4歳10月 シリウスステークス・凱旋門賞
「しぶといレースだったね」
あのぼくたちしか知らなかったらしい大号泣事件の翌週、ぼくはダートの重賞を勝った。二番人気と言うのにはちょっと驚いたけど、それでもそれなりの成果を出して見せたのは間違いない。
「これで次はJBCクラシック、つまりGⅠ級レースかもしれない。万が一君が秋の天皇賞を勝てず、ぼくがそれを勝とう物なら君はもう完全に負け犬だぞ」
「ハハハ……」
切羽詰まった所はあるけど、重たさはない。
こんなに笑えるんだって思えるぐらいには、ワンダープログラムは変わっていた。
たった一週間でここまで変われるんだって思えるぐらいには、ワンダープログラムは大物だった。
ぼくが本当にJBCクラシックを勝った際には負け犬呼ばわりされてもしょうがないかと言う程度の度量があるように思えるぐらいには、ワンダープログラムは余裕を持てるようになっていた。
このワンダープログラムをナンダカイケソウが見たら、あるいはまた口が滑っちまったかと嘆くかもしれない。阪神競馬場でぼくより前にレースに出て、一年半ぶりに勝利を挙げた後彼はぼくにすり寄り、ヒガシノゲンブは大人になったけどワンダープログラムはやっぱりお子ちゃまだと放言していた。
無理もない話だ、結局のところナンダカイケソウはぼくやワンダープログラムとは厩舎が違う。と言うか、栗東と美浦では同じ競馬場にいない限り会える物じゃない。
このワンダープログラムを知っているのは、今の所ぼくらぐらいの物だ。それでもナンダカイケソウを責めるのは、正直無礼を通り越して気の毒だろう。
唯一責める資格があるとすれば、彼だけだろう。ぼくがちっぽけな栄光を掴んでから三日後に、競走馬を通り越して化け物となった彼――。
そう、ヒガシノゲンブと言う名前の化け物は、フランスで行われた凱旋門賞のゴールを一番にくぐった。
テレビ越しに映ったヒガシノゲンブの目は、むやみやたらに輝いていた。四方八方どころか十六方三十二方に向かってその力を示し、自分の勝利を示している。
また口からあの笑い声を出して、全てを飲み込んでしまったのかどうかはわからない。
しかしそうであろうがなかろうが、ヒガシノゲンブと言う存在は既に世界誰もが知る名前になった。ワンダープログラムごときとケンカをする必要はどこにもない。
もしこれまでずっと続いて来たあの笑い声がワンダープログラムに向けた攻撃であり反抗だって言うのならば、ダービーや菊花賞はまだともかく宝塚記念まで続いたのはなぜなのか。
テレビに出て来るのは、ナレーションや浅野先生、それから戸柱さんのへのインタビューばかり。ヒガシノゲンブが何を言っていたのかまでは具体的にはわからなかった。でも多分、また笑っていたのだろう。それをあの舞台に集まっていた馬たちがどう捉えたのかはわからない。
フランスで何があったのか。思いっきり神経を逆撫でされるような何かがあったのか、それとも極めてフレンドリーに接してくれたのか。あるいはちゃんとライバル視してくれたのか。
しかしそんな事は、この結果の前では枝葉末節だった。ヒガシノゲンブと言う存在が、ただ最高の結果を出したという事。それだけが事実であり、重要だったのだから。
競馬界を通り越して日本の英雄と化したその存在の事を、しかしぼくはよく知っている。その存在が、どこまでも普通の馬であり、かつては泣き虫と呼ばれるほどに情けないお子ちゃまな馬だった事を。
そんなただのお子ちゃまを変えたのは、浅野先生でも戸柱さんでもワンダープログラムでもなく、彼自身だという事も。
――だから、突然飛び込んで来たこんなニュースにも心を乱す事はなかった。
「ヒガシノゲンブ号、屈腱炎により引退」
残念ではあったけど、別に驚く気はない。あれほどの走りをやってれば脚がおかしくならない方が不思議だ。たった二度の二けた着順の大敗と、それ以外のレースの圧勝ぶり。彼はもう、競馬界の英雄どころかこの国の英雄になっている。まだ十月だってのに年度代表馬も確定らしい。日本産馬として初の快挙だから当たり前だろう。
そして、やはり浅野先生と滝原さんは正しかったのだ。本来なら、宝塚記念と凱旋門賞の間に何かレースを使う物なのだがヒガシノゲンブはそうしなかった、脚への負担が大きくどうしてもできなかったらしい。
それでも勝ってしまうのがヒガシノゲンブなのである。もうぼくらがどうこうできる範囲の存在ではなかった。
「ハハハハハハ……どうだ、ひざまずけよ!オレにひざまずけよ!」
そして彼は、ある意味予想を全く裏切らなかった。引退会見の際にまたあの高笑いを上げ、馬にとって無理な相談を突き付ける。その顔はダービーの時と全く変わっていない。
結局ヒガシノゲンブは、最後の最後までお子ちゃまのまんまだった。だがそのお子ちゃまを、ぼくたちはついに実力をもって引きずりおろす事はできなかった。
このお子ちゃまを英雄にしたのは、お子ちゃま自身の力でしかない。弱肉強食、優勝劣敗、そして適者生存がサラブレッドって世界の原則であり、それをずっと繰り返して来た結果三大始祖と呼ばれるまでに血統は絞られて来た。
冷静だとか短気だとか、そんなのはおまけでしかない。速い馬、強い馬。それが一番偉いのだ。お子ちゃまの顔を見せつつ、その実は大人のように強くて芯が通っている。
かつてのワンダープログラムと、真逆だった。
「残念だったね」
「定型句は要らねえよ、よくやったじゃんかそっちこそ。次はどうなるか知らないけどダート路線ってのは競走寿命が長いってよく聞くからな、ゆっくりやれよ」
厩舎に戻って来たヒガシノゲンブは四ヶ月前、いや一年前と変わらない笑顔でぼくに声をかけてくれた。そこには暴れ馬の姿もなければ、英雄の姿もない。あくまでもサラブレッドであり、ただの馬だ。
「でも本当に未練はないの」
「ああねえよ、俺にはもう。浅野先生にも戸柱さんにも世話になったしな、次は俺の仔を面倒見てくれってだけ言ってやりたいけどな。まあ、あるいは俺の仔が二人を阻みに来るかもしれねえけど」
「でもまだ他に秋の」
「屈腱炎って奴を知らねえ訳じゃねえだろ、あれはもうどうにもならねえ。骨折だったらまだあがきもしたかもしれねえけどな」
ヒガシノゲンブはぼくと一緒にいる間は、ただの優しい仲間に過ぎなかった。どこで聞き付けたのかぼくの重賞勝利を持ち出して親身になってくれる、友達と言ってもいい間柄だった。
しかし、もうその時間は来ない。ほどなくヒガシノゲンブは正式に引退しこの厩舎を去って行く。
「ワンダープログラムはどうした?あいつはまだエリート様のつもりか?」
「少しは変わったよ」
「ああそうかい、俺は先生の意向で引退式はしねえ事になった。何せこの脚だからな、もう負担をかけるなって事なんだろう。なあに、別に悔しかねえよ」
「とにかく無事に競走生活を終えてくれて何よりだった。あとはゆっくり休んで、種牡馬として何とかして欲しい」
浅野先生はヒガシノゲンブの引退に際してこう言い残している。
結局ヒガシノゲンブは最後の最後まで、浅野先生の心を和ませる存在にはなれなかったと言う訳だ。名馬だからこそ大事に扱わねばならないからと言う理屈はおそらく通らない存在、だからこそここまで行けたのかもしれない。
同じ境地にたどり着ける存在は一体何年後に出るのかわからない存在とここまで同じくできたことは、それこそ一生モノの自慢の種だ。
「どうせあいつは天皇賞の事しか考えてねえだろ」
「でもないよ」
「ならよ、ちょうど天皇賞の次の日がここからおさらばする日だ。それまで我慢しておいてやるか」
「よかったら追い切りでも見に来る?」
「冗談はよせよ、この脚だぜ」
動けた所で行くのかどうかはわからないけど、その言葉がワンダープログラムを決して見下している訳じゃない事を知ったぼくはとりあえず安心した。その安心が伝染したのか、ヒガシノゲンブも少し笑った。
そして、彼も笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます