二十匹目 十二不思議『丑三つ時のハーメルン』 その①
天窓から見える秋の空を見上げながら、私──
ただ何もせずにぼうっと雲を数えるだけで一日を過ごせる人間はどれくらいいるのだろう? 少なくとも、この街では私だけのはずだ。
健全な学生なら勉学や運動に励むべきなのかもしれないが、私にはそんなことをしなくてもいい理由がふたつある。
まずひとつ。所属していた蟹玉高校がつい先日殺人鬼に襲撃されたため、次に転入する学校が決まるまでの間、私は学生の身分ですらないから。
そしてもうひとつ。そもそも私は蟹玉高校に立場上所属していただけであり、実際には通っておらず、毎日家に籠っていたから。
いわゆる不登校というやつだ。
だから、学生としての本分なんて果たす義理もない。
社会から無様にドロップアウトしていた私を学校に引き戻すべく何度も家にやって来ていた先生も学級委員もスクールカウンセラーも、例の事件で皆殺しされたみたいだしね。
両親も私に対しては甘やかしの方針を取っているため、今のところ私を社会復帰させようなどという殊勝な輩はこの世にいない。
なので私は、殺人鬼によって母校が壊滅させられてから数日経った今も、昼間から呑気に雲の数を数えているのだ……ええと、今流れたので128個かな? まあ、不登校を始める前に毎日のようにやっていたリストカットよりかは、確実に健全な行為と言えるだろう。
しっかし、人生というものはよく分からないものだなあ。
学校にちゃんと通っていた人たちが殺されて、不登校のクズだった私がのうのうと生きてるんだもん。
この世に神様なんていないなんてことはとっくの昔に理解していたつもりだったけど、それでもこんな理不尽な出来事には困惑を禁じ得ない。
これで私がよくあるきらきらな青春小説の主人公だったら、不幸な事故で死んでしまった彼らに涙を流して哀悼の意を述べながら「これからは彼らの分まで必死に生きてみるよ」なんてしゃらくさい台詞を吐いて社会復帰するんだろうけど、生憎私は地球上の誰よりも成長なんて概念から縁が遠い屑なので、そんなイベントは起こりえない。
そもそも、人が死んだくらいで自分を変えられる奴の方がおかしいだろ。
その程度の影響で正の方向に成長できるメンタルをしているような奴は、そもそも不登校にならないんじゃあないか?
私は絶対に変わらずにクズであり続けるぞ!
そんな決意を改めて固めていると、つけっぱなしだったテレビで流れているニュースが、天気予報からローカルニュースに話題を変えた。
内容は最近K市を騒がせている『十二不思議』のひとつ、『丑三つ時のハーメルン』についてだった。
………………ふふっ。
おっと、あぶないあぶない。
思わず笑って、雲を数え逃すところだった……ええと、256?
だが、笑いそうになるのも仕方のないことなのだ。
何せ、画面の中でニュースキャスターが不思議そうな顔で報じているその事件は、私が起こしたものなのだから。
私のようなクズがやらかしたことで朝から世間が騒いでいるなんて、おかしいったらありゃしない。
◆
雲のカウントは1000に差し掛かろうと言うところで眠気が来てしまい、気が付けば昼寝をしてしまっていた。
羊が一匹、羊が二匹、と同じ理屈で夢の世界に誘われてしまったのだろう。
ていうか私は雲を数える時はいつもこのオチを迎えている。そもそもこの行為に、観測者の寝落ち以外の終わりはあるのだろうか? 終わりのない行為である。無駄に時間を溶かすことこそが、無限の時間を持つ暇人の特権なのかもしれないが。
というわけで、目が覚めると時刻はすっかり夜になっていた。
天窓から見える空は真っ暗になっており、星々が輝いている。
……そろそろいい時間かな。
じゃあ外に出よう。
私は机の上に放置していた鞄を肩にかけると、部屋を出て階段を降り、一階に足を付けた。リビングや玄関に両親の気配はない。こりゃ今日も仕事で帰ってこれないのかな? 不出来な娘ひとりを育てるための労働ご苦労様です。
私はキッチンを漁って見つけた菓子パンを頬張りながら、玄関に向かい、サンダルに足を通した。
ドアを開けると寒気が出迎える。うおお、寒い。慌ててドアを閉め、いったん自分の部屋に戻り、薄っぺらい生地の室内着から冬服にドレスチェンジした。引きこもりは外の熱さ寒さの変化に疎いから困っちゃうね。
ふっふっふ、コートを着込んだ今、さっきまでの私とは違うぜ──改めて外に出る。冷たい風が再び身を襲ったが、私の身を覆う防壁の前にはなすすべなく砕け散るのみだった。喧嘩を売る相手を間違えたようだな、愚かな風め。
どこぞの殺人鬼の影響で出歩く人がすっかりいない夜道を我が物顔で歩きながら、私は鞄からK市の地図を取り出す。
昨日は南の公園に行ったので、今日は北を攻めてみようかな。いやいや、駅前の総合病院も捨てがたい──しばらくの間、地図と睨めっこしながら脳内会議をしていた私だったが、コンビニの前を通り過ぎた辺りで、今日の行き先がようやく決まった。
うーん…………決めた。
今日は最近始まったらしい工事の現場に向かうとしよう。
そうと決まれば話は早く、私は引きこもりとは思えない軽快な足取りで目的地までの道を進んでいく。
本当なら徒歩じゃなくて自転車で移動した方が楽なのかもしれないけど、不登校を始めた時に自転車はバラバラに分解して燃やしちゃったので、それは無理な話である。かといって、引きこもりの私がわざわざこのために新しく自転車を買えば、周りの目(両親、と言い換えられる)からは奇異に映りそうだ。
というわけでテクテクと歩き進んで半時間ほどたった後。
私は工事現場の前に居た。
まだ学校に通っていた頃には確か塾が立っていたはずの場所は、今では更地になっており、新たな建物になるであろう鉄骨が組み立てられている。いったいこれは何になるのだろう。高さからして、コンビニにはならなそうだが。
現場の中は無人だ。
それもそうだ。今は夜中なのだから。こんな時間に作業員たちが騒音を鳴らして工事に勤しめば、周辺地域からの苦情が殺到するだろう。
チェーンで現場の中と外を区切っている仕切りの前には立て看板が置かれていた。『立入禁止』という注意の下にヘルメットを被った作業員をデフォルメしたキャラが描かれている──よし、これにしよう。
今日の標的を定めた私は鞄の中から大学ノートを取り出した。
それを開いた状態で地面に置き、視線を立て看板に向ける。
立て看板の、文字を、注視する。
「『ブロンズ・エクスペリエンス」
たった一言、そう呟く。
それだけで十分だった。
直後、私の言葉が合図だったかのように動き出した──何が?
決まっているだろう。
立て看板に書かれた『立入禁止』の『入』という文字がだ。
最初は生まれたての赤子のようにぷるぷると震えるだけだった『入』は、十秒も経てば平面上を自由自在に動き回り、やがて立て看板を飛び出して、地面へと移動した。そのまま開いた大学ノートが置かれている方向へと向かっていき──『入』の全体がページ内に収まった瞬間、私は能力を解除する。
すると、さっきまで元気よく動いていた『入』はピタリと止まり、再び不動の文字へと戻った。
かつてこいつが収まっていたはずの立て看板には『立禁止』の文字だけが残されている。
それを見て、私はニヤリと口元を歪めた。
朝になって工事現場の作業員がこれを見たら驚くだろうな。
きっとこう言うに違いない。
「『丑三つ時のハーメルン』がウチにも現れたんだ!」って。
その光景を想像するだけで、私の中の何かがスカっとした。
今日の昼間みたいにニュースで話題になれば猶更気持ちよくなれそうだ──『文字に生命を与える』。
それが私が二週間前に『オニキス・クローゼット』なる黒ずくめの女から与えられた異能、『ブロンズ・エクスペリエンス』の力である。
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