第21話 狂乱のコンテスト

音楽堂のメインステージの上では、髪を黒光りする程にてかてかに油で撫でつけた司会者が、困惑気味に眉を寄せ、手の中に隠したメモを盗み見ながら読み上げます。

「えー、お集まり戴いた紳士淑女の皆様、素晴らしい楽曲で彩られた音楽の祭典も、いよいよ次の演奏で最後となります。それでは、お呼びいたしましょう。街角の歌姫、ベル・グラントさん」

司会はコンテストが始まる直前に、リッテンバーグから強引に渡されたメモを一語一句間違いなく読み終えマイクから口を離すと、派手な赤い蝶ネクタイを直しながらリッテンバーグに恨みの視線を送ります。

〝どうだ。これで文句はないだろう。台本にないことを捩じ込みやがって〟

てかてか髪の司会がそう思ったかは分かりませんが、少なくともリッテンバーグにはそう言ったように思えます。リッテンバーグは司会の視線に気づかない振りをしながら舞台袖に目を移しますが、出演者が出てくるはずの舞台袖のカーテンはピクリとも動きません。

出演者がなかなか現れないことに、てかてか髪の司会は手の中のメモをもう一度覗き見て、名前に間違いがないことを確認すると、審査員席に座るリッテンバーグに目を向けます。リッテンバーグは我関せずといった涼しい顔で、てかてか髪の視線をかわしながらも、腹の底を縄で縛られたような気持ちでいます。

〝トニオの奴め。勿体ぶってないで、とっとと出てきやがれ〟

リッテンバーグが心の奥で悪態をついている頃、当のトニオは、進行が滞って困惑する司会と、静まりかえって出演者を待つ客席をカーテンの隙間から覗いていました。

「兄貴ぃ、どうするんだよぉ。ベルがいないのに順番が来ちゃったよ」

トニオの隣で情けない顔のロイが、さらに情けなさそうな声を出します。

「うるせぇ。黙ってろ」

狼狽えるロイを叱責しながらも、トニオの心臓だってはち切れんばかりに鳴っているのです。

〝くそっ、ピートめ。どこで道草喰ってやがる。仲間だって揃ってるのに〟

奥歯を噛みしめながらカーテンの陰から覗く客席が、いつまでも出演者が現れない事にざわつき始めます。呆けた様子で舞台の中央でつっ立っている司会の元に、トニオから向かい側の袖から出てきたスーツ姿の男が近づいて、何かを告げて立ち去ります。

我に返った司会は、てかてか頭と同じくらいてかてかのスーツの襟元を正すと、リッテンバーグを一目睨んでから、作り物のような笑顔に戻し、妙に高い弾けた声で手持ちマイクにしゃべり始めます。

「えー、失礼いたしました。最後の出演者のベル・グラントさんですが、急に体調を崩され出演を取り止めるということでして、今までの出演者の中からグランプリを決定させていただきます」

〝くそっ、間に合わなかたっか〟

審査員席でリッテンバーグが奥歯を強く噛みしめます。

「兄貴ぃ、終わっちゃうよぉ」

カーテンの裏で様子をうかがっていたロイが泣きそうな顔で振り向いた時、トニオが突然カーテンを激しく揺らしてステージに飛び出していきます。

「こうなりゃやけだ。皆ついて来い」

「おおぅ」

仲間達も慌てて、それぞれの楽器を手にトニオに続きます。

舞台の中央に踊り出たトニオは、長い手を伸ばしててかてか頭の司会からマイクを奪い取ると、てかてか頭に負けないくらい調子の良い声を会場中に響かせます。

「はっはー、誰の調子が悪いって。俺なら絶好調だぜ、バンジョーの天才トニオ様の登場だ」

突然現れた珍入者に、ざわついていた聴衆の視線が集中します。

「よぅ、お堅い曲の連続ですっかり瞼が重くなっちまったろ。安心しろ、今から俺様がそのケツを順番に蹴りあげてやるぜ。さぁ、立ち上がれ、手を叩け、足を鳴らせ。パーティーの始まりだ」

そもそも目立ちたがりのトニオです。会場の目が自分に向かっていることに気持ちも高ぶり、製麺機のパスタのようにするすると言葉が出てきます。トニオはステージ上を走りまわりながら客席を盛り上げると、上等な皮を張ったバンジョーを一気にかき鳴らします。

仲間達も心得たもので、バンジョーのリズムにそれぞれの音を合わせていきます。

ロイは舞台袖の近くで、大きな体に大きなコントラバスを抱えて演奏しています。ちゃっかりもののテッドは、いつの間にか演奏者席のドラムセットに座って、陽気なビートを打ち出しています。ロブは観客達に手を叩くように煽りながら、お腹の上のアコーディオンを伸び縮みさせて美しい和音を響かせます。コーラスの三人娘はステージの中央に出て、短めのスカートの裾をなびかせながら息の合ったダンスを踊っています。

聖歌隊のコーラスやソプラノ歌手の歌唱が続いていた会場にトニオ達の底抜けに明るいブルーグラスが流れ出すと、その騒々しい音に眉をひそめる人、口を大きく開けて動かなくなってしまう人が現れます。しかし、それは少数派でした。すぐに会場のあちこちから手拍子が鳴り、床を踏む音が聞こえ出します。この街の人達は往々にして音楽が好きなのです。

「やるじゃないか、あの野郎」

リッテンバーグは興奮を抑えきれず審査員席で大声を上げて、慌てて周囲を見回します。

トニオ達の演奏に客席の手拍子と足拍子が加わって、花火のような音量で会場を揺らします。座席の上に立ち上がって手を打つもの、床を踏み抜けんばかりに蹴り鳴らすもの、通路に出てステップを踏むものまで。厳かに進行していたコンテストは、パーティー会場さながらの盛り上がりを見せ、先刻まで渋い顔をしていた評論家や古参の聴衆達までも、その熱気に推されて体を揺らし始めます。

〝音楽による概念の破壊と創造、これが芸術だ。俺が求めるものはこれなんだ〟

リッテンバーグは、隣でガマガエルみたいに大口を開けている審査員達の顔を眺め、腹の底から込み上げる笑いが抑えきれません。

「そうだ、やれ。こんなカビ臭いコンテストなんざ、ぶち壊しちまえ」

リッテンバーグはもう抑える事なく、大声で叫びます。

「はっはー、熱くなってきたぜ。さぁ、みんな出てこい。騒ぎまくろうぜ」

トニオがステージ上を駆け回りながら客席に呼びかけ、コーラスガール達が踊っている観客を舞台に上げていきます。出番の終わった出演者達も、それぞれの楽器を持ってステージに戻ってきます。決められた楽譜も型通りの台本もありません。ただ純粋に楽しむ為の音楽がそこにあります。

「一体どうなっているんだ。こんなの打ち合わせになかったぞ」

てかてか頭が舞台の端で進行台本をめくり返しながら嘆きます。その横をすり抜けて、数人のスーツ姿の男達が舞台に上がっていきます。

「進行の邪魔よ。今すぐ止めさせなさい」

甲高いヒステリックな声が走ります。こめかみに血管を浮かび上がらせた三角メガネの女史が舞台袖に立って、鬼のような形相で部下の男達に指示を飛ばしています。スーツ姿の男達は、ダンスホールと化したステージに上がって、手持ちマイクで観客達を相手に冗談を飛ばしているトニオを追いかけます。

トニオは舞台に組まれた壇や、演奏隊の間を走り回りながら、迫ってくる男達の手を大袈裟な動きでかわしていきます。長身で見栄えのするトニオが、舞台袖のカーテンや、踊る女性のスカートの下から顔を出す度に、客席から笑いが起きます。

「頑張れ、黒服。そんなんじゃ、このトニオ様の影すら踏めないぜ。蝶のように軽やかに、豹のようにしなやかに。お、君のダンス、最高にセクシーだね。どうせなら君に追いかけられたいね」

踊る観客の間を逃げ回りながらも、トニオはしゃべり続けます。むしろ、客席から笑いが起こる度にトニオの調子は上がって、仕草もより芝居がかったものになります。

「何やっているの、早くあの下品な男を捕まえなさい。これは由緒正しき権威あるコンテストなのよ。誉れ高い音楽の祭典なのよ」

三角メガネが血管をはち切れんばかりに脈打たせて金切り声を上げます。その脈動はトニオが言葉を発する度に強くなっていきます。

「きいぃ、こんなのとても放送出来ないわ。早く、早くマイクの電源を切って」

三角メガネが近くの舞台スタッフのネクタイを締め上げながら、半狂乱に喚き散らします。憐れなスタッフが足をもつらせながら、舞台袖の階段下にある分電盤のスイッチに手をかけたのと、客席を逃げ回っていたトニオが進行係の男達に取り囲まれたのは同じ時です。

会場の照明が一斉に落ちます。

慌てたスタッフが音響と場内照明のスイッチを間違えたからです。

客席で踊っていた観客達も、それぞれ好き勝手に演奏していた楽師たちも何が起きたのか分からず、ピタリと動きを止めます。狂乱の会場内が一瞬で静まりかえります。

それは街中に設置されたスピーカーからの放送を聞いていた人達も同じです。毎年決まりきったような堅苦しい曲を垂れ流していたコンテストの放送が、トニオ達のせいで大衆好みの明るい音楽に変わりました。スピーカーから流れ出す陽気な音楽と、楽しげな会場の雰囲気に街中の人達も釘付けになっていたのです。

その音楽がぷつりと止んで、一体、音楽堂のステージで何が起きたのか、この後どんな事が起こるのか、街中の人間が固唾を飲んで待っています。

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