の違いなどどうでもいいと思える。
「なあココロノダイチ」
「キミはどこから行くんだい」
「阪神大賞典だよ。そこから天皇賞と宝塚記念、そこでうまく行けば次は凱旋門賞かもね」
「ひゃーすごいね」
「しょせんヒガシノゲンブの後追いだよ、しかも一年遅れのね。まあそれでも勝っちゃえば同格ぐらいにはなれるかなっと」
「応援するよ」
「ありがとうね」
かつてのしがらみに囚われた姿はもうどこにもなく、ただただ良血馬にふさわしい振る舞いをしている。かつていばりん坊と呼んでいたヒガシノゲンブにこの姿を見せたらどう思うか、そう考えると足は軽くなるばかりだった。
「で、また負けたのかい」
「ああ……」
「どうしたんだよ」
「別に何も……」
何も言えない。この五連戦で最低の五着と言う着順を見れば、猛省すべきかもしれない。
だがタイム差はと言うと、わずか〇.二秒差。東京大賞典と同じで、川崎記念よりも小さい。
悔しさを感じたわけではない。勝てなくて悲しいと思ったわけでもない。あまりにも淡々と時が過ぎたように気がするだけなのだ。
「まさかと思うけどヒガシノゲンブに」
「冗談はやめろよ」
「ハハハハ」
こんな事を言える程度には、余裕があった。
GⅠ級レースを五連戦もしたのに、ひとつも勝てなかった。それなのに、疲労感がなかった。ただひたすらに、気持ちが良かった。
自分としては、ものすごく満足だった。
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