三十四匹目 十二不思議『夢鏡』と『雲隠れの忍者』 その⑧
臥水明が守っているという『本』の存在を知った時、洋善の脳裏を過ったのは、かつて『オニキス・クローゼット』が羊野ねむりから奪った『視力の本』だった。
仮にそれでなくとも、『オニキス・クローゼット』の能力を前提に考えれば、地下の書庫になんらかの意志や力が具現化した本があると考えるのが自然である──そんな考察を進めながら、洋善は地下へと続く分厚い金属製の扉に『ウール・チェイン』をぶつけた。
火事が起きれば火を通さず、洪水が起きても浸水を許さないように設計されているそれは、音速を超えた羊の群れの猛進を受けて吹っ飛んだ。分厚い金属板はそのまま階段を落ち、遥か階下で騒々しい落下音を響かせる。これで書庫にいる明は侵入者の存在に気が付いただろう。
「いや、元より教えるつもり──威圧のつもりでやったのか。余程自分の力に自信があるようだな。傲慢な屑め」
幼女の声が再び聞こえる。
洋善はそれを無視して階段を降りた。先行していた扉を踏んで、地下に降り立つ。
地下室には地上よりも遥かに多くの本棚が並んでいる。その最奥に軍服姿の女がいた。女は右手に虹色の意志を、そして左手に一冊の本を握っていた。
「おや、間に合ってしまったか。大人しく我が『ビットウィーン・P&F』で理想郷に送られていればいいものの……中々いい夢だったろう?」
「黙れ。お前は絶対に殺す」
「おお、怖い怖い」
明の煽るような言動に対し、洋善が返したのは言葉ではなく一匹の羊だった。
彼我の間に障害物はない。このままでは羊は難なく明の体の中心を撃ち抜くだろう。
だが、絶体絶命のピンチだというのに、明の顔には相変わらず余裕じみた表情が浮かんでいた。
「別世界の積識珠緒を呼び出したことが逆鱗に触れたというのなら詫びよう──代わりにこれはいかがかな?」
明の台詞と同時に、人影が急に現れた。
迫りくる羊から明を庇うように出現したそれは、マッハを超える速度で走行する羊をあっさりと受け止める。
いったい何者か? ──そんな芸当を可能とするものは、ひとりしかいない。
「ねむりさん……っ!」
『春眠』の英雄・羊野ねむり。
コスモチュームに身を包んでいる彼女は、はっきりと開かれた両目で洋善を見据えていた。
「『ビットウィーン・P&F』──『もしも』の世界から全盛期の羊野ねむりを呼び出した。目は見えるし、『ウールウール』だって十全に使える。しかも、おあつらえ向きに『羊野ねむりと遅達洋善が敵対していたら』という『もしも』のおまけつきだ」
なんて都合のいい設定の羊野ねむりなんだ、と突っ込みたくなるが、そもそも都合がいいのが『もしも』なのである。常識や現実なんてものを無視できる無限の可能性が、そこにはあるのだ。
ねむりは受け止めていた羊を握る潰すと、足裏を膨張させ、その反発力で洋善目掛けて飛び掛かった。
「特別な力を何一つ持っていなかった別世界の積識珠緒を倒す時ですら尋常ではない覚悟を要されたはずだが、この羊野ねむりを相手に、そんなことで悩んでいる暇はないぞ。まあ、悩まなかったところで、勝てるかどうかは別問題なのだがね」
明が言う通り、全盛期の力を思いのままにしているねむりの動きは、洋善が操る羊でも後手に回らざるを得ないほどのスピードだった。
「うおおおおおおおッ!! 『ウール・チェイン』ッ!!」
自分を基点に羊の群れを拡散させる。まるで手榴弾の如き破壊力だ。巻き込まれた周囲の本棚は倒れていき、埃が立ち上る。しかしねむりは、その攻撃を簡単に回避してみせた。明の方向に飛んで行った羊を叩き起こす余裕があったくらいである。
ねむりは呆れたような顔で口を開いた。
「酷い攻撃。ただ闇雲にあばれるだけなら、赤ん坊にだってできる──そろそろ羊を数える時間だよ」
そう言うと、夢幻の死神は埃が舞う地下室を疾走し、洋善に向かって貫手を放った。宇宙夢の力で最大限まで強化されたそれは、肉体を貫通する。明らかに致命傷だ──しかし。
「…………?」
手ごたえのなさに、ねむりは疑問符を浮かべた。
まるで雲を貫いたかのような手触りだ。
「いや、違う。これは本当に雲だ。雲で出来た偽物ッ!!」
「『アルトキュームラス』──日辻さんが残った力を振り絞って渡してくれた雲で分身を作りました。そして、その雲の役割はそれだけでは終わりません」
どこかから洋善の声がすると同時に、雲の分身が光を帯びた。ねむりは慌てて後ろに飛ぼうとしたが、もう遅い。
電撃の速度を上回って移動できる生命が、果たしてこの世にいるだろうか? ──雲の分身から発生した稲光をゼロ距離で浴びたねむりは、一瞬にして丸焦げになった。いくつかの血管は電圧に耐え切れず、破裂している。宇宙夢エネルギーを全て消費した雲は、空気中に消滅した。
「ほう、あの忍者から奥の手を渡されていたか。見事な作戦だと言えよう──しかし」
全てを観戦していた明は、余裕を崩さないまま言った。
「おまえも知らないわけではないだろう、羊野ねむりの宇宙夢『ウールウール』の真骨頂を」
明がそう言う頃、ねむりはとっくに全身真っ黒になっていた体を脱ぎ捨て、元の五体満足な健康体に戻っていた。
どこかの本棚の影からそれを見ていた洋善は、ゴクリと唾を呑んだ。
ウール・オーシャン 女良 息子 @Son_of_Kanade
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