十六匹目 十二不思議『すっころび通り』 その⑥

 ねむりの頬に刻まれた数字が『ゼロ』になった瞬間、洋善は両手で目を覆った。

 一秒、二秒、三秒……どれだけ経っても爆音が轟かない。

 恐る恐る顔を上げてみると、視線の先には羊野ねむりが健在していた。

 爆発ひとつ起こしておらず、その顔からカウントダウンは消え失せている。


「どうやらギリギリで死の恐怖に負けて能力を解除したようだね。助かったよ」


 ねむりはそう言うと、一矢の腰に巻き付けていた両腕を解いた。

 拘束から解放された一矢は、恐怖で歯をガチガチと鳴らしていた。

 その顔は青ざめており、冷汗でびっしょりと濡れている。無理もない。ほんのついさっきまで爆死の危険に晒されていたのだから。

 洋善は未だにドラムのような音量で響く鼓動を感じながら、口を開いた。


「ねむりさん、あなたって人は……! 一歩間違えば死んでいたところなんですよ!?」

「ごめん、洋善さん。でもこうするしかなかったんだ」


 たしかにそうだけども。

 洋善は額に手を当て、やれやれと顔を横に振った。

 時間にしてみればほんの僅かな時間だが、これまでのねむりとの交流を経て、洋善はねむりがちょっとばかり普通ではないと感じていた。

 能力が、ではない。

 身体が、でもない。

 精神が、普通からかけ離れているのだ。


「とりあえず、今からそっちに向かいますけど──そいつ、どうするんですか?」

「『オニキス・クローゼット』に繋がる重要人物だからね。竹井さんに頼んで双海家直属の調査機関に運んでもらおうかな。自白剤でも拷問でもなんでも使って、情報を限界まで絞り出してもらうとしよう。私たちはこのまま『音鳴館』に向かうべきだ」

「夢遊者でもない竹井さんにそいつの運搬を任せて大丈夫なんですか?」

「それは安心していいと思うよ。何せ、元『竹井重工』所属の彼女は下手な夢遊者よりよっぽどつよ──」


 そんな言葉を。

 なにやら今後の展開に大きく関わりそうな設定を、羊野ねむりが言おうとした。

 その時だった。

 ずるっ──と。

 は滑り、後ろ向きに転んで尻もちをついた。

 それを見た洋善は最初こう思った。

 爆死の危機から逃れたばかりで足が震えていたから転んでしまったのだろう──と。

 だが違った。

 転んだ一矢の目には、カーブミラーに映る自分の姿が映っており。

 次の瞬間、彼女の頬に付近のガラスから光が反射し、数字の『5』のような形を作ったのだ。

 


「な、なにィィイーーーーッ!!??」


 驚愕する洋善。

 一方、一矢はくつくつと笑っている。その表情は先ほどの余裕ある嘲笑とは真逆の、卑屈でねばついた笑い方だった。


「まずは称賛の言葉を贈らせてもらおうか、羊野ねむり。よくも我の心を打ち砕いてくれたな。おかげで我も『失敗者』の仲間入りをしてしまったわけだ。生きている価値もない『失敗者』にな」

「!? 急に何を……」


 ねむりは困惑しつつ、一矢とは逆方向へと退がろうとした──が。


「おぉーっと! 逃がすか!!」


 容易く足を掴まれてしまい、その場から動けなくなる──爆弾化した一矢と、ゼロ距離で触れている。

 このままでは自分が辿る運命が死以外にないことを悟ったねむりは、持っていた杖で一矢の手を殴った。

 だが、盲目の状態で放たれる攻撃は狙いが定まっておらず、拘束を解けない。

 片足を縛られた状態で無理に動けば、『すっころび通り』の異能が働くまでもなく転んでしまう。そうなれば、一矢は己の爆弾化の解除と入れ替わりにねむりを爆弾化させるだろう。


「お前の策に屈したことで、『成功者』だった我は死んだ! ここにいるのは哀れな『失敗者』だ! おかげで『覚悟』が決まったよ……さっきまでなら思いつきもできなかったくらいに、イカれた『覚悟』がなァァアーーッ!! フハハハハ、今なら死ぬことも怖くないッ! まさに『無敵の人』ってわけだ!! ──同じ『失敗者』のよしみで一緒にあの世に行ってやる!!」


 一矢が語る狂気に満ちたポリシーは理解不能だ。

 元々ねむりに向かって走っていた洋善は、速度を更に速めた。しかし、このままでは絶対に間に合わない。

 『ウール・チェイン』で何とかしようにも、『空中に綿を固定する』能力ではねむりの足にがっしりと掴まえている一矢の手を外すことはできないだろう──『4』。


「くそっ! 間に合わない!」


 頭をかきむしる洋善。


「私の宇宙夢はまだコスモチュームすらできてないくらい未熟なんです。なら、ここで覚醒すれば……って、そんな都合のいい覚醒なんて『できるわけがない』ッ!」


 嘆いていても事態は解決しない。


「何か覚醒に繋がるヒントはないんですか! このピンチを打開する材料は……材料?」


 洋善はピタリと足を止めた──『3』。

 

「ハハハハハッ! 間に合わないと知って、足を止めたか! 『失敗者』の仲間にしては随分賢明じゃあないか!」

「洋善さん……やっと気づいたようだね」


 煽る一矢の声も、何かを察したねむりの声も、耳に届かない。

 重大な発見をした洋善は、その場で手を翳す。すると、それに呼応して、空中に綿が現れた。ほんのひと瞬きの間に十を超える数の綿が現れ、洋善の周囲を埋め尽くす。

 

「そんなに綿を出して何をするつもりだ? 我たちの爆発に備えてバリヤーでも作るのか」

「いいえ」


 洋善は言う。

 力強い声で。

 己の目的を宣言する。


「服を──作るんですよ」


 『2』。

 瞬間、爆発的な光の奔流が『すっころび通り』を包み込んだ。

 それは『ドゥームズデイ・クロック』の爆発による極光ではない。

 綿

 そして次の瞬間──目を焼かんばかりに輝く光の中から、何かが飛び出した。

 高速で空中を駆け抜けるそれは、零コンマ一秒もかからぬ間に鏃一矢の顔面に直撃し、その勢いのまま彼女をぶっ飛ばす。

 思わぬ衝撃に手は離され、一矢とねむりとの間には十分な距離が生まれた。


「ぐっ、げああああぁぁぁぁ!? な、なんだこれは!?」


 一矢に飛来した物の正体は綿だった──否。

 一見綿のように見えるが、違う。

 白くてもこもことした綿から四本の足が生えており、『メェ~~~~』と鳴いている。

 そう。

 羊だ。

 バレーボールくらいの大きさをした丸いミニチュアの羊が、音速に迫る速度で空中を疾走したのだ!!


「ば、馬鹿な! 貴様の宇宙夢は身を守るためだけに出される綿の壁だったはず! こんな攻撃的なものでは断じてない!」

「そう。私の『ウール・チェイン』は自分の身を守るために発現したものだった──だけど、これからは違うッ!」


 光の中から洋善が姿を現した。

 その服装はさっきまで着ていた制服ではなく、羊飼いのような帽子を被った魔法少女のコスモチュームになっていた。至る所にふわふわの綿が飾られており、白色が多い衣装になっている──『1』。


「私は攻めなくてはいけないんですッ! さっきのねむりさんみたいに、守るだけではなく攻撃するために、前に進む力が必要なんだ! それがこれだ!!!!」


 メェ~~~~。

 メェ~~~~~~。

 メェ~~~~~~~。

 洋善の背後にはミニチュア羊の群れが犇めいている──羊羊羊めいている。

 その光景はまるで。

 羊毛でできた海ウールオーシャンみたいだった。


「いっけェェェエエエエエエ!!!!」


 洋善が号令を上げると、羊たちは一斉に空中を走り出した。

 多方向からマッハの体当たりを受けた一矢は更に吹っ飛ばされ、全身がベコボコに凹む。まるで握り潰されたアルミ缶みたいだ。

 これぞ遅達洋善の『ウール・チェイン』の真の能力!

 ネムネムラッシュを受け継いだミヨミヨラッシュだ!!


「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 『ゼロ』。

 断末魔と共に鏃一矢は爆死した



「ねむりさん、私は既にコスモチュームを持っていたんですね──ただし、材料だけで未完成な状態で」


 プスプスと煙を上げる鏃一矢の肉片を見下ろしながら洋善は言った。

 コスモチュームは解除され、元の制服姿に戻っている。


「そのことに気付けばあとは簡単だったんです。文字通りの秒殺でしたよ」

「それは良かった」


 杖で地面を二度叩き、壊れていないか確認するねむり。

 その口調は、先ほどまで死の危機にあったとは思えないくらい冷静だった。


「ところで聞きたいことがあるんですけど」洋善は訊ねる。

「なに?」

「ねむりさん、あの時わざと捕まりませんでしたか?」

「…………」

 

 事態が終わって冷静になった頭で考えてみると不自然だ。

 蟹玉式CQCの免許皆伝であるねむりなら、能力を解除させた後で一矢の意識(略して『いっしき』)を容易く奪うことが出来たはずだ。なのに実際はそうせず放置し、隙を見せてしまった。

 彼女の実力を鑑みればあり得ない事態を招いてしまったのだ。

 それはなぜか?

 

「わざとピンチになって、私を覚醒させたかったから──違いますか?」

「………そうだと言ったら、どうする?」

「別にどうもしませんよ。そのおかげで私は無事覚醒出来たんですし──ただ」

「ただ?」

「そういう、自分の身を削って何かを成し遂げようとする手段はあまりやってほしくなかったです……あなたのそんな部分を見てあんな宇宙夢に覚醒した私が言えることじゃあないかもしれませんけど」

「…………宇宙夢を失う前からこんな戦い方しかしてこなかったからね、そう簡単には戻れないんだよ。難しいな」


 そう告げると、ねむりは『音鳴館』の方へと歩き出した。全身の至る所に生傷があるが、今日はここでいったん帰るという選択肢がないらしい。

 そんな彼女の後姿を見て、洋善はなんだか悲しい気持ちになった。


「あ、そういえば、『すっころび通り』自体はどうしますか?」

「今は放っておくしかないと思う。『ドゥームズデイ・クロック』が無ければただの転びやすい道だし、その出自の特異性から今ここで解決策を練るのは不可能だからね。双海家のエージェントに詳しく調査してもらって、日を改めるしかないよ」


 街路樹の葉っぱがガサリと揺れる。

 視線を向けてみると。そこには何もいない。

 しかし洋善は、銃を持ったスナイパーが今もそこから自分を狙っている気がしてならないのであった。



 鏃一矢、24歳。

 会社員。

 『すっころび通り』の番人。

 宇宙夢は現象誘発系の『ドゥームズデイ・クロック』。

 視界内で転んだ人間を必ず五秒後に爆死させる。何故なら一度躓いた人間に生きる資格はないから。『五秒』という時間は絶対であり、これより早く爆発することも遅く爆発することも絶対にない。

 世の中を『成功者』『失敗者』のふたつに分けられると考えており、『失敗者』は『成功者』のより良い繁栄のために死ぬべきだと心の底から思っている。

 しかし、当の本人は『成功者』かというとそうではなく、単に失敗を恐れてあらゆることから逃げてきた臆病者。受験や就職といった人生の重要なポイントでいつも成功を目指すことなく失敗から逃げるだけだった彼女は、気が付けば蟹玉県K市という地方都市の小さな会社で働いており、安定しているが華々しい成功とは無縁な生活を送っていた。

 趣味はネットで有名人の炎上事件を叩くこと。



 遅達洋善、17歳。

 故蟹玉高校二年生女子。

 宇宙夢は具現化操作系。指定した座標ポイントに綿の玉を出現させる。綿の大きさは、その時のコンディションによりピンポン玉からバレーボールくらいの幅がある。出現した綿は触り心地が非常によく、あらゆる攻撃をふんわりと受け止める。洋善は相手の攻撃を封じるこの能力を『ウール・チェイン』と名付けるだろう。


 羊野ねむりの自分の危険すら厭わない攻撃性を目にし、己の能力で出現する綿がコスモチュームの材料であると自覚したことで、宇宙夢が完全に覚醒し、『小さな羊を高速で空中ダッシュさせる』という真の能力を会得した。この能力で出現する羊も、これまで出ていた綿と同様にあらゆる攻撃をふんわりと受け止める柔らかさを持つ。

 攻防を兼ね備えた強力な宇宙夢と言えるだろう。

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