二十一匹目 十二不思議『丑三つ時のハーメルン』 その②
人がそうであるように、全く同じ形をしている雲は存在しない。
羊雲に入道雲、鱗雲に飛行機雲──その種類は様々だ。
『オニキス・クローゼット』が私の前に初めて現れたのは、黒く濁った雨雲が天窓を埋め尽くしている日だった。
「初メマシテ。私ノ名ハ……『オニキス・クローゼット』トデモ呼ンデクレ──コノ街ニ不思議ヲ齎ス存在ヲ十二個ホド作ロウト思ッテイテネ。君ノヨウナ、『ちっぽけな自分の行いで社会を騒がせたい』トイウ欲求ヲ抱エテイル人間ニハピッタリダト思ウンダ」
両親以外入れたことがない自室にいつのまにか這入りこんでいた『オニキス・クローゼット』は、私の頭に一冊の本を差し込んだ。
「コノ宇宙夢ノタイトルハ『ブロンズ・エクスペリエンス』──トアル半グレノ夢遊者カラ奪ッタ能力ダ」
ずぶり。ずぶり。
ずぶぶぶぶ。
本を私の頭に押し込みながら、『オニキス・クローゼット』は語る。
「決シテ強イトハ言イ難イ能力ダガ、君ガコレヲドウ使ウノカ楽シミニシテイルヨ」
本が完全に頭の中に収まる。
すると、私の身体の中で得体の知れないエネルギーが爆発的な速度で駆け回った。今まで体験したことがない感覚に身を捩る。
そんな風に私が悶えている間に、『オニキス・クローゼット』は部屋から去っていた。
その後自分に与えられた異能を知った私は、何回かの実験の末に今のような迷惑行為を繰り返しているわけである──工事現場への来訪から一晩が経った過去と未来の狭間の日。
テレビを点けてみると、お昼のワイドショーで早速『入』が消えた立て看板が話題になっていた。
画面の中では浅識な私でも知っているくらいに有名な学者が登場していたが、そんな人物であっても『丑三つ時のハーメルン』のトリックを暴けずにいる。
まあ、無理だろうね。
机の上に放置している鞄。その中の大学ノートには、これまでハーメルンの笛吹男さながらに誘拐してきた文字が大量に入っている。誰にも知られることがない、ちょっとしたコレクションだ。
私よりずっと勉強してきた学者よりも知識面で優位に立てているという事実に、自尊心は満たされるのであった。
それにしても、『文字に生命を与える能力』なんかでここまで世間を騒がせられるなんて、結構すごくないか? 自分で言うことじゃないかもしれないけど。
『オニキス・クローゼット』からもっと凄い宇宙夢を貰えていれば、こんな風に夜な夜なコソコソと徘徊せずとも、世間を騒がせられたかもしれないのに。
こう……核爆発を起こしたり、時間を止めたりする派手な能力が欲しかったなあ──なんて妄想をしながら雲を数えていると、お腹がぐうと鳴った。永久機関を内蔵していない生物である以上、寝てばかりの引きこもりでもお腹が空くのだ。
腹の足しを求めてキッチンがある一階に降りる。
今朝に一瞬だけ家に帰って来た両親のどちらかが、私の為に昼ご飯を作っているはずだからだ──が、しかし。
普段ならラップを掛けられた食器が並んでいる筈の机には、その代わりに千円札が一枚置かれていた。ぐええ、マジか。どうやら今朝はご飯を作る暇さえなかったらしい。
うーん、どうしようかな。
こんな昼間から外に出たくはない。他人と遭遇するリスクを極力避けたいからだ。
だけどお腹は空いているし……キッチンを漁ってみても、昨日みたいに菓子パンが出てくることはなかった。
私は千円札と自分のお腹を交互に見つめ、暫く思案した後、外に出る準備を整えて玄関を開けた。苦渋の決断だった。
養ってもらってる立場で両親に文句は言えないが、それにしても予定になかった外出をするというのは結構なストレスである。そんな心労に空腹までプラスされるので、足取りが重い。
そんな歩調で近所のコンビニに向かって歩いている私の姿は、さながらゾンビのように映るだろう。平日の昼間ということもあり、歩道に人気がないのは不幸中の幸いと言うべきだろうか──と、その時。
道の向こう側に女性の影を認めた。
咄嗟に回れ右して逃げそうになったが、私の目が眼前の光景に釘付けになったため、そうすることはできなかった。
なぜか?
だって、その人物は一糸纏わぬ格好で道路の真ん中に立っていたのだから。
生まれたままの姿をしているヌーディストだったのだから。
人間嫌いな引きこもりじゃなくっても、見れば逃げ出したくなる不審者である。
「へ、変態だ!?」
「変態とは心外だな。私は服を着ていないだけだ」
「それを世間一般では変態と言うんだ!」
世間から外れた引きこもりなのに世間を引き合いに出して突っ込んでしまった。
「服を着られるのは、服を持っている人だけだ。持っていない私は、こうして肌をさらけ出して、人目から隠れるしかないんだよ」
猥褻物を陳列している現行犯だというのに、全裸の女性は落ち着いた佇まいをしている。
服を持っていない? ──なんだ? もしかして外出用にもこもこに着込んでいる私から服を一着貰おうという魂胆なのか?
「ははっ、そんなわけないじゃあないか。君から服を貰うつもりなら、もっと別の手段を使っているよ──それに自慢じゃあないけどね、私は自分の体を結構美しいと思っているんだよ。君の服なんかで変に着飾るより、素肌を外気に晒した方が良い」
理解不能なポリシーに頭が痛くなる。
だが、ヌーディストの自己評価が決して過大なものではないことも事実だった。
美しい──適度に引き締まっており、されど筋肉質でもない肉体は、究極まで磨かれた宝石みたいだ。
たしかに、こんな美しい体を服で隠すくらいなら、いっそのこと全裸で歩いた方が美的観点からは正解だと言えるだろう……おっと、危うく変態に理解を示してしまうところだった。
「それに、他人の服を奪うなんていう、どこぞの本棚にしてクローゼットみたいな趣味を私は持ち合わせていないからね」
「!? 今、なんて……」
「おや、言い方が迂遠すぎたかな。なら『オニキス・クローゼット』と言いなおさせてもらおうか」
その名を聞いた瞬間、私の心臓は飛び跳ねた。
そのリアクションを見たヌーディストは満足げな顔を作ると、軽くお辞儀をして、次のように言った。
「挨拶が遅くなったけど初めまして。『十二不思議』がひとつ『丑三つ時のハーメルン』こと、牛頸川まいあさん……で合ってるかな? 単刀直入に言わせてもらうんだけど、『オニキス・クローゼット』を裏切ってくれないか?」
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