二十六匹目 「光あれ」と神は言った

 上から押しつぶされたゴミ収集車の残骸とふたりの少女が転がっている路地に、ひとりの女が現れた。

 美しい女だった。

 身長は百七十センチ台後半といったところであり、黒色の髪を首の辺りで切り揃えている。固い面持ちは少女に年月という化粧を施したかのような若々しさと美しさが同居していた。モデルで食っていけそうな顔立ちだが、黒一色のシスター服から彼女の職業は明らかだった。


「鏃一矢が死んだから、牛頸川まいあの方はどうかと思って来たんだけど…………」


 よく通る声だった。

 シスター服の女は首を回して周囲を観察すると、一番近くに転がっていたジャージ姿の少女に近づいた。


「……こいつは夢遊者かしら?」


 金管楽器の如きその声音は、観察から得た情報を語っていく。


「見覚えのない夢遊者ね。『十二不思議』にこんな女はいない。何故こいつが牛頸川まいあと戦っていたのかしら?」


 不思議そうに首を傾げながら、シスター服の女はもっと観察を進めるべく、しゃがんで手を伸ばそうとする。しかし、その手は突如上がったジャージ姿の少女の手にがっちりと掴まれた。

 シスター服の女は目を丸める。


「驚いた。それほどまでの出血で、まだ動く力があったのね」

「…………くえ………」

「? 何?」

わたしを救えと言っているのだ。その恰好からして、貴様はシスターだろう。神に仕える身にわたしを救う機会を与えてやろうではないか。ありがたく思うがいい」

「あー……っと、そうね」シスター服の女は困ったように頬を掻いた。「あのサイレンの音が聞こえるでしょう? 多分、あと一分もしない内に救急車が来ると思うし、見ず知らずの私に助けを求めるより、そちらを待った方がよろしいかと」

「蟹玉県の医療技術でわたしの傷を治せるはずがないだろボケが」

「だったら私の方がよっぽど無理よ。黄金の精神を持つリーゼントヘアが特徴的な高校生じゃああるまいし」

「だが貴様は夢遊者なのだろう?」


 ジャージ姿の少女はそう言うと、もう片方の手でシスター服の襟首を掴んだ。大量出血で瀕死とは思えない力強さである。


「さっきの独り言から聞こえていたぞ。貴様が何処に所属しているかは知らないが、何かしらの宇宙夢を持っているのは確実だ。常識を超越したその力で、私の心臓付近に刻まれた傷を治すがいい」


 めちゃくちゃな要求だ。夢遊者といっても、その能力は多岐に渡る。都合よく回復系の能力者に出会えるわけがない。しかし、神を自称するジャージ姿の少女は、シスター服の女が自分を救う存在であることを疑っていなかった。驚くべき思い込みの強さだ。


「どうした! 何を黙っている! わたしにはこの地で『オニキス・クローゼット』を討伐するという任務が残っているのだ! だというのに、あんな文字使いの雑魚相手に敗れたとあっては、死んでも死にきれん!」


 ジャージ姿の少女の腕に力が籠るにつれて、シスター服の襟首はどんどん下がっていく。

 やがて鎖骨付近の肌が露わになる──そこには。

 


「ひぃっ!!」


 ショッキングな傷跡を目にしたジャージ姿の少女は、思わず手を離してしまう。


「な、なんだそれは!? そんな風にはならないはず……」

「自分の傷より他人の傷が気になるなんて、めでたい頭をしているわねえ──恩知らずの殺人鬼にちょっと切られただけよ」


 シスター服の女は掴まれていた襟首を軽く叩いて埃を落とすと、立ち上がった。

 その口元には薄く歪んだ笑顔が浮かんでいる。

 凄惨にすら見えるその表情を見てジャージ姿の少女はゾッとした。それと同時にシスター服の女の右手が横薙ぎに振るわれる。振るい切った手には、一冊の本が握られていた。

 その本の表紙には『DJUDGEMENT・SOUTHERN-CROSS』と書かれている。


「見た目からして日本人じゃなさそうだとは思っていたけど外国人か」そう言いながら、シスター服の女は本を開き、中身を流し読みする。「──なるほど。アメリカの夢遊者組織からの交換留学生として『夢惨』に所属しているのね。どうりで見ない顔だと思ったわ」

「貴様ァ!? 何をした?」

「年齢は十六歳。T都池袋区在住。彼氏はいない。右耳の後ろにホクロがある──ここら辺はいらない情報ね」


 自分のプロフィールが次々と読み上げられることにジャージ姿の少女は形容しがたい嫌悪感を感じた。それと同時に、目の前のシスターが自分の利となる人物ではなく、むしろ排除すべき外敵であると確信する。

 その瞬間、彼女は右手の人差し指を動かした。

 己の異能で持って、シスターを撃ち貫くためである。ジャージ姿の少女は既に瀕死だったが、あと一発くらいは宇宙夢を発動する力が残っていた──はずなのだが。

 出ない。宇宙夢の効果が発揮されない。まさか、『夢惨』のエリートチームに所属している夢遊者ともあろうものが、己の余力を見誤ったとでも? ──いや、違う。

 もっと根本的な問題だ。

 ジャージ姿の少女は、宇宙夢自体を失っていた。


「能力名は『K・ザ・レインボー』──太陽光を固める能力か。今みたいな昼間に使えば強いけど、曇りや夜だと一気に使えなさそうな能力だわ。日が傾いた時の使用も難しそうだし、実質真昼限定の能力よね」


 そう語るシスター服の女の手には、本が一冊増えていた。


「なんで、わたしの『K・ザ・』………『K・』……アレ? なんだったっけ。いや、そもそもは誰だ?」

「あー、もう、煩いわね。ついでに視力も奪っちゃえ」


 シスター服の女の手が三度動く。本は三冊になった。


「!? ぎゃああああああああああ!! きゅ、急に真っ暗に!? やだやだやだやだ!!!! どおしてええええええええええ!! ひ、光は何処!? 真っ暗なのは嫌だああああああああああああああああ!!」


 虚空に向かって両手をバタつかせながら喚くジャージ姿の少女に背を向け、シスター服の女はその場を去って行った。流石にこれ以上長居すれば、やって来る救急車と鉢合わせして面倒なことになりそうだからだ。


「牛頸川まいあの容態も気になるけど、少なくともジャッジメント・サザンクロスよりはマシでしょう。病院に運ばれれば助かる余地は十分にあるわ。まあ、仮に死んだとしても──彼女は『十二不思議』としての役割を既に十分に果たしているしね」


 ぼやきつつ、本を読みながら歩き進む。前方不注意で非常に危ない。


「ともあれ、『夢惨』が介入してきた以上、これから動きづらくなりそうで困ったわ──あれ? ちょっと待って!?」


 それまで余裕を保っていたはずの、シスター服の女は顔に汗を滲ませた。

 その視線は開かれた本の一文──『仲間の報告でK市立図書館で『オニキス・クローゼット』の目撃情報があると知った』に注がれている。


「あちゃー、バレたか。『夢惨』の調査力は甘く見れないわね。に通うのはこれからは避けなくちゃ。とはいえ、誰かが来てあそこに置いている物が見つかっても困るのよねえ……うーん」


 顎に指を添えて思考を働かせる。

 暫くすると名案を得たようであり、指を鳴らした。


「そうだ! 番人として『夢鏡』でも送ろうかしら? あの子ならだれが来ようと無力化できそうだしね」


 悩み事が解消した彼女は、そのまま上機嫌そうに帰っていくのだった。

 女の名前は折笛おりふえ琴子ことこ

 市内北部の高台に位置する小さな教会のシスターである。


 

 牛頸川まいあ、十八歳。

 引きこもり、『丑三つ時のハーメルン』。

 色々あって引きこもりになり、傷つくことを恐れて「自分は成長することができない」と諦めているくせに一丁前に承認欲求は高いという拗らせ方をしていたが、本編でのジャッジメントとの遭遇を経て、心的な成長をする。一回り大きくなった彼女は、自分の平穏を守るため、更に成長し、強くなっていくだろう。

 宇宙夢は『ブロンズ・エクスペリエンス』。視認した文字に生命を与える能力。『文字』の定義はインクで書かれた物や、画面上のテキストに限らない。

 引きこもり生活の中でも太らないよう気を付けているが腹回りが怪しくなってきたのが最近の悩み。 

 好きなポテチはオニオンサワー。



 ジャッジメント・サザンクロス。DJUDGEMENT・SOUTHERN-CROSS、十六歳。

 『夢惨』特殊部隊『星屑十二字軍スターダスト・クルセイザーズ』所属。

 自分を神だと思い込んでおり、傲慢な態度をとる。元はアメリカの夢遊者組織から送られた交換留学生だったが、なんやかんやで上記の部隊に所属した。

 宇宙夢は『Kキック・ザ・レインボー』。太陽光を固める能力。この『固める』には『固体にする』『空間に固定する』の二種類があり、ジャッジメントは度重なる訓練でこれらを両方とも十全な習熟度で使用できるようになった。晴れの日の真昼の屋外において、彼女に敵う夢遊者は存在しない。ちなみに晴れ以外の日や夜には、普段の神様じみた振舞いは何処かへと消え去り、弱気になるという。しかし、そもそも太陽が出ていない時に表に出てこないので、そんな状態の彼女を見たことがある者は同じ『夢惨』の構成員にも少ない。

 好きな映画はモンスター映画。

 

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