第12話 原発とコロナ

共通するものは、放射能もコロナも目に見えない恐怖というところか。

新型コロナ感染は日本にとどまらず、世界に拡大し、経済的にも深刻な影響を与えコロナ恐慌になりかねない。復興五輪と称した東京オリンピックの開催が危ぶまれている。


福島原発事故災害で日本は脱原発に舵を取るものと思った。いち早く脱原発を選択したのはドイツであった。今再生自然エネルギー比率は、ドイツは46%、日本は18%。

2018年、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)は「再生可能エネルギーが、現時点で既に最も安価な電力源になっている」との調査結果を発表した。さらに2020年までに発電コストは2017年の半分程度になると予測し、もっとも安い電源になるとしている。

太陽光発電におけるコスト比較では、日独では倍の開きがある。脱炭素社会にも、エネルギー戦略においても後進国なのである。


私の父は田舎から大阪に出て来て小さな商売を始めたが、最初上手く行かず商売替えをした。ともかくダメと思ったらまず店を閉めた。私は子供心に心配して「僕なら次にするものを見っけてから閉めるけどな」と云ったら、「違う、細々とでも食えている。そんな中で考えても中途半端な考えしか湧かん。やめたら必死になって考える。必死になってこそいい知恵なんや」と云ったのを、子供心に甚く沁みこんだ記憶をもつ。原発を考えるときいつもこの言葉が浮かぶ。


『失敗と書いて成長と読む』という色紙を、先日亡くなられた野村克也氏が残している。失敗をチャンスに変えるには、その間に「反省」が入らねばならない。大型クルーズ船、しかも国籍が多岐にわたり3800人もの乗客・乗員を乗せた集団感染、想定外の事態であったことは理解しよう。しかし、それにしてもその対処を評価した外国は一国もない。何か他に手立てはなかったのかという質問に担当大臣は「私たちは粛々と検疫業務を行っただけ」と素っ気なく語り、官房長官は「適切な処置であった」とした。

 これだけ人と物の行き来がグローバル化した現在、水際作戦は最早通用しないことを今回のコロナは証明した。日本は高い医療技術を持つとされてきた。それはクルーズ船の感染者数の割には死亡者数が少ないことで証明される。

むしろ、検査体制を含めた医療体制の危弱さを露呈した。それと危機意識の貧困は目に余るものがあった。


国民生命・安全を守るより、何より沁みついた自らの組織防衛を優先するということが共通項ではないだろうか。感染研は東電、厚労省は経産省と置き換えればいい。政府、官邸(専門家会議を入れてもよい)の危機管理能力は自民も、民主も程度に変わりがない。中央集権の限界が見えて仕方がない。変るべきは国民の発想なのかもしれない。


*あの福島原発事故を、海に流され、海の人となってしまった立場からファンタジックに描いた、私として書いた物の中で残したたいものの一番である。

このカクヨムにも投稿している。『切り取られた日付の町』で検索。

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