三十一匹目 十二不思議『夢鏡』と『雲隠れの忍者』 その⑤

「図書館に着く前に簡単にではあるが拙者の宇宙夢『アルトキュームラス』の説明をしておくでござる」

「さっき使った場面を思い返した感じ、『体を雲に変える宇宙夢』ですかね?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言えるでござる」

「?」


 いまいちピンと来ていない洋善が首を傾げていると、日辻は右腕を雲に変化させた。

 

「たしかに、拙者の『アルトキュームラス』は体を雲に変化させる自己強化系の宇宙夢でござる──だが、この能力の本質はそれだけではない」


 すると、雲に変化した日辻の腕から水滴が落ちた。

 最初はぽつりぽつりと点滴程度のペースで落ちていたそれは、数秒後にはシャワーくらいまでに量を増やした。

 

「雨……!」

「如何にも。そして──」


 雨を流し続ける右腕の中心部分で何かが光った。

 次の瞬間、電流が迸り、落雷が発生した。莫大な光と共に放たれた雷撃のエネルギーは凄まじく、それが直撃した地面は焼け焦げてしまっている。


「雷遁・『武御雷タケミカヅチ』──雲隠忍法と宇宙夢のハイブリッドにより実現した術でござる」

「す、すごい……! 『アルトキュームラス』の真価は雲化した肉体を基点とする天候の発現にあったんですね!」


 一瞬「忍法と宇宙夢のハイブリッドと言ってるけど、宇宙夢の比率が大きすぎないか?」「そもそも雲隠忍法って何?」と思った洋善だが、いらぬ突っ込みだと判断し、黙っておくことにした。

 見たところ、日辻の年齢は十代前半。妄想が色々と盛んになるお年頃だ。そんな時に宇宙夢などという青少年の妄想にピッタリな異能を授かれば、ちょっと色々拗らせもするだろう。

 そういう目でもう一度日辻の服装を見てみると、眼帯という意味ありげなアイテムもファッションのひとつにしか見えない。

 とはいえ、それは別に批難すべきことではない。だって、その病は誰だって罹るハシカみたいなものなのだから。

 普通人である洋善も中学二年生の頃には──頭痛を感じた洋善はそれ以上記憶を遡るのをやめた。†黒き棺のアイソレーション†だった頃の後遺症か?


「もちろん、これ以外にも『アルトキュームラス』で引き起こせる気象は多岐に渡るでござる。拙者と共に任務に当たる際には、隣に大空がいるつもりでいてくだされ」


 胸を張る日辻だった。洋善より若くて小柄なのに──初対面の相手からバレー部と思われ続けてきたほどに身長が高い洋善にとって、同年代の人間でもその殆どが自分より小柄に見えるのだけれども──随分と頼りになる。 

 さて。

 洋善と日辻のコンビがK市立図書館に到着した頃、空の頂点に達した太陽がやや傾きかけていた。普段なら来館者の姿がそこそこ見られる時間帯のはずである──しかし。


「あれ?」


 硝子造りの正面入口から伺える館内に、人の姿は見られない。すわ定休日かと思ったが、入口横の掲示板に張られていた開館予定表にそのようなスケジュールは記されていなかった。それに、駐車場に目を向ければ、来館者や職員の物と思われる車がずらりと並んでいる。

 どうやら敵の攻撃は既に始まっているらしい。それが『星屑十二字軍スターダスト・クルセイザーズ』の攻撃か、『十二不思議』の攻撃かは不明だが。

 

「まずは隠密行動に長けた拙者が中へ先に入るでござる。十分経っても帰ってこなかったら、洋善殿の宇宙夢で具現化した羊を突入させてくだされ」

 

 段取りを決めると、日辻は文字通りの抜き足差し足忍び足で入口に近づき、肉体を雲に変化させ、扉の隙間から館内に這入った。

 日辻の侵入を見届けた洋善はスマートフォンのタイマーをセットする。図書館の外にいるからといって安全とは限らないので、周囲に『ウール・チェイン』の羊で防御壁を作るのも怠らない。


「それにしても──」


 数字を刻むタイマーを見つめながら洋善は思い出す。日辻の手際の良さを。

 まるで本物の忍者みたいだった。いや、まさか平成が終わり探偵が始まった世の中に忍者なんているはずがないんだけども。

 洋善の記憶によれば、『十二不思議』のひとつ『雲隠れの忍者』は以下のような都市伝説だ。

 ある時は夕暮れの商店街で起きたひったくりをたちまちのうちに捕らえ。

 ある時は木に引っかかった風船を取って、持ち主である子供に返し。

 またある時は深夜の国道を暴走する若者たちを成敗した。

 そんな善行を繰り返す白装束のヒーローこそが、『雲隠れの忍者』なのである。

 同じ『十二不思議』でもひとたび出現すれば周囲に地獄のような惨劇しか齎さない『番長』や『シザー・レザー』とは大違いだ。


「『シザー・レザー』──積識先輩か……」


 喪ってからまだ一週間も経っていないはずなのに、随分懐かしく感じる名前だ。それを呟くことで、胸に開いた穴に空虚な風が流れ込み、そして同時に熱い何かがこみ上げる。

 それは怨念。復讐の炎とも言い換えられる感情だ。

 『オニキス・クローゼット』の正体に繋がるかもしれない情報まであと少し。

 積識珠緒の仇を討つ機会は近い──そう考えた洋善は、周囲への警戒をより一層強めたのだった。



 図書館は不気味なくらい静かだった。

 いや、静かであることこそが絶対のルールとして重んじられている図書館において、そんな状況は不気味でも何でもないのかもしれないが、それにしても静かすぎる。

 生命の気配というものが薄い。

 貸出カウンターを覗いても職員がいなかった。明らかな異常である。

 十分という制限を設けている以上、時間を無駄にはできない。無策に捜査を進めるのは愚の極みと言えよう。

 

「不可解でござるな。この状況が、ではなく、この状況が出来るようになった原因が」


 この状況が敵の夢遊者の攻撃である場合、どうして洋善と日辻たちの到着を待たずに館内の全員を何処に消してしまったのだろうか。そんなことをしたところで、余計な警戒心を抱かせてしまうだけである。どう考えても、洋善と日辻が到着した後でまとめて消す方が楽に決まっている。

 考えられる理由としては──洋善と日辻が到着する前に宇宙夢を使う必要があったから?


「たとえば、『夢惨』の夢遊者が拙者たちよりも早くここを訪れていたとしよう、彼女はここで待ち構えていた『オニキス・クローゼット』あるいはその配下の夢遊者と遭遇し、戦闘を始めた。その結果、周囲の人間も巻き込まれ、このような状況が生まれてしまった──こう考えれば筋が通るでござるな」

 

 ただこの予想の場合、新たな疑問が生じてしまう。

 それは、館内から人を消したのは『夢惨』の夢遊者と『オニキス・クローゼット』側の夢遊者のどちらであり、そして、その戦いの末に生き残ったのはどちらなのか、という疑問だ。

 市立図書館に収まる人数を消してしまえる宇宙夢を使う能力者なんて、なるべく死んでおいてほしいものだけども、戦地において楽観的な予想を立てるのは命取りである。日辻は『この状況を生み出した夢遊者はまだ生きている』と仮定した上で行動を続けることにした。

 児童書コーナーを通過し、本棚の森の隙間を縫うように歩く。古びた本の独特な香りが日辻の嗅覚を刺激する。蟹玉の風俗について記された本が多く並ぶ棚の横を過ぎた頃、日辻の視界の端で何かが光った。


「!?」


 光を視認した瞬間、意識の警戒ランクを更に二段階引き上げ、とっくに雲化している肉体で戦闘態勢を取る。

 視界の先にある物を注視する。それは鏡だった。

 本棚の横に掛けられた鏡が光を反射しただけだったのだ。

 何も鏡はひとつだけではない。

 一度気が付いてみると、あちこちの本棚に鏡が掛けられているのが見えた。


「なんだ、鏡でござったか──しかし、なぜこのような所に鏡が?」


 脳内に疑問符を浮かべながら、日辻は一番近くの鏡に近づく。

 その最中、彼女は足を止めた。

 なぜか?

 鏡の手前──そこの床で俯せに倒れている少女を発見したからだ。

 毛先を赤に染めた銀髪に、赤色のスーツと全身真っ赤なスタイルである。

 生存者か? 

 いや、こんな場所で目に入る人間は全員敵だと考える方が賢明だ。

 日辻は雲化した肉体から雹を生成した。ただの雹ではない。平らな爪状に加工された、およそ自然界では目に掛かれない形状をしている。日辻はそれをまるで苦無のように構えながら、口を開いた。


「拙者はひとつだけ質問をしよう! お主は何者だ!?」

「…………」


 沈黙が数秒続いた後、赤色の少女が顔を上げようとしたので、日辻は躊躇いなく雹の苦無を投擲した。少女の右手が床に縫い付けられる。俯せになった顔からくぐもった苦悶の声が聞こえた。


「動くな。お主は返事だけすればいい。疑われるような行動はお勧めしないでござる」

「わ、私の名は……裏宿鳳凰。T都の夢遊者組織『夢惨』の特殊部隊『星屑十二字軍スターダスト・クルセイザーズ』に所属するエージェント

「なるほど。やはり夢遊者でござったか。では、この状況もお主の仕業でござるか!?」

「違う。私の宇宙夢『メイド・イン・フェルノ』は具現化した炎で燃やした対象の生命エネルギーを吸収し、己の生命力にする能力。言わば、周囲を焼き尽くして自分だけが生き残る不死鳥だ」


 それはそれで凶悪な能力であるが、どうやら図書館の現状を作った宇宙夢とは違うらしい。


「では、お主とは別の夢遊者がここにいるのでござるか? その者との戦いで重傷を負って、お主は地に伏していると?」

「私が『メイド・イン・フェルノ』に入眠したのは十二歳の誕生日のことだった」

「? 何を言っている? 悪いがお主の過去について聞いている暇は──」

「『過去と未来の狭間ビットウィーン・P&Fに私たちは生きている』。ならば、今の私を説明するためには過去の私を語る必要があるでしょう?」


 鳳凰の言葉は弱々しい口調だったが、有無を言わせぬ凄味のようなものも備えていた。


「私は今もあの時のことを忘れられない──入眠したばかりで能力を碌にコントロールできなかった私の手から離れた炎が、お父さんを燃やす光景を。お母さんの肌を焦がす音を。兄さんの肉を焼く臭いを。絶対に絶対に絶対に忘れられない。いや、


 語る、語る、鳳凰は語る。懺悔する信徒のように。


「だけど私は傷ひとつ負うことがなかった。むしろ、燃えた家族の生命エネルギーを吸った分、その前よりも元気になっちゃったくらいだったよ。ねえ、あなたならどう? 大切な家族を殺して得た薄汚い命で、のうのうと生き続けていられる?」

「…………」

「私は無理だったね。すぐに死のうと思ったよ。だけど、そのたびに私の能力が邪魔をした。縄で首を吊ろうとすれば炭に変え。道を走るトラックの前に飛び出せば車体を一瞬で消し飛ばし。湖で入水自殺を試みれば、たちまちの内に蒸発させる。まるで煉獄にいるかのような日々が続いたんだ」

「…………」

「そんなことを繰り返していたからかな。ある日『夢惨』から勧誘されてね、「私と同じような能力者がいる世界でなら、私の願いも叶うかもしれない」と思って、その誘いを受けたんだ。まあ、結果としては夢遊者相手に連戦連勝。いつのまにか『星屑十二字軍スターダスト・クルセイザーズ』なんて部隊の主要戦力にされちゃっていたんだけどね」

「…………」

「ずっと、ずっと、ずっと後悔していたんだ。だけど死ぬことは出来なかった。ここに来る前は「きっと、今回の敵も私に敵わないんだろうな」と思っていたよ──だけど、違った!」


 そう叫び、鳳凰は顔を上げた。

 そこに刻まれていた表情は──歓喜。


「私はずっと願っていた! 「もしも死ねたら」! 「もしもこんな力に入眠していなければ」! そして「もしも家族が死んでいなければ」! ずっとずっとずっと、そんな『もしも』を追い求めていた! それをの宇宙夢はかなえてくれたんだ! なんて素晴らしい!」

「ま、待つでござる。その『彼女』とはいったい?」

「おかげで私は救われた──ううん、私だけじゃない。この図書館にいた全員が救われたんだ! なんたる救済! 私はようやく煉獄から天国に至れたんだ!」


 話が通じない──日辻はそれ以上の会話は無駄だと判断し、鳳凰の意識を奪うべく雲の肉体に意識を流した。

 その時だった。

 本棚に掛かっている鏡。 

 そこに人の姿が映っている。

 日辻──ではない。

 バースデーケーキや御馳走が並んだ食卓を囲っている四人家族の姿だ。


「こ、これは……?」

「どう? これが私が追い求めていた『もしも』の理想郷だ」


 鏡の中の光景に日辻が驚愕している間に、鳳凰は手に刺さった雹を抜き、立ち上がっていた。

 その時になって、ようやく日辻は悟った。

 鳳凰が既に宇宙夢を失っていることに。

 いや違う。

 目の前に立っている鳳凰は、『もしも宇宙夢に入眠していなかったら』という過去から今までを辿ってきた鳳凰なのだ。


「『過去と未来の狭間に私たちは生きている』。ならば、『もしも』違う過去を辿った世界があったら? 後悔塗れの人生を歩んできた自分を捨てられる機会が降って湧いたら? ──そんな世界を知った以上、この世界に未練はない」


 言って、鳳凰は鏡に触れた──否。

 鏡に飲み込まれた。

 まるで鏡面が底なし沼になっているかの如く、するすると飲み込まれて行き──やがて、全身が鏡の中に消えた。

 日辻は慌てて鏡に駆け寄る。しかしそこにはもう一家団欒の光景はなく、汗に塗れた日辻の顔を映しているだけだ。

 鏡に、自分の顔が、映っている。

 そのことに思い至った瞬間、日辻は飛びのいた。背中を本棚に強かに打ちつける。その衝撃で棚から本が落ち、落下音が静寂な館内に木霊した。


「ハァーッ……ハァーッ……」


 息が荒い。大きくなった鼓動が耳に響く。

 日辻は周囲の警戒を保ちながら体制を立て直した。 


「敵の宇宙夢は凡そ分かった──『「もしも」の世界を鏡に投影し、対象を引きずり込む』能力! 誰もが思い描く夢想にして心の弱点である『もしも』を司るこの力は強力でござるな……」


 考察を述べながら、日辻は図書館の出入り口に向かって駆け出そうとした。いったん洋善の元まで情報を持ち帰るためである。

 しかし、その疾走は僅か数歩で阻まれた。

 ひとりの女が通せんぼをするかのように立ちはだかっていたからだ。

 見た所、年齢は二十代前半。目の下にくっきりと刻まれた隈が印象的な顔立ちだ。身を包むファッションは大戦時の日本陸軍のそれであり、女性の体とミスマッチを起こしている。強烈な猫背で曲がっている体は、軍服の重みに耐えかねているように見えた。


「何者か──などと問う必要はないようでござるな」

「ああ」


 軍服姿の女は蛇が這いずるような嗄れ声で答えた。


「私は『十二不思議』のひとつ『夢鏡』こと臥水がみずめい。この図書館にいた大勢のモブと同様に、お前も私の宇宙夢『ビットウィーン・P&F』で理想郷に送らせてもらおうか」

「はっ、理想郷送りとは魅力的な台詞でござるな。だが断るっ!!」


 雲化した腕から気流を生み出し、高速のパンチを繰り出す。ただ速いだけではなく、腕の表面には雷撃を纏っていた。当たれば大ダメージ間違いなしの攻撃である。


「いざ尋常に──生死ッ!!」



 裏宿鳳凰、十五歳。

 『夢惨』特殊部隊『星屑十二字軍スターダスト・クルセイザーズ』所属。

 十二歳の誕生日に宇宙夢に入眠し、能力が暴走してしまった結果、家族を失う。その後希死念慮に塗れた日々を送るが、全ての自殺に失敗し、『夢惨』所属後もあらゆる危険な任務から無傷で帰還する。身を焦がさんばかりの後悔ばかりの人生を送ってきた彼女だったが、『ビットウィーン・P&F』により『もしも宇宙夢に入眠していなかったら』が実現した世界へと送られた。

 宇宙夢は『メイド・イン・フェルノ』、具現操作系。全てを焼き尽くす炎を生み出す。炎に燃やされたものから奪われた生命エネルギーは本体である鳳凰に還元される。凄まじい攻撃力と回復力を兼ね備えた能力。例えるなら絆魂と接死を備えた高パワーのクリーチャーのようなもの。彼女を相手に大人数で長期戦を挑むことは愚の骨頂と言えよう。

 好きなものは特になし。


 

  


 

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