第23話 祭りの後

翌朝から、またピートの忙しい日常が始まります。

仕事を休んだ罪悪感を抱えながら向かった職場では、ピートの欠勤の事など拍子抜けする程に誰も気にしておらず、同僚達のロッカールームの話題にも上がりません。烈火の如く怒っているだろうと思っていた局長も、ピートの顔を見ても一言も咎める事なく、仕事の配番を告げると、荷物の山の間を熊みたいな足取りで去って行きました。

大量の荷物を荷台に乗せて、ひんやりとした朝の空気でシャツの裾を膨らませながら走る通りには、役目を終えた提灯や万国旗が垂れ下がり、祭りの熱気の余韻を漂わせます。気だるい朝の光の中を、人々が瞼を擦りながら、それぞれの日常を始めるための準備に追われています。

いつもの街の風景、いつもと同じ顔の人々、昨日のバカ騒ぎが幻であるかのように何一つ変わりません。せいぜい違いがあるとすれば、どこへ行ってもコンテストの話で盛り上がっているというくらいです。

ラジオの放送は人々の想像をかきたてます。

あの歌声の持ち主はいったいどんな娘だろう、年齢は、髪の色は。

皆がそれぞれ自分の理想のベル・グラントを想像して、歌声をはめ込みます。さらに、取材の足りてない憶測ばかりの新聞記事が想像に拍車をかけます。

やれ、どこの国の王族の令嬢だの、一世を風靡した双子の歌手ピーナツ姉妹の娘だの、有名作曲家に才能を見込まれ指導を受けた才女だの、暴走する悪漢と馬に乗って闘った拳法の使い手だの。

誰かがその話題を口にする度に尾びれ背びれがつき、深海に潜んでいる魚みたいに長いヒレを付けたベル像が出来上がっていきます。人々の勝手な噂で膨らみ続けるベル像の風船は、当分の間萎みそうにありません。

盛り上がる同僚達の横を、ピートは否定も肯定もせずに知らない顔で通ります。いちいち訂正を加えなくても、街の人達はすぐにベルを知ることになるからです。

熱唱のステージの後、満場一致でグランプリに選ばれたベルの楽屋には、新時代の歌姫との契約を取るため、レコード会社のスカウトや音楽プロデューサーなどが大挙して押し寄せました。戸惑うベルにペンを握らせ、言葉巧みに契約書にサインさせようとする有象無象の輩を、一睨みで追い返したのはリッテンバーグです。

リッテンバーグは長年付き合いのある、信頼できる業界の人間をベルに紹介し、さらに、ベルのために新しい曲を書く事を約束します。

曲が書き上がり次第レコーディングに入るということで、それまでの間はトニオや仲間達と〝思いで〟でレッスンをするそうです。

「お前も仕事が終わったら顔を出せよ」

ニヤニヤした顔で目配せをするトニオの顔が思い起こされます。

「言われなくても、お前だけに任せておけるか」

皮肉を返すピートも、トニオが何を言いたいかは分かっています。

ピートの自転車が噴水広場を抜けて、ナラの木の公園へと続く路地へと入っていきます。ベル宛てのファンレターを鞄いっぱいに詰めてこの道を通るのも、そう遠くない未来かもしれません。


今朝も星達の間にピンク色の雲が浮かびます。

東の空からやってくる光が教会の屋根を照らす頃、長い坂道の上に立つアパートの影から一人の青年が自転車を押して現れます。

「さぁ、行ってくるよ、リリー。きっと今日も忙しくなるさ」

勢いよく坂道を下りていく後ろ姿を、アパートの四階の窓辺から白いスパティフィラムの花が見送るのです。


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Letters ~郵便配達人の恋~ 多田 洋介 @pokupoku1228

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