4歳6月 宝塚記念-2
宝塚記念。ぼくはそのレースが行われる阪神競馬場にはいなかった。モニター越しにパドックを見て、レースを見た。
そしてモニターの向こうでは、またいつも通りの光景が繰り広げられていた。
いつも通り、他の馬をあざ笑うかのような大逃げ。捕まえられるもんならば捕まえてみろと言いたげに走っている。
「アッハッハッハッハッハ……!!」
そして結果もいつも通りだった。
その後に上げる高笑いもいつも通りなら、その高笑いに込められた威圧感もいつも通り。
でもそのいつも通りには、不思議なことにマンネリ感はなかった。強弱の問題なのか、それとも勝者に許される権利をただ行使しているだけなのか、それはどうでもいい。とにかく、いつも通りヒガシノゲンブは強かったと言うだけの話だ。
一方で、もうひとつのいつも通りは違っていた。
「何とか言いなさいよ!悔しいなら悔しいって、いやもっと他に何か言うべきことがあるんじゃないの!これで一体何度負けてるのよ、それだってのに今回も同じようにヘラヘラヘラヘラとして!あんたはいつから騙馬になったの!ああちょっと、逃げるんじゃないわよこの負け犬!」
九着に終わったユアアクトレスは、厩舎に戻って来るなりいきなりワンダープログラムに向かって吠え出した。またいつも通りに二着に負けた
ワンダープログラムは何も言わなかった。ヘラヘラなんて言う言葉がまったく似つかわしくない締まった顔をして、ユアアクトレスの愚痴を聞き流している。それがレースに関係があるのかと言いたいんだろう。
あまりにも分かりやすい。分かりやすすぎる。
「って言うかその頭は何のためについてるの!今日もまた中団でボケーっと構えて、それでなんとなーく抜け出しにかかる、そんでヒガシノゲンブには全然追い付けない、同じやり方で何回失敗すれば気が済むの!」
「うるさい!」
「うるさい!?」
「僕には、僕には義務がある、義務が、義務が……!その義務を果たせねばならないんだよ!」
しかしそのわかりやすいはずのワンダープログラムが、いきなり吠え返した。思いもよらない反撃に思わずユアアクトレスがひるんだのにも構う事もなく、さらにワンダープログラムは舌を動かす。
「何の義務だって言うのよ、説明して!一体いつ何時その義務を背負ったって言うの、勝つ事より大切な訳!?」
「その義務を果たしながら勝つ事が何より重要なんだ!僕にはその責任がある!」
「いったい誰が責任を負わせてるって言うの」
「僕だ!」
そしてやたらに、競走とまったく関係なさそうな義務と言う言葉を連発し始めた。
勝つ事、速く走る事を何より優先させるようなワンダープログラムが果たす義務だなんて他にあると言うのか。そう思っているといつも通りの迷いのない口調で、普段のワンダープログラムと違う事を口走った。
そんな恐ろしくアンバランスな姿を見せつけたワンダープログラムに向けてユアアクトレスは大きく首を振って、後頭部を見せつけた。
「…………もういいわ、さよなら!!」
「ヒガシノゲンブに会ったら伝えておいてくれ、僕はまだ責任を果たせてないと」
「知ーらない!」
ユアアクトレスはワンダープログラムの方など絶対見たくないと言わんばかりに歩き出し、ワンダープログラムはいつも通りの仏頂面で彼女の背中を見送った。
おそらくはあのダービー以来、一年以上続いて来ただろうふたりの関係はこれで終わったという事のようだ。
このふたりの関係ってのは、一体何だったんだろう。ぼくだって人間と四年以上一緒にいるから人間の恋愛とか友情とかって事もわかるつもりだった。レースの事しか頭にない仕事中毒のような
この例え方が正しいのかどうかは分からないけど、もしその通りだとすればユアアクトレスが愛想を尽かした理由もわかる気がする。その理由、その根源にある物を満たせなくなったユアアクトレスは、もはやワンダープログラムにその価値を認めなくなったと言う所か。
いずれにせよ、もはやワンダープログラムの存在は薄くなっていた。
またまたまた二着。これまでで一番差は小さいけど、それでも一馬身半差。
同世代の悲劇。ヒガシノゲンブがいなければGⅠ四勝馬。
そんな肩書きをくっつけられるには、差が大きすぎた。
「ええと、誰だっけそいつ?」
ヒガシノゲンブがぼくの伝言に対して返したその言葉は、まったく正しく現実を語ったそれだった。でも今やその言葉は、ヒガシノゲンブとナンダカイケソウだけでなく、ヒガシノゲンブとワンダープログラムにも当てはまるのではないだろうか。
勝つ勝つばかり連呼して、その先にある何かを見せる事もなく義務だの責任だの吠えまくる。その間に大差を付けられたのにまったく改善する節もない。
(いったい何を得たいんだよ!)
ぼくだって見捨てるぞとか言う空いばりその物の言葉を内心で吐きながら、ぼくは飛行機に乗った。
ひと月後、ヒガシノゲンブがそうしたように。
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