4歳9月 吠えるべき時-1

「ぶち壊すって、立派にするって事?」

「はあ?」




 ダービーの前日、ワンダープログラムは自分なりの決意をヒガシノゲンブに述べた。その結果ヒガシノゲンブは激昂し、あんな馬になってしまった――――と言う事らしい。

 で、その責任の何%ぐらいが、ワンダープログラムに帰せられるべき物なんだろうか。


 ダービーのすぐ後戦犯にされたのはダービーの前にヒガシノゲンブを面罵したユアアクトレスであり、そのしばらく後に標的にされたのは皐月賞の直後にヒガシノゲンブをあざ笑ったナンダカイケソウだった。そのナンダカイケソウもまた違うのではないかと言う考えが広まってからはなんとなくその話も立ち消えになり、再び湧き上がる事もないと思っていた。


 でも天皇賞の辺りから、またこの話が浮かび上がって来た。浅野先生と滝原さんが封じ込めようとした魔物をかつて呼び起こしたのは誰なのか、誰も彼も懲りもしないで戦犯探しを始めた。ぼくだって心当たりはないのかあちらこちらで聞かれ、そして思い当たる節はないと繰り返しては首をひねられ続けた。そして今ではどうやらきさらぎ賞で負けた馬や皐月賞でヒガシノゲンブに先着を許した馬たちが下手人になっている感じだが、いずれにせよまったく不毛な話だ。





 そして、どれだけ話がこじれたとしてもワンダープログラムの名前が出る事はなかった。



 ――最大の被害者と言っても差し支えない存在なのに。

 ――菊花賞の後あんなに激しくヒガシノゲンブにからまれていたのに。

 ――あの四つのGⅠすべてでヒガシノゲンブに痛い目を見せられていた、つまりヒガシノゲンブのある種のターゲットであったはずの存在なのに。



「つまんないんだよ」

「つまらない?」



 ワンダープログラムには、ある種の信用があった。真面目で競走に真摯で無駄な事は一歳行わないし言おうともしない。声を荒げるとすれば自分の不甲斐なさだけ、決して人のせいにしようとしない。サラブレッドのお手本だ。


 でも、それだけだった。


「ぼくだっていろんな事を考えるよ、他の馬が何をどうしているのか、あの空の上の雲はどこに行くのかとか。ぼくはこれから阪神競馬場に行く事になっている。その競馬場から見られる風景とか、いろんな人たちとか、何に出会えるのかすごく楽しみだ。君はそれらの事を邪魔だと思うかい?」

「着順を上げるにはリラックスする事は重要だと」

「ほらそれだ、それがいけないんだよ」



 ワンダープログラムから出て来る言葉は、いつも同じだった。もう二年以上一緒にいるのに、少なくとも皐月賞の後から今までの一年五ヶ月の間彼は何も変わっていない。変わってないのに勝てる訳がない。その事が分からないはずがないのになぜ続けるのか。


「ぼくだって毎回君のレースを見ている訳じゃないし、そしてぼくだって同じ時期からあまり変わっていないつもりだ。前に行き、そしてそのまんま抜け出す。それだけだ。でもそれでもぼくは場合によってはいきなり先頭に立つとか、真ん中ぐらいに下がるとかいろいろやっている。まあ、結局戸柱さん次第なんだけどね」

「僕だって滝原さんの言う通りにしているだけだ」

「滝原さんはこの連敗を何だと思ってるの?悔しがってるんでしょ?」


 一度や二度じゃない、有馬記念やドバイ遠征の時も含めれば六度になる。その都度その都度、滝原さんは敗北の悔しさを込めたコメントを残しているはずだ。そうでなければ滝原さんが一流騎手の名をほしいままにできるはずがなかった。


「滝原さんにも言われたよ、天皇賞の後。でも僕は」

「他のやり方じゃダメだって言う確信でもあるの」

「ないよ。でもそうやって勝った場合、ヒガシノゲンブはどう思うだろうか。いやそれ以上に、そんな逃げるような行いをするだなんて僕自身が許せない」


 宝塚記念の時も、ワンダープログラムは中団に構え抜け出そうとした。そして敵わなかった。でも戸柱さんが言うには、宝塚記念の勝ちタイムはかなり遅かったらしい。

 スローペースは前に行った馬有利ってのはみんな知ってる事だ。それこそ勝つために走ってるんならば、もっと前に行ってしかるべきはずだろう。ヒガシノゲンブが溜めていた力を吐き出してさらに引き離しにかからないと言う保証はどこにもないけれど、それでも少しはましなはずだ。ましてや宝塚記念なんて、春シーズンの締めくくりであり余力を残す必要なんてありゃしないはずなのに。




「もしかして、ダービーと同じやり方にこだわってるのって」

「ああ、オトナの勝ち方を見せなければならないと。彼だけではなくみんなにちゃんとした勝ち方ってのを見せ、そして自分の身体を大切にしてもらいたいと」

「バーカ!」







 他に何の言いようもない。バカなんだから。一年以上、ずーっとヒガシノゲンブの運命を狂わせた責任者が自分だと思い込み、その責任を果たすためにをして立派な所を見せようだなんて!




「ぼくに言わせれば、キミは現在進行形でいばりくさっているよ」

「はあ?」

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